疾駆する。

 誰であろうか。

 たぶん、川のせせらぎであろう。

 あるいは、橋梁された虹。

 それは端倪から狂っていた。

 

 

 

 御川は見た。

 それは川でも、その上に架かる虹でもない。

 ましてや宇宙なんてありえない。

「あ、おはよ」

 御川はそう気だるげに告げる。

 全ての意図は証明されている。

 刹那的な錯視。

 相手は千夏だった。

「あれ?」

 御川の困惑は甘い香りがした。

 いや、これは香りではなく薫りだ。

 懸念の馥郁。

 

 

 

 それは、千夏ではない、夏御蜜柑だ。

 信じられない悪夢。

 眠れない覚醒。

 狂った崩落。

 軋轢の連鎖。

 齷齪働く事の意味。

 存在の定義。

 全てが否定された現象だった。

 

 

 

 違和感。

 永遠に払拭し得ない困惑の具現体。

「おはよ」

 夏御蜜柑は笑っていない。

 あの、誰もが見た邪悪なる微笑ではない。

 まるで能面なのだ。

 機械的な挨拶は時として嘔吐感を苛ませる。

「な、夏御・・・蜜柑」

 御川が抱く違和感は全ての存在に定義されているものとして信じていたかった。

 仮定、できるのなら。

 理論武装できない真理は単なる懸念でしかない。

 違和感を払拭し、嫌疑にかけるには理論武装は絶対条件だ。

 だから、御川は理論武装できない以上、この違和感は単なるストレスでしかない。

 そういうものなのだ。

 夏御蜜柑は笑わない。

 夏御蜜柑の笑いは噴火のようなものだ。

 あるいは大地震でも、核兵器でも、超新星でも構わない。

 衛星イオがガニメデに衝突するくらいの邪悪かもしれない。

 だから、笑わない夏御蜜柑は、まるで今まで一度もお目にかかったことの無い深海魚が打ち上げられた時、あるいは空に地震雲がかかった時のような、ネズミの集団脱走のような、近い未来に悪性の結末が宿る事を示唆していそうで、どうしようもなく不気味なのだ。

 

 

 

 それを遠巻きに、千夏と蜜柑が眺めていた。

 2人の視覚にも夏御蜜柑は確認されている。

 だが、違和感。

 どこかおかしい。

 これまた具体的な理論武装は不可能だった。

「御川くん・・・」

 蜜柑が不安そうにぽつりとこぼす。

 その言葉には可能性が宿っていた。

 千夏は蜜柑同様であったが、さらなる異変を察知していた。

 あの時確かに千夏は御川の元へ駆け寄ったのだ。

 しかし、気が付いたらここにいた。

 経緯が不可思議で、理解の範疇の外だった。

「あれ?」

 だから、こんな言葉をこぼしてしまう。

「どうしてあそこに夏御蜜柑がいるのかなあ?」

 千夏の嫌疑は焦燥を纏っている。

 間隙を与えぬ瞬間の刹那。

 蜜柑は察知した。 

 だが、遅い。

「あ、危ない!」

 夏御蜜柑が能面のまま発酵した。

 発光ではなく、発酵した。

 

 

 

 まるで納豆のような夏御蜜柑。

 しかし、それでも笑わない。 

「な、何・・・?」

 御川の困惑はいよいよ臨界に埋没してしまっていた。

 電気が納豆に感電し紫煙を上げて粘っこい糸が引く。

 痺れる納豆だった。

 腐敗と発酵の違いは、細菌が分離するか化合するかの違い、即ち真逆の現象である。

 故に、これは発酵だった。

 夏御蜜柑が化合した。

 どんな化学式であろうか。

「へ?」

 もはや言葉さえも紡ぎ出せないのは彼のせいではない。

 決して。

 刹那、夏御蜜柑は存在を確定し、御川の胸倉を掴んで持ち上げた。

 夏御蜜柑は、それでも、笑わない。

「ねえ、御川ちゃん」

 その声は暗く、低く、粘っこい糸が引いた。

「は、はい!?」

「笑ってほしい?」

 もう、端倪はない。

 この世界に端倪はない。

 端倪がないのなら、間隙もない。

 つまり、ないのだ。

 御川は、存在しないものを理解したとき初めて理論武装の一翼を概念として定義できた。

 誇りに思う。

 悲惨な真理。

「ん?」

 殺意など、いや、ある。

 今の夏御蜜柑には明確な殺意が宿り、篭っていた。

 夏御蜜柑の双眸は煌々と、炯々と、言葉にするのもおぞましいほどの異常な炯眼だった。

 御川が震えた。 

 違和感は未だに宿っているが、それ以上に感じるのは恐怖。

 定義って素晴らしいと他人事のように思索してしまうほど。

 お茶目な落下点。

 

