高也とルーシアは一緒に昼食をとっていた。

 大変だった。

 シャトーを説得するのが本当に大変だった。

「は? 何それ?」

「いや、だから帰るのはもう少し待ってくれ」

「・・・・・・・・・・・・・・・本気?」

「なあ、いいだろ別に。というかどうしていっつもここまで来て直帰なんだ? 普通泊まるだろ。世界広しと言えど毎回毎回12時間かけて往復するなんておかしいぞ。無泊2日なんてあっていいのか?」

「・・・・・・・・・・・じゃあ今日は泊まる?」

「是非そうしてくれ」

「・・・・・・わかった」

 シャトーはしぶしぶ引き下がった。

 ルーシアは引きつった笑みを浮かべる。

「もしかして・・・極東まで日帰り?」

「もしかしなくてもそうだ」

「うわあ・・・」

 ルーシアは呆れた。

 

「そういえば風倉は異能協会ってどうやってできたか知ってる?」

 ルーシアが少し意地悪そうに訊ねる。

 ちなみにルーシアはインテリのせいか物事を知識で認識しようとする傾向がある。

「まあ、知識の上では」

「じゃあ月草事件は?」

「いや・・・・・・それはよく知らない。人類が唯一敗北を喫した戦いだとしか」

 ルーシアは呆れた。

「ほんとに局員? 私は留学中に異能科学の異能歴史学科を学んだからその点に関してはエキスパートとはいえ普通それくらいは知らないと・・・」

 高也はつまらなそうに答える。

 どうやら異能史にはあまり興味はないようだ。 

 それよりルーシアがどこの大学に留学したのかが気になった。

「悪いな。俺は異能科学でも異能物理学が専門なんだ。異能史には疎い」

「仕方ないなあ・・・じゃあ教えるわよ」

 その言葉に少し憤りを感じた。

「別にいい。恩着せがましい言い方をするな」 

「ごめんごめん。じゃあ言いたいから言わせて・・・これでいい?」

「・・・・・・好きにしろ」

 高也は諦めたようにため息をつき、そう答えた。

 

 異能協会。

 西暦486年に誕生した組織。

 この組織を創立したのは2人の姉妹。

 今で言えばこの2人は異能にあたる人間だった。

 ようするに人非人だ。

 当然当時においてもその見識は揺らぐ事がなく、2人は異端児として扱われていた。

 2人の姉妹は一目で人間ではないと識別される容姿であった。

 煌くような緋い眼と人間とは思えない紫の髪。

 神の祝福を受ける事のない悪魔の子。

 だがこの姉妹の両親・・・正確に言えば父親が他界しているので母親が姉妹を匿っていたため姉妹は生き延びつづけた。

 しかし姉が14歳、妹が13歳になる頃、それが発覚し、母親は処刑された。

 姉妹はおそらく世界最初の異能を使い、命からがら逃げ延びた。

 古代異能は当然公然と認められていたので、いわゆる悪魔の力。

 姉妹の能力は魔法ではなかったが誰もがそれを魔法と蔑み、疎み、恐怖した。

 その力は何でも大地を裂き、天よりイカズチを落とし、海を氾濫させたという。

 もっとも現在の異能科学の研究の結果、その能力は有りえないと結論づけている。

 3年間の逃亡。

 その生活の中姉妹は同じような境遇の仲間を見つけ、姉が17歳の時、異端者共の相互扶助組織として異能協会を設立した。

 最初の頃は本当に異端者たちの馴れ合い所帯のようなものであったのに、100年もすると組織の方針が攻撃的になっていった。

 それはかつての会長の言葉だ。

「我々が迫害されるのは我々が人間として認められないからである。何故認められないのか? それは我々が異端たる力を所有するが故であるが・・・ではどうすればよいのか? 答えは明白である! 人類を、我々と同じにすればよいのだ!!」

 その言葉は異能共に受け入れられた。

 それ以降、異能協会は人類の異能化を掲げ、人類と反目した。

 人類にとって神の祝福を得られぬ異端者共の行為を受け入れる懐などあるはずもなく、人類と彼ら曰く魔女共は戦争を開始した。

 魔女こと異能たちは研究に研究を重ね、異能を駆使し、人類に歯向かった。

 数百年にも及ぶ戦争の末、魔女は破れた。

 人類はとうとう魔女に勝利した。

 しかし人類は魔女の残した異能という遺産に洗脳され、彼らもまた、異能になっていった。

 この瞬間、異能協会という存在名義が変換した。

 時に西暦1300年。

 人類は異能協会を監視下に置き、魔女狩りのための組織へと変えた。

 異能に関する高度な知識を得た人類は瞬く間に残存する魔女共を皆殺しにした。

 これもひとえに神のためである。

 それから500年。

 異能協会は完全に人類の組織となっていった。

 しかしすでに魔女狩りはすたれ、モンスターと呼ばれてきた異形は絶滅し、その存在意義な薄れてきたそんな時。

 彼らは独自の組織として活動を開始した。

 異能を拉致し、異能を研究し、武器や嗜好品を作り、自らも異能になる。

 そんな凶悪極まりない組織になっていった。

 さらに120年。

 異能協会は国際的に公認された。

 第一次大戦も終結し、つかの間の平穏が訪れたそんな時、彼らは世界の桧舞台に躍り出て次々と異能、異形を拉致し、駆除していった。

 さらに50年。

 1970年。

 異能協会は極東に存在していた異形。月草が生意気にもユーラシア大陸に渡ったのことで拉致を開始した。

 この時会長である魔女レクリエールはまさかこれが1484年の長い歴史を誇る巨大組織、異能協会を完膚なきまでに壊滅させられる羽目になってしまうとは露程も思ってはいなかった。

 それが、間違いであったというのに。

 

