力の困惑


2005/9/27(Thu)■アラーとヤハウェは同一人物

宗教とは、学問ですが、実は宗教によって違いがあります。
大きく分けて宗教とは。

学問から発展・・・仏教・儒教
農作業から発展・・・神道
暴力から発展・・・キリスト教・ユダヤ教
日常生活から発展・・・イスラム教

とまあ、代表的な宗教だけですがあげてみました。
仏教や儒教は哲学ですからどうでもいいです。
神道とは、農作業の際大自然を神格化して誕生した宗教なのでこれもどうでもいいです。
ユダヤ教は、エジプト軍の魔の手から奴隷達が逃れた果てに誕生した宗教なのでこれもどうでもいいです。
さ、今日はイスラム教です。

イスラム教とは、一言で言えば日常生活のすすめです。
例えば何故豚を食べてはいけないのか。
それは中東では豚は腐食化が早いので下手に食べると食中毒になるからです。
何故一夫多妻制なのか。
それは中東では戦争がアホみたいに多く、男性が少ないからです。
まあ、他にもアホみたいに戒律があるのですが、それは全て健常的な生活を送るために考えられたものです。

ところが、長い時がたち、常識が次々と変貌した現代。
昔ながらの生活法なんか流行んねーんだよ。といわんばかりの世界。
だから、イスラム教は取り残されたのです。
何故か?
それはイスラム教の戒律は無駄に細かく、そして中東の学問のレベルが著しく低いため応用が利かず、ただ盲目的に従う木偶人形と化してしまった者達が大量にいるからです。
いわゆる原理主義のみなさん。
きっとムハンマドも泣いている事でしょう。
自分が神格化されないために偶像崇拝を禁止したら原理主義のみなさんは何を勘違いしたのか偶像崇拝を禁止する行為そのものが偶像崇拝と化してしまったのですから。
また、ムハンマドは女性を神格化するために女性の社会進出を禁じたら、これまた原理主義のみなさんが何を勘違いしたのか男尊女卑の思想へと発展してしまいました。
イスラム教が曲がりなりにも世界三大宗教となったのはそれ相応の価値があるからです。
ただ原理的な暴力思想が巨大宗教となるはずがありません。
そう、イスラム教の根底は、素晴らしい教えなのです。
つくづく原理主義のみなさんは馬鹿ですね。
イスラム教という偉大な宗教を地の底にまで叩き落した大馬鹿者の集団なのですから。

ちなみにユダヤ教も、キリスト教も、イスラム教も、仏教も、ぜ〜〜〜〜〜〜んぶ、元々は新興宗教です。
ただ動機が金儲けではないという共通点を除けばどこにでもある新興宗教なんですよ。
つまり何がいいたいか?
それは。
金を1銭も取らない新興宗教は世界三大宗教にまで発展する事が出来る!!
という事です!!
いいですか!
学問が仏教となり、暴力がキリスト教となり、日常生活の規範がイスラム教となったのです!!
つまり。
真理と理想を論理化して伝播し、それが連鎖的な信仰を成功させれば巨大宗教へと発展するのです!!
そして巨大宗教に矛を持たせ、幾千幾万の戦いを繰り広げた時、世界四大宗教となるのです!!

そう、高校1年生の時悟ったため、深田ありは新興宗教の教祖様になろうと思ったのです。
まあ、一年で頓挫しましたけど。


2005/9/25(Sun)■究極とは、くだらない事である

死ぬまでにど――――――――――――――――――――――してもやりたいことその2。
漫画ではよく見かけるけど現実では伝説の神業と名高いトグロ型ウンコを出してみたい!!
ちないに過去最高記録は小学5年生の時、一段と半分までトグロに成功。

ただこのウンコは和式トイレでないと不可能なため、果たして死ぬまでに実現できるかどうか・・・。
そして膨大な量のバナナ型のウンコでなければならないため生理学的に可能なのかどうか・・・。
不可能への挑戦とはまさにこのこと。
まさに、神業である。


2005/9/24(Sut)■大願未だ成らず

どんなことがあろうとも死ぬまでにせめて一回はど―――――――――――――――――――――――――――してもやりたい事。
海に向かって「バカヤロ―――――――――――――!!」
と、喉が涸れるほどの大声で思いっきり叫びたい。