 

 

「な、夏御蜜柑・・・」

「ん? 何かな? 悔しかったら睥睨でもしてみたら? 睥睨ってわかるよね? 睨み付けることだよ」

 そのまま首を捻じ切った。

 夏御蜜柑は笑わない。

 奇怪な落下点。

 そんな奇形境界線の交錯する世界の一翼は、狂うことを拒否していた。

 蜜柑がすでに首を捻じ切られ、胴体だけの形成概念と化している御川を見て、一歩、前に進んだ。

 それにつられるように千夏も進み、御川の首を拾う。

 千夏はそのまま夏御蜜柑に向かおうとするが、それを蜜柑が右手で踏み切りを作り、静止する。

「千夏ちゃんはしなくていいから、首を体にくっつけてあげて」

「え・・・う、うん。でも蜜柑ちゃんは?」

「ちょっと・・・躾ないと」

 笑い。

 蜜柑の笑み。

 夏御蜜柑が普段しているような笑みに匹敵していたかもしれない。

 何故なら、この笑みだけで世界はゲル化してしまったのだから。

 ドロドロになった世界に蜜柑と夏御蜜柑は対峙する。

 夏御蜜柑はつまらなそうに御川の胴体を千夏に向かって投げ捨てた。

「あ・・・」

 すぐに察知した千夏は高速で御川を再生・・・否、蘇生・・・否、復元する。

「あ、起きたね」

 千夏は満面の笑みを浮かべて御川を支える。

 御川は今にでも絶叫したかった。

「うわああああああお!!」

 とでも叫びたかった。

 しかし現在は精神的、肉体的な疲弊が強すぎて、言葉は何も紡げない。

 いきなり首が捻じ切られ、一瞬で浮かんだ光景が千夏の顔という世界の瞬間移動現象は心臓を止めて飽き足りない究極の精神的衝撃力を内包していた。

 

 

 

 蜜柑は夏御蜜柑に一言だけ叱咤した。

 それだけだった。

 でも、充分。

「呪うから」

 光る。

 現象として閃光が炸裂する。

 夏御蜜柑は呪われた。  

 

 

 

 一方幻想主人と空想侍女はのんびりと紅の草原にて日向ぼっこを享受していた。

 幸福そうな眠れる大楽園。

「気持ちいいですね旦那様」

「そうですね。楽園とは0であると、よくわかりますよ」

「? 何ですかそれ?」

「さあね。そろそろ授業が始まりますから侍女さんは教室に向かってくださいな」

「え〜」

「駄々こねないの。さ、行って」

「は〜い」

 楽園は0である。

 人間の定義する理想は限りなく0に近い。

 その究極が0なのだ。

 それを認めたがらないだけ。

 これは仏教になるのだが。

 何で世界は6つあり、7つ目の極楽だけが除外されているのか。

 どうして輪廻の中で極楽だけが仲間はずれなのか。

 そもそも、極楽とは何なのか。

 世界が連環しているのなら、極楽に行く方法がなければ極楽は世界として定義不可能である。

 答えは簡単。

 極楽は、世界ではない。

 連環したくても世界ではないから連環できない。

 故に極楽は仲間はずれ。

 極楽は0か100かの二者択一なのだ。

 そして、誰もが後者を選ぶ。

 故に、極楽は天道のような世界を形成する。

 しかし、般若心経に定義された極楽は前者、即ち0である。

 つまり、存在しないから世界と連環―――リンクできない。

 極楽は存在しないから行く事が出来ない。

 極楽とは、そういう概念なのだ。 

 だから、極楽とは、0。と、いうわけだ。

 

 

 

 侍女が教室に向かうと、

 何故か3人はまだ来ていなかった。

「はえ?」        



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