「月草? 極東の異形ですか・・・カラードの異形はあまり詳しくないんですよね」

 当時まだ30代半ばであり、父から会長の座を譲り受けたばかりの見かけは10歳にしか見えない女、レクリエールはいかにも仰々しい椅子に腰掛けながらそう呟いた。

 レクリエールの手元には月草に関する資料が点在する。

「それで、その月草は現在どこにいるんです?」

 レクリエールは眼前に直立不動で整列した部下共に冷たい口調で言った。

 理路整然と並べられた部下の一人が答えた。

 その口調はどこか重々しくどこか恭しく、どこか刺々しかった。

「現在バコニュ山脈を越え、ケストヘイを蹂躙しています」

「・・・それってハンガリーじゃないですか。下手に軍を送ったら間違いなく赤い国に叩かれちゃいますよ。・・・・・・・そうですね。じゃあオーストリアに入ってきたら拿捕しましょう」

「え・・・・・・しかしすでにケストヘイは壊滅し、いや、それ以前に月草が杭州に上陸してからというもの一直線に都市という都市は崩落の赤道を辿って」

 その言葉にレクリエールは少し不機嫌になった。

「そんなことは知りません。大昔のような慈善で魔女狩りをしていた頃とは違うんです。私達は19世紀にはいってからは独立組織になったんですよ。国家間の問題などどうでもいい。それに政府から勅命が下ったわけでもないでしょう。なら何万の人間が死のうが我々の関知する所ではない」

 それは凛とした声だった。

 その周囲が凍りついたような冷たい声。

 レクリエールにとって本当に何万の人間が死んだ所で痛くも痒くもない。

 そもそも人間にとって赤の他人の・・・それも認識以前の人間が、たとえ全員殺されたとしても、経済が破綻するとか、国家が崩御するとか、そんな事しか思えない。

 しかし部下の一人が勇猛果敢にレクリエールに食って掛かった。

 何か彼を駆り立てる要因があったのかはレクリエールにはわからない。

「しかしですね。会長の」

「口答えするな。組織というものは上司が黒い鳥を白といえばそれは白になるんです」

 だから、レクリエールは彼の言葉を遮り、拘泥した。

 そのままレクリエールは他の部下達に指令を出していく。

 

 月草は進行していた。

 そもそも海を渡った事に然したる理由はない。

 何気なく、そう、人間の感覚でいえば旅行に近い感覚で海を渡った。

 すると当然月草にも栄養が必要になる。

 だから道すがら栄養を補給していった。

 そしたら最初警察組織に襲われた。

 公安とかいった組織だったがそんなもの月草の敵ではない。が、うざったかったので皆殺しにしてしまった。

 そもそも月草は無敵に等しい力を所有しているため、人間など相手にもならない。

 それなのに牙を剥いてきたので地球上で最も強大な生物が誰かを思い知らせてやった。

 所詮、人間など下郎なのだから。

 そしたら今度は軍隊が出動した。

 赤い旗をちらめかせるうざったい国の人間の言葉はわからないが、イントネーションが独特なせいか、それに立腹し、ついつい一人残らずブチ殺してしまった。

 月草は山を越え、旅行を楽しんでいた。

 こうしてみると地球はでかい。

 この雄大な大陸が自分の所有物だと思うと少し申し訳なくなってしまうほどだ。

 無論、その相手は人間のような塵芥ではない。

 どこぞの沼地ではじめて難民というものを見つけた。

 人間が人間の形成した倫理から逃れている。

 滑稽だった。

 難民は泥の中を這うように逃げている。

 その中の数人を殺し、栄養を補給してみたら、彼らのバッグや懐から何故かブランデーが検出された。

 月草の母国では近代になってようやく普及してきた酒であり、母国では昔から米の酒を多様していたため口にしたことがない。

 明治になって葡萄酒を飲んでみたが、あれは最近母国に跋扈しているワインとは全くの別物だった。

 月草はブランデーを飲んでみた。

 ・・・どこか葡萄の風味を感じられた。

「妾の好みではないな」

 月草は進む。

 すると先に兵士らしき人間を発見した。

 もとより兵士など月草から見ればゴミクズ同然。

 しかしその兵士の様相が今までみていた兵士とは違う。

 最も違うのは当然である。何故なら彼らはオーストリア兵士であり、月草が戯れに栄養を採取した兵士はソ連兵だったのだから。

 ここは、国境近くの湿地帯。

 

「会長。部隊の配置が整いました」

「会長。多国籍軍とのアクセスに成功。さらにミサイルも全弾発射準備完了にございます」

「会長。異能兵、捕獲隊、突撃隊(ゲシュタポではない)、攻撃迎撃部隊、装甲兵、異形兵の準備完了」

「会長。異形兵器、化学兵器、生物兵器、核兵器の準備も万端です」

 レクリエールに部下達の声が頼もしく聞こえる。

 おそらくこれだけあれば超大国とも渡り合えるに違いない。

 レクリエールは月草を舐めてはいなかった。

 彼女の手元の書類と電話による情報では、ソ連を後ろ盾にした中国の軍隊と渡り、勝利を収め、ソ連兵の駐屯部隊を壊滅させたという。

 並大抵の異形ではない事が窺える。

「そう、私はここに留まります。要塞は大丈夫ですね」

「はっ。難攻不落と呼ばれた我が異能要塞は無敵といえましょう」

「・・・・・・油断はしないように。相手はその異能要塞を陥落した異形ですから」

 実に冷たい声。

 くわえてレクリエールの目は明らかに軽蔑に満ちている。

「し、失礼いたしました!」

 そう、レクリエールがわざわざこんな仰々しい部隊を編成させたのには理由がある。

 普通に異形程度ならオーストリア国境沿いに建てられたヴァリス要塞を持って異形を拿捕するのだが、月草という得体の知れない異形は、当然要塞という名の如く防衛にかけてはエキスパートともいえる存在であるにもかかわらず、10分も経たずに陥落してしまうという痴態を晒してしまった。