2005/9/21(Web)■最近更新できない

最近滅茶苦茶更新率悪いですね。
一応悪質王国は遅々としても執筆してるんですけどねえ。
深田ありの悪いクセでネタにつまるといきなり終章あたりから書き始めるクセが炸裂しまして。
おかけで3章が遅々として進まない。
だいたい60%くらいで低迷しています。
また、HP用の自殺未遂も10章は出来てるんですが他の章が全く出来てないという極端なありさま。
まあコミティア用の自殺未遂は書き終えてあるんですけどね。実はそれだけしか終わってない。
しかも昨日からコミティア用の漫画も描き始めたので悪質王国の執筆時間も大幅に減ってしまいました。
当然慟哭に至っては無視です。
くわえてもうすぐ大学が始まるためさらに執筆は遅れる事でしょう。
とどめを刺すと混沌メイド批判はまだ4行しか書いていないという有様。

さて、じゃあ今日の慟哭は・・・・・・やべえ、思いうかべねえ。
どーしよー。
うーん。
うわあ。
むむむむ。
ん?
これこそ慟哭じゃないか。
逆転の発想・・・・・・・・・なのかな?


2005/9/16(Fri)■人民は依然たる無気無力の愚民のみ

白色人種が崇め奉るイエス・キリストは黄色人種
強姦された奴隷は人間に昇格。
ソビエトは日本語で連合。
天は人の上に人を作らず人の下に人を作らずという言葉を最初に言ったのはアリストテレス
その理念を批判した人物が福沢諭吉

とまあ、他にもいろいろこんな悪質がプロパガンダの裏側があるのです。
で、今日はその天の上にから始めましょう。

『天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず』はアリストテレスの政治学の言葉。
他にもアメリカ独立宣言など、歴史において度々登場する言葉であり、福沢諭吉のオリジナルではないです。
しかも、学問のすすめとは、そのタイトルの如く、学問を推奨するための論述書であり、平等を謳った本ではありません。
もし平等主義を唱える本なら何故タイトルが平等のすすめではなく、学問のすすめなのか。
それは、学問のすすめとは、差別に満ちたこの世界で自分の身を守るための手段を推奨する内容だからです。

学問のすすめ初編の終わりはこんな文章です。
「人は生まれながらにして貴賎貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり」
これは現代語訳すると「人は生まれたときは皆平等である。しかし、学問に勤めて物事をよく知っている人は権力持ち、金持ちとなるが、無学の徒は貧乏人、下人となる」
いやあ、福沢諭吉の文章は明治時代の本とは思えないほど簡単な文章ですね。
え? むずい?
とんでもない。
本で口語体の文章が使われるようになったのは二葉亭四迷の浮雲からですが、浮雲の初版は明治20年ですが、この学問のすすめは明治13年ですので、実に7年前にしてここまでやさしい文章を実現していたのです。
しかも、この学問のすすめの執筆期間は明治5年〜9年ですから、相当昔です。
で、どれくらいやさしいか。
経国美談の一文を用いて比べてみましょう。
既ニ之ヲ得レハ之ヲ失ハンコトヲ恐ルルカ故ニ之ヲ得ルハ猛撃ナルモ之ヲ守ルハ怯儒ナル者ナリ。
・・・・・・・・意味不明ですね。
こんなふざけた文章が当たり前だった当時、ここまで意味のわかる学問のすすめがどれだけ読みやすかったか、まさに彼曰く「猿でも読める」と豪語するだけはありますね。

他にも古文解読、和歌、詩の作成を批判し、そんなものをするくらいならいろは47文字、天秤の使い方、そろばんの稽古を学べと断言し、地理を学ぶなら日本だけではなく世界全土を見ろとか、歴史を学ぶなら日本だけではなく世界史も学べとか、漢文を覚えるくらいなら横文字を覚えろとか言いたい放題です。
その挙句、そうする事で「身も独立し家も独立し天下国家も独立すべきなり」とまで言っています。

しかも結構内容も過激で、「理のためにはアフリカの黒奴にも恐れ入り、道のためにはイギリス、アメリカの軍艦をも恐れず、国の恥辱とありては日本国中の人民一人も残らず命を棄てて国の威光を落さざるこそ、一国の自由独立と申すべきなり」とまで言っているのです。
すくなくとも、平和や平等を謳った内容ではないことを、この文章だけで判別することができるでしょう。
それにしても現代語訳せずに内容を一発理解できる文章を明治時代の人間が書くなんて・・・福沢諭吉は只者ではないですね。