 たしかにこの時代に異能封じは存在せず、異能の攻撃には脅威はあるとはいえ、要塞が10分で陥ちるなど正気の沙汰ではない。

 さすがにレクリエールも本腰を入れなくてはならないと察したのだろう。というよりこの異常事態に動じないのはよほどの大物か馬鹿しかいない。

 目の前にいるこの馬鹿は飛ばそう。そうレクリエールは決心した。

 まったくもって哀れな馬鹿である。

 レクリエールは冗談めかして皆に伝えた。

「では皆さん。神の加護があらん事を―――」

 その神の異端者共の筆頭が何を言っているのかと思う者がいなかったわけではないが、異能協会は魔女狩り以降信者が続出しているのでほとんどの部下はその言葉に明確な意味を感じ取れなかった。

 ちなみにレクリエールは無神論者である。

 

 月草は苛いらついていた  

 次から次へと人間が攻撃してくる。

 今度は戦車が大隊を率いてきた。

 はっきり言ってうざったい。

「破壊掃射」

 その一言と共に戦車は全て塵と消えた。

 月草は進行する。

 爆撃が始まった。

 上空から焼夷弾が落とされる。

「反射」

 途端、焼夷弾は有りえない事に空中で停止し、重力に逆らい戦闘機に戻り、戦闘機は粉々になった。

 市街に入る。

 すでに住人は非難したのか民間人の姿が見えない。

 それに乗じて国際法違反のガス攻撃が始まった。

 これはマスタードガスだろうか。

「霧散」

 ガスは全て虚空に散った。

 ビルの隙間から重機関銃が無数に乱射される。

 無駄だというのに。

「真空出没」

 既知外じみた弾丸は空中に停止し、宙を漂った。

 月草がビルの中に潜む兵士を睨む。

「死ね」

 兵士は死んだ。

 さらに進むとバリケードと共にその後ろに嫌がらせみたいに点在する大砲と機関銃が装着され、多数の兵士が存在する。

 ほんとに邪魔だ。

「死ね」

 その言葉を聞き取ってしまった兵士は全員死亡した。

 そう。

 月草はその一言で生物を抹殺することができるのだ。

 しかし耳が遠いのか聞き取れなかった兵士達は当初、突如死亡した同胞に困惑を覚えたが、プロとしての誇りかすぐさま大砲を発射し、機関銃を乱射し、戦車を進軍させた。

「耳が遠いのか・・・愚かよな」

 月草は笑いもせず、軽蔑しきった眼差しでそれらの攻撃を見る。

「絶対零度展開」

 市街一帯は突如、零下273℃になった。

 兵士も戦車も凍りつき、機関銃と大砲以外は月草に到達できなかった。

「真空出没」

 しかしこの瞬間市街は重力の片鱗から開放され、弾丸はあさっての方角に消えてしまった。

 月草はつまらなそうに進行する。

 すでに絶対零度は溶けているが急速冷凍し、即死した兵士に生存者はいない。

 月草の眼前に聳え立つ、凍りついたバリケードを見る。

「建造物破壊」

 バリケードは霧状になるまで粉々になり、宙に散った。

 

 レクリエールの耳に入るのは文字通り耳の痛い報告ばかり。

「また・・・全滅ですか・・・」

 もういいかげん聞き飽きた。

 まさに悪夢だ。

 生まれてこの方こんな出鱈目な異形は見た事がない。

「これで4つの街と3つの要塞と20の部隊が壊滅しました」

「・・・・・・・・はあ」

 重いため息。

「ガス兵器も生物兵器も異能兵器も何の役にも立ちません」

「ミサイルを発射しましょう。都市の一つや二つは・・・しょうがない、犠牲になってもらいます。とりあえず避難勧告を」

「はっ」

 レクリエールは椅子を回転させ、後ろにある窓から街の景観を見やる。

 空はすでに夕日に染まり、今が夜である事を痛烈に感じさせる。

 そんな侘しい世界を眺め、また深いため息をついた。

 

「死ね」

 街の住民は全員死亡した。

 スピーカーというやつは中々役に立つ。

 街中に死ねという言葉を流す事で兵士も民間人も全員抹殺できた。

 おそらく耳が遠い老人や耳に障害がある人間以外は死んだはずだ。

 もっともそいつらも突如死亡した大量の人間を見て狂い死んだ事だろう。

 ふと、空を見る。

 轟音が轟いたからだ。

 そこには流れ星みたいなものが無数に飛来してきた。

 それがミサイルの束であると気付くのに大した時間はいらなかったのは言うまでもない。

「愚か者めが」

 月草は嘲る。

 生物の類では死ねというだけで死んでしまうから無機質なミサイルで攻撃するとは。

「方向転換」

 その言葉と同時にミサイルはまったくどうでもいい方向に進路変え、そこで大爆発を起こした。

「・・・しかし、それほどまでに妾の旅を邪魔するか」

 月草は傷一つない無人の街を練り歩いた。

 

 レクリエールは絶望した。

 何をしてもどうにもならないあの化物に完全に絶望した。

「どうしろと言うんです・・・本当にジュイゾが来ますよこれは・・・」

 部下たちも落胆するレクリエールにかける言葉が見つからない。

 それほどまでに月草は出鱈目だった。

 奴が国境を越えてから2ヶ月。

 すでに異能協会は人員の3分の2が失われ、多国籍軍も崩壊。国民皆兵士たるスイスもおそらくあっという間に壊滅する事だろう。

 どうにもならなかった。

「・・・こうなったら異形組織に助けを借りますか」

 そんな最終手段ともいえる言葉に部下達は驚愕した。

「え!? しかしそれは・・・」

「まだ手は無くなったわけではありません! 会長、核兵器が残っています。もう形振り構わず全弾発射しましょう! 地表ごと焼き尽くせばさすがの奴も死以外ありえません」

「じゃあ5メガトン級から全弾発射します」

 

 さすがの月草もこれには呆れた。

 すでに100万人近い人間を殺しているが、だからと言って核兵器はないだろう。

 最初の一発を喰らった時は死ぬかと思った。

 方向転換で一発を数キロ先まで吹き飛ばしたのに爆風と高熱と放射能がここまで到達した。

「全身再生」

 月草は全身焼け爛れた体を再生する。

 ふと周囲を見回すと地獄絵図だった。

「本陣を叩くしかあるまいな」

 実は月草の防御力はさほど高くない。

 だから、喰らう前に皆殺しにするのだ。

 しかし核攻撃はまずい。

 どうしても喰らってしまう。

 

「吸血皇帝に連絡を」

 レクリエールが秘書に向かい重々しく告げた。

「は?」

 しかし秘書にはさっぱり理解できない。

 それがレクリエールを立腹させた。

「リメルバ―皇家に連絡を取りなさい!」

「は、はい!」

 レクリエールは苛ついていた。

 数十発にも及ぶ核攻撃にも拘らず、月草は進行している。

 あれ一発何億フランしたと思っているのか。

 いや、すでに被害総額は兆に達そうとしている。

 オナシスに金まで借りたというのに。

「か、会長・・・あの・・・お取次ぎを・・・」

 秘書が少しおどおどしながら受話器を渡す。

 レクリエールは気付いていないが今彼女が鏡をみたらきっと卒倒ものだろう。

 泣く子も黙るほどに凶悪な表情をしていた。

 レクリエールは乱暴に受話器を受け取る。

「皇帝陛下でございますか!?  私はリディア・ヨハネ・レクリエールと申します!」

 まさに喧嘩腰だった。

 おそらく宮廷では絶句していることだろう。

 実際レクリエールの秘書は絶句していた。

 

 吸血社会の最上位。グロティア・リメルバ―は本当に絶句していた。

 いきなり天敵ともいえる人間組織、異能協会の支配者から電話があったときは正気の沙汰ではないと思った。

 そもそも本来なら取り次ぐはずもなく、実際欧州の支配者、ルビデの城であったとしても取次ぎなどしなかっただろう。

 しかし月草のせいで世界が震撼し、アメリカあたりはこの騒ぎに乗じてソ連が進行してきやしないかと懸念しているくらいだ。

 だから異能協会が泣きついてきた事を利用できると重い、受話器をとったのだが、まさか支配者がここまで喧嘩腰に喋られるとは思わなかった。

 まさに正気の沙汰ではなかった。

「う・・・うむ、何用だ?」

「はい! 私は陛下に具申致しましたい事がございます!!」

 その声は既知外みたいにやかましかった。

 さすがの皇帝もたじたじになるほどである。

「申せ」

「陛下のお言葉で全ての吸血種を私めにお貸しくださいませ!!」

 皇帝は再び絶句した。

 狂乱じみた人間の言葉は正気の沙汰ではなかった。

「な・・・何・・・」

 レクリエールの怒号にも等しい申し出は止まらない。

「ご存知の通り現在極東の異形、月草がオーストリアに進行してからというもの、一瀉千里の勢いで破壊の進行を遂げております! すでに月草はスイス国境にまで迫り、このままでは世界の秩序と尊厳の危機にございます。陛下のお作りになられた社会ももはや月草のせいで日々、瓦解しております。すでにプライシア公爵は月草によって屠られ、吸血の英雄、涙王ジルン子爵もその麗しい姿態を晒せぬ姿にされた模様にございます。もはや一刻の猶予もございません!! 今こそ共に月草を屠らねばならないのです!」

 弾丸のように捲し立てるレクリエールの言葉の半分は理解できなかった。

 しかし公爵と英雄子爵が屠られた事には憤りを感じていた。

 しかし皇帝は絶海の孤島に宮殿を構えており、月草が進行してくる気概はない。

 皇帝は考え、口にした。

「よかろう。・・・しかしならばそちが朕に向けている全ての兵器を撤去しろ」

 どうせ言っても異能協会は攻撃してくることは重々承知であったが、所詮人間など不死たる存在である吸血鬼の相手になるはずもない。この隙に乗じて異能協会を壊滅させ、吸血社会を絶対の千年王国とするのだ。

 そんな腹積もりが見え隠れした。

 

 レクリエールは予想していた。

 どうせ兵器を解体しろというのは予想の範疇にあったことだ。

 だから上っ面だけ虚偽の公約をした。

「畏まりましてございます陛下」

 もちろん月草を屠った暁には返す刀で疲弊した吸血種を皆殺しにし、この世から吸血鬼を絶滅させてくれる。

 そんな腹積もりが見え隠れしていた。

所詮不死と言えどいくらでも殺し様がある。

ブルガリアに伝わる無敵の吸血鬼抹殺の秘伝から、中国に伝わる吸血鬼唯一の駆除手段まで完全に網羅している異能協会にとって吸血鬼など脅威ではない。

 レクリエールは電話を切った。

 秘書はその時のレクリエールの表情に明らかな脅威を悟った。

 文字通り、大人ですら号泣必至の様相である。

 レクリエールはべそをかいている秘書を見て、怪訝そうに訊ねた。

「どうしたんです? 泣いたりして」

 レクリエールは気付いていなかった。

 