ただ平和や平等は批判しているわりには、自由を愛しているようですね。まるで欧米人の発想です。
その一文はこれ。
「人の一身も一国も、天の道理に基づきて不覊自由なるものなれば、もしこの一国の自由を妨げんとする者あらば世界万国を敵とするも恐るるに足らず、この一身の自由を妨げんとする者あらば政府の官吏も憚るに足らず」
なかなか過激です。まるでアメリカです。
その後も彼はずらずらと相撲取りとお姫様などの色んな例題を出して世界がいかに不平等かを謳い、そして勉強すれば日本のような島国でも欧米など恐るるに足らないと言っているのですが、彼が言いたい事はただ1つ。
「権力者の奴隷になりたくなかったら勉強しろ」
と、言う事です。

ちなみに今日のタイトルですが、あれは学問のすすめ四編から抜粋した一文です。


2005/9/15(Thu)■知識の収束

本日大学より成績表が送られてきました。
一時期4教科出席日数が足りなくて呼び出し食らった事もありましたが・・・幸い不合格は4教科ですみました。
ただ・・・全教科出席率が尋常じゃなく低かったためか、A判定が1個も無いという劣等生っぷり。
まあ、試験勉強全くしなかったしね。
というかBですら3つしかないんですけどね。
さすが1教科欠席率平均60%。
というか刑法とか、民法に至っては欠席率100%だったんですけどね〜。でもC判定。
ちなみに欠席率95%だった日本文学は何故かB判定でした。
授業一度しか行かなかったからね。
だから試験内容などわかるわけもなく、いざ試験。
内容は忠臣蔵の現代語訳と芥川竜之介の忠臣蔵。
・・・・・・・・・・わけわかんねえ。
しかもテストに必ずなければならない問題用紙に本文があるという原則が否定されました。
要するに、問題用紙に本文がないんですよ。
講師曰く「本分のプリントは授業で配っただろ」
持ってねえよ!
どうしろってんだよ!
問題だけだされてもわかんねえよ!!
そんなに不真面目な生徒を不合格にしたいのか!!
しかしそんな慟哭もむなしく試験は始まってしまいました。
耳が痛くなるほどの静寂。
鳴り響くのはコリコリと劈くペンのせせらぎ。
しかし、深田ありはただ頭を抱えるだけ。
さあ、困った。
本文のプリントがないから問題の意味さえわからん。
「国語の授業なんて勉強しなくてもわかる」と高をくくった自分に腹が立つ。
そこで深田ありは最終手段に打って出た。
それは本文を自分で考えればいいんだ。というまさに最後の手段。
とは言っても本文全てを考えるなど不可能なので問題に書かれた内容だけを想像で補い、さらに論述問題はそれっぽい言葉をずらずらと並べて言い包めるという詭弁中の詭弁を炸裂。
解答用紙いっぱいに書いた、書いた本人すら意味不明の詭弁の羅列。
それは深田あり最後の望み。
とにかくそれっぽい事を書きまくって部分点を貰い、こすっからい合格点を手に入れようとする必死の努力。
不合格もやむなしと半ば諦めた面持ちでとにかく詭弁を並べまくり、合格ギリギリの点数が手に入るように神に祈る始末。
しかし結果は何故かB判定。
何で?
深田ありが一番謎。
人生ってわからないものだなあ。
無理を通せば道理引っ込むとはまさにこのこと。
大空の如く無理の前には道理など漂う風船と同じでいずれ小さく小さくしぼんでいき、そして消えるという事です。

と、いうか中学3年以降まともに学校でお勉強した記憶がありません。
しかも内容のほとんどを綺麗さっぱり忘れているからこりゃ大変。
だいたいサイン・コサイン・タンジェントって何だっけ? くらいなレベルで忘れました。
もはや基本的な数学さえ覚えていないのです。
社会でも同様です。
深田ありは偏差値こそ61でしたが年表が大の苦手で、いまだに何が何年に発生したかを覚えていません。
日清戦争も日露戦争もペリー来航も室町幕府も関が原の戦も長篠の戦も刀狩も享保の改革も何年に起ったかといわれると答えられません。
だって、深田ありの日本史の知識は趣味で覚えたものだけだもん!