 月草は国境まで来た。

 すでに核攻撃に疲弊しきっていた。

 いくら再生させても襲い掛かる悪魔の爆風。

 いくら冷やしても焼き尽くす煉獄の灼熱。

 しかし遂に、弾切れのようだ。

 しかし許される事ではない。

 何が何でも本陣を壊滅させてくれる。

 将軍を八つ裂きにしてくれる。

「おのれ・・・今度は蛇蠍の類か」

 国境にささしかかった途端、吸血鬼の集団が襲い掛かってきた。

「死ね」

 しかし吸血鬼は体裁上不死であるため、口にしただけでは死なない。

 月草は幾許の驚愕を覚えた。

「落雷!」

 月草の怒号と共に落雷が発生する。

 それを直撃した吸血鬼のうち、数人が死亡した。

 それは中国の吸血鬼と、吸血嗜好症の人間だった。

 一応彼らも吸血種である。

 しかし他の吸血種は無事で、月草に襲い掛かる。

 月草の母国にも吸血種がいないわけではない。

 鍋島の猫なる吸血種がそれにあたる。

 しかし欧州やアジアの吸血種の知識は全くなかった。

「おのれ・・・蛇蠍の分際で・・・」

 月草は取り付いた吸血鬼共に向かって言った。

「絶対零度展開!!」

 周囲が零下273℃になる。

 月草に取り付いた吸血鬼が凍りつき、粉々になる。

 しかし周囲にはまだまだ元気そうな吸血鬼が横行している。

 不死は実にたちが悪い。

「破壊掃射!!」

 月草が吼える。

 途端、光の束が吸血鬼を襲う。

 吸血鬼共はその光の塊を直撃し、次々と灰になった。

 月草が笑った。

「そうか・・・貴様等は破壊掃射で駆逐できるか」

 なんという邪悪な笑みだろうか。

 もう、止まらなかった。

 月草は破壊掃射を連発した。

 丸半日かけて数万もの吸血鬼を一掃できた。

「おのれ・・・蛇蠍共めが・・・」

 さすがに無傷とはいかなかったのか月草は全身が傷ついている。

 国境は灰の山で埋もれている。

 ちなみにこの破壊掃射は1回で要塞を破壊できるほどの攻撃力がある。

 マジノ要塞クラスならば5秒で塵芥だろう。

 10分もったヴァリア要塞がどれほど強固な要塞か窺える。

 ましてや吸血鬼の恐ろしさときたら何をいわんやである。

 

 この報告はレクリエールにも皇帝にも耳を疑う程の衝撃を与えた。

「はは・・・は・・・もう、駄目・・・」

「馬鹿・・・な・・・全滅・・・だと・・・」

 皇帝は万が一を備え、吸血鬼の4分の3を停滞させておいて本当によかったと思う。

 そういう点では皇帝の方がショックが小さい。

 しかしその4分の3で異能協会を壊滅させようと画策していたのが頓挫してしまったが。

 

 レクリエールは発狂寸前だった。

 わずか2ヶ月足らずで多国籍軍、異能協会、吸血社会を駆逐したのだから気がふれないほうがどうかしている。

 逃げようかとさえ思った。

 どうせ負けるに決まっている。

 しかし異能協会の会長として逃げることは、彼女の誇りが許さない。

 レクリエールは最後の理性を振り絞り、号令をかけた。

「私です。全軍協会に戻りなさい。篭城を決行します」

 攻撃は最大の防御というが大嘘だ。

 攻撃なんかすればするほど傷ついていく。

 防戦しかない。

 月草という史上最悪の化物に対抗するにはコレしかない。

 

 皇帝も似たような考えだった。

「可能な限り宮廷を守れ。ルビデの城を囮にしてでも宮廷を阻止するのだ!!」

 獰猛かつ恍惚な貴族。吸血鬼がついに形振り構わず守りに入った。

 それほどに月草は恐ろしかった。

 

 月草はついにスイスに入った。

 ローザンヌまでまだだいぶ距離があるが当てにしない方がいい。

 そもそも月草は相手が何もしなければこんな蹂躙はしない。

 地球最高の存在たる妾が下郎の侘しい生活を破壊するほど下衆ではない。

 せいぜい下郎らしく妾の栄養となればそれで許せる。

 この寛大な心の広さときたら海よりも広いだろう。

 下郎が己の命を守るため命乞いをするならば許してやらん事も無い。

 しかし今回のように明らかに妾に対し、牙を剥いたのであるならば話は別だ。

 下郎の分際でこの地球の主人が誰であるか身を持って教えてやらねばならない。

 その気になれば人類など1秒で絶滅だということを叩き込んでやらねばなるまい。

 命乞いをし、涙を流し、汚物を垂れ流すまで殺し尽くしてくれる。

 となると将軍は簡単に殺さないほうがいい。

 奴を市中に引きずりまわし、地球の主人が誰であるかを奴の体をもって証明させてくれる。

 達磨にして、汚物を流し、目玉を抉り、髪を抜き、耳を削ぎ、歯を全て抜き、鼻を潰し、骨を砕いた状態で泣きながら命乞いさせてくれる。

 その後で蛙のようにペシャンコに潰して薄汚い断末魔を上げさせて殺してやる。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 しかし不思議だ。

 先ほどまで昼夜問わず攻撃をしてきたというのに国境を越えてからまだ一度も攻撃がない。

 降参の証だろうか?

 もっとも許す気はないのだが・・・まあその殊勝な態度に免じて一般の下郎は捨て置いてやろう。

 窮鳥懐に入れば猟師も殺さずと言うし。

 

 レクリエールは怯えていた。

「今、月草はどこにいますか?」

 ふと周りを見ると皆一様に怯えていた。

「現在トゥーンを通過。こちらが篭城をしているためか、月草からの攻撃はありません」

「そう・・・」

 レクリエールは告げた。

 それは哀しさに満ちた声だった。

「もし・・・命が惜しいのであれば投降しても、逃走しても構いませんよ」

 しかし部下たちは首を横に振った。

「会長・・・いや、同志レクリエール。我々の誇りにかけても敗走は許されない」

「そもそも異能協会の根底は相互扶助・・・逃げるなどと本末転倒も甚だしい」

「確かに月草であるならば篭城は意味を持たず、異能協会は1500年の長い歴史に幕を閉じる事になるかもしれません。しかし我等には1500年の歴史の上に立つという誇りがある。その我等を愚弄する気か? 同志レクリエール!」

「むざむざ城をあけ渡すくらいならば、誇りと共に死ぬべきであろう」

 彼らはプライドが高かった。

 それは、レクリエールにはないものだ。

 誰にも言えない事だけどレクリエールは会長としての誇りと自分の命を天秤に賭けていた。

 現在では誇りがかろうじておしているが、いつ何時命を取るかわからない。

 そんな、非常に危うい状況にいたのだ。

 レクリエールもプライドは高いほうだが、命との両輪に打ち勝てる程は強くなかった。

 しかし皆の士気が衰えてない以上将たる自分が弱気になることは許されない。

 嫌な葛藤だった。

 

 月草は遂に本陣に辿り着いた。

「なるほど・・・篭城か」

 まるで巣に潜り込んだウサギだ。

 しかしウサギの分際で妾に噛み付いたのだ。

 許すわけにはいかない。

 巣に潜り込んだのならば、手を突っ込んで引き出すまでだ。

 月草は平然と異能協会の敷地に入った。

 途端、銃声が轟く。

 その場を指揮していた者が吼える。

「撃て! 月草が異形の異端者と言えど不死ではないのだから活路はある!! 撃ち殺せ!!」

 全くもって愚かな。

 ウサギというよりは蛇か。

 鎌首を擡げよった。

「死ね」

 しかしその言葉に死亡する者はいなかった。

「何故・・・・・・」

 月草が驚愕する。

 その際に数発の重機関銃の弾丸が直撃した。

 月草は膝をつく。

「ふっ。舐めたな月草」

 会員は全員耳栓をしていた。

 学習している。

 先ほどの怒号も気をこちらにむける囮か。

「耳を封じたか・・・・・・おのれ下郎が」

 月草の色が憤怒に変わる。

「破壊掃射!!」

 直後、光の束が会員を襲う。

 会員は予測していたようにバリケードを展開、光の束の盾となった。

 それはフロントガラスの壁だった。

「光を・・・吸収したか」

 かなり学習している。

 陥落は中々難しい。

「では・・・・・・下郎らの知らぬ言葉を発してやろうぞ」

 月草の表情が凶悪になる。

 会員は身を構えるが無駄。

「斬切掃射!」

 巨大なかまいたちが出現。フロントガラス諸共会員を真っ二つにした。

 しかし会員も陣形をなおし、機関銃を乱射する。

「凍結」

 絶対零度展開とは違う、凍結。

 これは正確に弾丸と機関銃、そして会員を凍結させた。

 しかしまだまだ会員も武器も揃っている。

「下郎、破壊掃射は防げてもこれは防げまい」 

 突如、上空からナパーム弾が降下してくる。

 狙い済ました攻撃。

 月草の気をとっている最中に焼き殺す。

「破壊放射!!」

 光の束が幾重の条となって、捻じれ、拉げ、各方向に蛇のようにうねりを上げて襲い掛かる。

 無論、上空にも。

 破壊掃射が光の大砲なら、これは光の津波。

 しかも全方向ときている。

 ナパーム弾は上空で爆破。しかも光の竜は方向を変え、下降し、前方の蛇のとぐろと重なった。

 後方にいった蛇は分裂し、前方に向かった幾重もの蛇と重なった。

 いつしか蛇は前方にのみ、進路をとった。

 まさに津波に見えた。

 光の蛇というか蛞蝓が襲い掛かってくる。

 その光は問答無用に外に構えた会員を皆殺しにしてしまった。

「ふん、下郎が」

 月草は粉々になった異能協会の庭を悠々と踏み荒らしながら、内部へと侵略した。  

 

 レクリエールは窓ごしに絶句していた。

 何だアレは?

 光の蛞蝓が会員や武器に吸い込まれ、内部から木っ端微塵にしてしまった。

 まるで風船を膨らましすぎて破裂したのと同じだ。

 おかげで異能協会は無事だったが・・・しかしアレはおかしい。

 我々は、あんなのに牙を剥いたのか・・・。

 今更ながら後悔する。

 