2005/9/14(Wed)■受験勉強

唐突ですが(毎回唐突ですが)深田ありは大学受験に関しては受験勉強というものをした事がありません。
そもそも、受験勉強に皆さん、特に父兄の皆さんが力を入れておられるようですが、受験勉強というものは時期とやり方を間違えると何の意味も無いです。やらない方がマシだと言えるほど。
深田ありは無理矢理教科書の知識を頭に叩き込むのが大嫌いなので受験勉強は自虐行為以外の何物でもありませんでしたよ。
心理状態で知識の吸収を拒んでいる状態で無理矢理覚えようとしても長期間覚える事はまず無理です。
脳みそが勝手に海馬の奥底にしまってしまいます。
せいぜい一週間が限界です。
というか一夜漬けです。
すぐ忘れます。
受験勉強は長期戦ですので何の役にも立ちません。
事実、深田ありは高校時代に習った知識の半分・・・いえ、3分の2は綺麗さっぱり忘れました。
一万円札のお人こと慶應義塾大学創始者こと福沢諭吉は役に立たない知識は覚えなくていいと学問のすすめにしっかり明記しているので勉強なんかしなくていいんですよ、本当は。

また、入試問題集こと赤本ですが、アレ本当に役立つんですか?
問題の傾向がわかるという点では役に立つと思いますが・・・そのために1000円オーバーのお値段は詐欺以外の何物でもないような・・・。
また、入試にこんな問題がでましたよ〜という過去問なので、間違いなく試験には出ません。
一応赤本は去年ではなく二年前の問題集を古本屋で100円で購入したものがありましたが、案の定出ませんでした。
例えば深田ありは社会は日本史でしたが、歴史の教科書なんか新品同様です。
社会のお時間はお昼寝タイムでしたし、家で勉強なんかするわけがないので(社会に限っては定期試験勉強さえしたことがない)学校の知識で年表なんか覚える気は毛頭ありませんでした。
でも大丈夫。日本史なんか勉強しなくても偏差値50以上は余裕で取れますから。
と、いうか、深田ありは高校3年12月の模試では61でしたよ。
まず、勉強しなくても良い教科。即ち、深田ありがお昼寝タイムだった授業を一覧します。

国語全般。
社会全般。
保健体育。

芸術や体育は移動教室ですから寝るに寝れません。
また、深田ありの場合英語全般も爆睡していたので、移動教室以外の授業の殆どは寝るために存在していました。
眠気がないときは読書タイムでした。
漫画や小説。あるいは歴史書なんか読んでましたね。
女工哀史とか、南京大虐殺のまぼろしとか、死刑囚の記録とか、古事記とか。
我が闘争は意味不明でした。
何でもゲーテのIQは60だとどこかで聞いた記憶があるのですが・・・ガセでしょうかね?
とにかくそんな生活でした。

まず受験勉強に関して。
問題集はやる価値がありません。
問題集でやる価値がある人間は、やる前から基礎が完璧な人間だけです。
基礎が少しでもおろそかにしている人間はやっても効果はないです。
問題集をやる人間の原則としては、辞書や参考書がないと問題が解けない人間はやってはダメです。
あれはスラスラ問題が解けて、かつ内容を理解できるレベルの人間専用に作られているからです。
極論、基礎なんかなくても問題は解けます。
高校受験で深田ありは数学の問題で『魔法の線引』なるものを発明し、図形問題を50%近い正答率(定期試験のみ)を弾き出した事がありますが、図形問題は大の苦手でしたから無効ではないということです。
おそらく魔法の線引を使わなかったら0%だったでしょう。
え? 魔法の線引って何?
線引をローラーで削って平行四辺形と三角形の2つを併せ持った形状にした12cmの線引です。
現在は紛失して手元にありませんが、受験・・・よりは定期試験で大いに役立ってくれました。受験で出てくる図形は実は角度や長さがバラバラに描かれているため役に立ちません。
他にも、数学で関数の法則を発見し、何と計算せずに割合を求める事ができるようになりました。
ちなみにその正答率は100%で、受験でも非常に役立ってくれたものです。
他にももう覚えておりませんが、英語のアクセントの正答率を上げる方法などもあったのですが、少なくとも基礎を覚える気が無かったので、自分で基礎を発明しました。
ただし、大学受験の時、英語の偏差値を上げるためマークシートの法則を発明しようとして失敗、英語の偏差値は上がらなかったという失態を犯したこともあります。
ただ、一問だけ正答率90%のマークシートの法則を発見しましたが、受験にその問題が出てきませんでした。