 月草は次々と殺していった。

 内部に入ったのは将軍を八つ裂きにするためだ。

 中には全裸になり、命乞いする者もいた。

 しかし月草に仏語などわかるはずもなく、「死ね」の一言で殺してしまった。

 耳栓だけはしておけばよかったのに。

 中からは手榴弾の嵐に見舞う。

「ぐっ・・・」

 月草は無敵ではあっても不死身ではない。

 全身ボロボロになりながら上へ上へと蹂躙する。

 さすがに本陣。

 今までとは比べ物にならない凄まじい攻撃に見舞う。

 核攻撃の嵐の時と似ている。

 それくらいの攻撃。

 2階、3階、4階と皆殺しにしていく。

 協会内は武器よりも異能攻撃主体だった。

 近代兵器と異能のコラボレーション。

 手榴弾や機関銃が飛び交い、異能で攻撃する。

 月草は流石に手を焼いた。

 当然「死ね」と言ってもこの轟音と耳栓効果で聞こえるはずもなく、建物内では破壊掃射、破壊放射、斬切掃射、絶対零度展開、凍結、落雷、真空出没が使えない。

 建物が瓦解した場合生き埋めになるからだ。

「真空放射!」

 真空の塊をぶつけ、攻撃する。

 ちなみに月草のこの一連の名前は能力ではなく『技』にあたる。

 異能や異形の中には自分の能力を鍛え、『技』を取得する者は少なくない。

 しかし月草の場合とにかくバリエーション豊かだった。

 弾丸が飛び交う。

「方向転換!!」

「水流砲撃!!」

 会員は未だ衰えぬその多彩な技のデパートに辟易するばかりだった。

 次々に死んでいく会員。

 しかし月草もかなりやばい。

 さすがに2ヶ月半も不眠不休で殺しまくっていれば危険域に達するというもの。

「下郎・・・・・・共・・・が・・・」

 5階、6階、7階、8階そして最上階9階。

 月草は最後に到達するその先にレクリエールの側近4人が立ちふさがっていた。

 彼らに武器はない。

 おそらく異能なのだろう。

 とっとと殺して大将の首を取って寝よう。

 さすがにきつい。

 今まで一人残らず殺したのがまずかった。

 徹底にやりすぎて傷を負いすぎた。

「月草・・・」

 一人が呟いたと同時に彼の異能を発動した。

 空間閉鎖。

「何!?」

 さらにもう一人が異能を使う。

 形状爆破。

「げ、下郎!!」

 その矢継ぎ早の攻撃。 

 物質反逆。

「ぐはあ!!」

 留まる事を知らない。

 細胞破壊。

「ぎゃああああああ!!」

 月草は絶叫する。

 さすがにこれは致命傷に近い。

 ズタズタの体を何とか立て直す。

「ぜ、ぜ、全身・・・再・・・」

 しかし攻撃は止む事を知らない。

 月草は潰され、爆破され、肉体を反逆され、細胞を破壊されてゆく。

「・・・・・・・・・死・・・」

 月草は最後の手段に出た。

「・・・・・・・・・ね・・・」

 その声はなんだろう。

 4人の脳内。

 4人の記憶。

 4人の心の中。

 4人の魂の中に月草が出没した。

 4人は心の中で絶叫した。

 4人は聞いたのだ。

 心の中で聞いたのだ。

 月草の声を。

「死ね」という禍々しいその声を。

 4人は、心の中で、死亡した。

 

「ぜ・・・・・・ん・・・・・・・・・・し・・・・・・・・・ん・・・・・・・さ・・・い・・・・・・せ・・・・・・・・・い」

 月草は再生した。

 さすがにやばかった。

 あと1回攻撃を喰らっていれば死んでいただろう。

 危なかった。

 窮鼠猫を噛むというが、窮鼠は出鱈目に強かった。

 おそらく猫どころか虎さえも噛み殺すに違いない。

 月草は体が回復するのをまって、会長室のドアを破った。

 

 レクリエールは心臓が破裂しそうだった。

 しかし会長として逃げる事は許されない。

 だからこうして椅子に踏ん反り返っている。

 とりあえず秘書は逃がした。

 運がよければ助かるだろう。

 ドアが破られる。

 そこに悪魔を超越した化物が出現した。

 どこかの民族衣装だろうか。変わった服を着ている。

 しかしその眼は禍々しく、毒々しく、気色悪いの極致だった。

「・・・・・・お前が・・・将・・・なのか?」

 月草の言葉は異国の言葉でよくわからない。

 たぶん日本語だろうかレクリエールにはわからない。

 それは、幸いだったのか。

 

 月草は驚愕した。

 椅子にすわる将軍は女であった。

 いや、それは、まあ許すとしても、だ。その年齢がおかしい。

 どう見ても10かそこらの子供ではないか。

 なんだこいつは?

 こんなガキが将であるはずがない。

 となるとこのガキは囮か?

 とりあえず確認してみるか。

「・・・・・・お前が・・・将・・・なのか?」

 しかしガキは何がなんだか判らないといった顔をする。

 やはり違うのか。

 当然だろう。

 となるとこいつを餌に逃走したか。

 なんという下衆。

 不意に、今まで殺した下郎共が不憫に思えてきた。

 わざわざガキを餌にしてまで逃走するような虫けらの命令一つでこの妾に牙を剥いたのかと思うと少し思うところが無いわけでもない。

 窮鳥懐に入れば猟師も殺さず。

 それが妾の座右の銘と言えるであろう。

 仕方ない。兵は死してこそ兵であるが妾に餌を差し出すとは完全な侮辱。

 何としても将を探し出し八つ裂きにしてくれよう。

 しかしここでこの餌を食しては妾の沽券に関わる。

 ならばこのガキは許してつかわそうか。

 ふむ。妾も鬼ではないからな。

 なんという寛大な心だろうか。いやまったく。

 神仏にも等しいとさえ、思う。

「貴様にも不憫に思う。しかしだ、仮にもその椅子に座るは妾に対しての侮辱と捉え、よって貴様は永劫に立つ事も、歩く事もできぬようにしてやろう」

 さすがに只とは言わない。

 いくら餌にされたガキでも責任はとってもらう。

 ま、殺しはしないだけこのガキも嬉しかろうて。

 まったく慈悲に満ちたことだな。

「永劫切断」

 月草はそう唱えた。

 

 何の事は無い。もう一生足が使い物にならなくなっただけだ。

 それで命が救われたのだから安すぎる。

 しかしこの容姿が役に立つ時がこようとは思わなかった。

 ひょっとしたら月草は優しい異形なのかもしれない。

 いや、それはないか。

 レクリエールは椅子に座ったままそんな事を考えていた。

 月草は、もういない。

 会員も、もういない。 

 自分一人、まあ秘書合わせれば二人だが、それ以外は殺されたというのに生き恥を晒すとは・・・。

 レクリエールは哀しさと自嘲の渦に飲まれて狂ったように笑い転げた。

 

 

 

 概要。

 異能協会最後の会長レクリエールの頃に大事件が起こった。

 それは月草と言われる異形の拿捕だった。

 しかしそこらへんに跋扈しているカス同然の異形とは違い、月草レベルの異形にそんな真似できるはずが無かった。

 月草は異常なまでに強かった。

 月草がこの後に異能女王と呼ばれるようになるのも頷ける。

 たった一体の異形のために、百万の犠牲を生んだ。

 時は1970年。

 いうまでもなくベトナム戦争中であり、さらに去年月に降り立った2人の男で持ちきりになっていた、そんな時期。

 月草は大陸を渡り、オーストリアを戦火に致命的な敗因を与え、スイスに侵攻し、1500年の歴史を誇る異能協会を壊滅させた。

 月草はその後、在り得ぬ将軍を追って世界中を駆け巡っているらしい。

 これを、月草事件という。

 

 それから残されたレクリエールを人類が担ぎ上げ、吸血鬼の侵攻を防ぐために国連組織IEEOを設立。

 形式は異能協会をそのまま変更したようなもの。

 レクリエールは再び笑った。

 

 

 

 ルーシアは語り尽くしたと言わんばかりの達成感に包まれていた。

「・・・・・・とまあ、こんな話かな」

 当然であるが彼女が話したのは最初と最後の概要だけだ。

 所要時間は5分程度。

「あっさり終ったな」

 簡潔な説明だった。

「ま、聞きたい事があったら英国代表のこの私に聞くがいいわ」

 ルーシアはそう傲慢に笑った。

         

         

  

 高也とシャトーは後日帰国。

 例によって長い道のりを乗り越え、若菜市に到着した。

「今日はサファイアに向かってくれ」

「かしこまりました」

 車は進路を変え、サファイアへ向かう。

「物でつるか・・・」

 シャトーは少しだけ嘲るように笑った。

 現在時刻は夕方4時。

 冬のためか空は茜色から紫へと変色しようとしている。

 車は停止する。

 高也が車から降り、店内に入っていく。

 シャトーは車内に残り、嘲るように笑っている。

 

 店内に入ると相変わらず巨大なサファイアが原色に近い色で佇んでいる。

「いらっしゃいませ」

 栄美の声が店内を駆け巡る。

 平素な声だ。どこか人間っぽくない・・・というか擬似的に聞こえる。

 高也はあのサファイアを見て、ふいに一昨日のルーシアの会話を思い出した。

「・・・・・・・・・まさか、な」

 高也は首を振ってその思考を否定し、サファイアから眼を離した。

 その異質な表情を読み取ったのか、栄美はかなり訝しい顔を露骨なまでに現した。

 

 高也が自宅の門を叩こうとすると、何故か鍵がかかっていた。

 留守かと懸念もしたが車庫に他屋の車も菓子の車もあり、留守の可能性は極めて低い。

 こんな田舎ではどこにいくにも車は必須だからだ。

「あ〜あ」

 シャトーが含む笑みを浮かべる。

 その笑みの意味する所は的中し、玄関も鍵がかかっていた。

「陰気な真似を・・・」

 高也は呆れながら自前のキーで玄関を開ける。 

「ただいま」

「ただいま」

 しかし返事はない。

 よく見ると電気もついていない。

 高也はため息をついた。

「つくづく陰気な真似をする」

「はっ」

 シャトーが鼻で笑う。

「シャトー」

「だからわたしは早く帰ろうといったのに」

 高也は他屋の部屋に向かう。

 鍵がかかっていた。

「なんちゅう陰気な・・・」

 高也とりあえず返事をしてみる。

「おーい、姉さん」

 返事はない。

「ごめんよ。いや、確かに1日遅れたことは悪かったよ。でもちゃんと連絡したじゃないか。そんなに怒らなくてもいいじゃないか」

 しかし一向に返事は無い。

「ほんとに悪かった。何なら土下座でも何でもするから許してくれよ。このとおりだ!」

 高也が本当に土下座して謝罪している。

 シャトーは遠巻きながらその滑稽な光景を眺めていた。

 局員が見たら軽蔑は必至だろう。

「姉さん! もう許してよ。こんなに謝っているじゃないか。なにがそんなに気に食わないんだ。というか俺にこれ以外の行動はできないんだぞ。何でもするから許してくれよ」

 シャトーは呆れた。

 何でこんなに腰が低いんだこの男は?

 シャトーは踵を返す。

「・・・・・・・・・・・はあ」

 シャトーは深い深いため息をついて部屋に戻っていった。

 どうやら愛想が尽きたようだ。

 シャトーの背中の光景では土下座する高也の眼前のドアが開き、他屋が姿を現していた。

         

 

 

 現在では異形の召喚は禁止されている。

 ちなみに召喚した場合は死刑は免れない。

 異形を召喚するような人間にろくなのはいない。

 そもそも召喚する事自体、並大抵のことではないのだ。

 基本的な異形召喚は魔法の模倣の一つとして昔から行われてきたが、姿なき霊体ならともかく姿をもった幻想生物を召喚できるのは召喚師の中でも0.1%未満である。

 しかしそれでも極々僅かの人間は異形の召喚を可能にしている。

 溢れんばかりの才能と弛まない努力の末に可能とする異形召喚。

 当然そんな事をする目的にろくはものはない。

 軍事目的、営利目的、カタストロフ、コレクト、死者蘇生。

 ちなみに最後の死者蘇生に関しては多くの召喚師が行うものである。

 そもそも死者蘇生の類は非常に特殊な手法を用いなければ成功しない。

 しかもあえていうが、死亡届を提出してしまった場合、たとえ蘇生しても社会的価値は皆無であり、役所に取り下げに赴くと例外なく軋轢が生じ、IEEOの連中の耳に入り、蘇生した人物もろとも殺害してしまう。

 したがって蘇生に成功してもその99.999%は人知れず隔離しながら生活を送らなければならなくなってしまう。

 死者蘇生の手段は以外と沢山ある。

 死体を修復する方法、記憶を奪還し、健康な肉体に移植する方法、吸血鬼にやらせる方法、死者を召喚する方法、幻想生物に蘇生させる方法、夏御蜜柑に泣きつく方法、怪物に変貌させる方法、平行世界から強奪する方法、他にも多数。

 したがって超一流の蘇生師は死体が誰にも漏洩していない状態で、当然病院以外で死んだ場合で、届を提出していない場合で、蘇生可能な場所であること意外では絶対に蘇生しない。

 したがって現代社会ではそう簡単に蘇生はできない。

 戦場などでは蘇生しやすいのだが。

 ちなみに局内でも平然と召喚している命知らずがいないわけではない。

 なまじ内部に精通している分、局内の目を潜り抜け召喚する者が存在するのだ。

 ほとんどが死者蘇生であるが、中国支局では公然と鈴の勅命の元、幻想生物が大量に召喚されている。

 その生物は異能封じを施した核シェルターに隔離しており、来るべき最終戦争に備えてある。

 ちなみに情報漏洩は一家斬殺。





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