ただし、自分で基礎を作ろうとすると高確率で失敗するので、あまりお勧めはできません。
それだったら猿でもわかる基礎の覚え方を発見した方が何倍も効果的です。
ただし、学校では猿でもわかる基礎の覚え方なんか教えませんし、塾では応用問題に重点がおかれていますからこれまた教えてくれません。
それに、参考書の基礎の覚え方は難しいのでやめたほうがいいです。
自分で基礎を立ち上げる最短の手段は、自分で基礎を生み出す事です。
ただし、深田ありのようにオリジナル度が極端に高いと失敗の連続ですので(20個の実験のうち1つ成功すれば僥倖)既存の基礎の簡単な覚え方を発明した方がいいでしょう。


2005/9/13(Tue)■心理学に精神という言葉は無い

本当ですよ。深田ありは一冊だけ心理学辞典を持っていますが載っていませんでした。
持っているのは1981年初版発行の誠信書房の心理学辞典。
生殖性対停滞の次の項目はいきなり精神安定剤になっています。
精神という項目だけぽっかり開いているのですよ。
何ででしょうかね?
つまり心理学の世界では心理は精神とは別の、科学的なもの。あるいは、精神という言葉そのものが宗教的で、非科学的なものだと言う事になりますね。
だって精神って文字を御覧くださいな。
精しい神様と読むのですから。
まあ、どうでもいい事なんですけどね。

さて、じゃあ今日は仏教にでもしますか。
特に理由はないけれど。
強いて言うなら、精という字は仏教用語だからですかね。
精とは雑念がないことを言います。
ちなみに仏教は学問です。

まだ大晦日にはかな〜り早いですけど煩悩が108つ存在する事は非常に有名ですね。
でも、煩悩108つ全部理解している人は少ないと思います。
と、いうか1つでも言える人何万人いるんでしょうね。
実は宗派によって解釈の仕方が違うのですが、今回は深田ありが支持する説を。

と、いうわけで108つ一覧してみました→煩悩一覧

このように6つの感覚好き・嫌い・平等の三種類に分け、それが染れているのか、浄らかなのか、最後にその時間が過去か、現在か、未来かの3種類に区分された合計が108つになるのです。
また、一覧には掲示しませんでしたが色・声・香・味・触・法の事を六境と言いますが、その六境は領域であって、その領域を生み出す器官の事を六根と言います。
さらに、器官から領域に映るように、さらにそれは認識となります。
この認識を六識と言い、これら3つの世界を十八界と言います。

無論、これは説の1つにすぎません。
他の説で言えば九十八隋眠(ずいめん)+十纏(じってん)の合計108という説だってあるんですよ。
え? 何だそりゃ?
九十八隋眠とは貧・瞋・痴の三毒に慢・疑・見をたした六つを四種類の見解に分け、さらにそれを細分化した合計が九十八だそうです。
十纏とは細分化しない悪質な十種類の欲望です。
その合計が108になるためこれが煩悩だと定義する説もあります。
・・・・・・・・・・それにしても引く内容だなあ。
つーか仏教って日本で二番目に信者の多い宗教の割には神道やキリスト教と違って漫画や小説、ゲームの類の内包率が低い理由がよくわかる。
イスラム教は内容がさっぱりわからないだけだろうけど。
深田ありもわからんし。
あるいは仏教は坊主だからか?
もしくは葬式のイメージが強いからか?
それとも神話が少ないからか?
神道みたいに古事記読んでりゃそれでオッケーみたいな宗教じゃないからか?
キリスト教みたいに脚色度測定不能な合作本が世界で一番売れているからか?
というかただ単にわかりにくいだけなんだろうけど。
でも一時期体罰と死者を出して悪魔の如く悪名が高く跳ね上がった事で有名な男性至上主義者で脳幹論を提唱した、本能を強くする事が人間を成長させる。これが彼の主張という、彼の理論は自分を強くする事で自分を成長させる。一方深田ありの理論は自分に勝利する事で自分を守る。つまり、彼が攻撃なら深田ありは防御に該当する。要するに論理と展望が本能を制御すると思っている深田ありにとって、明らかに嫌いな部類の人種にあたる戸塚ヨットスクールの創始者・戸塚宏はこういいました。
「仏教の本質はとても単純なはずだ。もし仏教の真理が複雑なら世界三大宗教の1つになどなるはずがない」



2005/9/12(Mon)■深田ありの先祖は本百姓

深田ありは第二次大戦の日本を一方的に貶すヤツも、一方的に誉めるヤツも嫌いです。
日本が一体なんだと言うのか。
あんな精神論で現実を超越しようと本気で考えている誇大妄想狂の連中を。
こんなエピソードがあります。
海軍が日本の戦闘機の防御力アップを求めて嘆願しました。
しかし、上層部は「攻撃こそ最大の防御! そんなものは精神力で乗り切れ!」と相手にもしなかったそうです。
既知外ですね。
余談ですが当時の日本の飛行機は文字通り死ぬほど防御力が低いです。
場所によっては弾丸一発戦闘不能になるほどです。
日本はポーランドと似ているところがあります。
ポーランドは第一次大戦で騎馬戦で名を馳せた戦勝国ですが、第二次大戦もそのノリで騎馬戦メインで戦争したらあっという間にドイツの戦車に粉砕されました。

それと同じように日本のアホっぷりは常軌を逸している所が多々あります。
当時戦艦なんか大して役にも立たなかったのに日露戦争で大勝利をあげたため日本は戦艦ばっかりメインで作って当時の風潮である空母至上主義に反旗を翻した挙句、悉く沈没させられました。
人間にとって食料は文字通り死ぬほど大事であり、また、戦争では補給こそが命運を分けるのは当たり前であり、西南戦争でも大久保利通は補給路の確保を最優先して考えていたと言うのに・・・半世紀たったら補給無視の風潮が蔓延してしまいました。
お陰でかなりの部隊が全滅。
電撃戦しか能が無い彼ら日本軍は防御とか、撤退とか、全く考慮に入れていなかったのです。
まあ、日本の妄想狂っぷりはこのへんにしておきましょう。キリ無いから。

また、日本は植民地解放をした事に違いはありませんが、それは侵略してから少したった後です。
判りやすく言うのなら、大戦後、アメリカが日本を支配していましたが、日本は独立した事とほぼ同じです。
1942年までなら日本は4億5000万の人間を支配していた事になるのです。
また、別に日本は好きで黄色人種を白人の支配から解放したわけではありません。
ついでに解放しただけです。
そもそも、最初から白人支配の解放を目的に戦争したわけでは断じてなく、アメリカが異常な挑発行為を行ったから仕方なく戦争しただけです。
それ以前にもインドネシアや中国に進駐はしていましたけどね。でも戦争回避の乙案にはインドネシアに置いた軍は撤退すると書かれていたので、開戦直前までの間にはどこにも植民地解放の意思は無いです。
つまり、勝手に東南アジアが日本を英雄に奉り上げただけです。
日本人は過小評価していますが東南アジアは過大評価しているんです。
良しにせよ、悪しきにせよ、脚色されていると言う事です。
ただ、当時の日本人の多くが外柔内剛の精神を持ち、傍から見れば勤勉で従順で正直な好青年に見えた事でしょう。
わかりやすく言うと、星飛雄馬が大量生産されていたということです。
日本人はプライドが高いため、外面をとてつもなく気にする民族なので。とくに当時は。
だから英雄視されても仕方無いという事です。
それに、英雄扱いされて嫌がる人間は相当奇特な人物ですしね。

当時の日本人には集団意識が強すぎて、自由競争の概念は薄かったです。
例えば、その町に一軒しかない八百屋があったとします。
するとその町に新しい八百屋を開く事ができないんです。
町人が圧力をかけるから。
彼らはよそ者を嫌います。
そして味方を大事にします。
結果、よそ者がきたら●●さんの生活が困る→だからよそ者をいれてはいかん→もしいれても絶対に買うな!の論法が成立し、現実のものとなるのです。
また、それは世襲制へと繋がります。
農民に生まれたら死ぬまで農民だ!→だからその子供も農民だ!!→だから勉強なんかしないで野良仕事しろ!!
という恐ろしい論理が展開されます。
他にも女は勉強なんかしなくていい!! とか、金持ちに生まれたら死ぬまで金持ちだ!! とか、部落に生まれたら死ぬまで部落だ!! とか、華族様と同じ目線で話するな!! とか、年上は神である!!
等と言った世襲制の束縛を集団化する事で統一を図るカースト制度国家だったのです。
これを纏めるために、階級の違う人間同士で隔離し、同じ階級の集団だけの町を形成します。これが日本人が定義する集団意識です。

無論、法的には平等ですよ?
でもね、当時の庶民は法律なんか知らないんですよ。
家柄の低い人間と名家の人間が結婚する事を祝福する事などできない。
農民の子孫が事業を始めて成金になる事など許せない。
部落の人間が庶民と同じ生活をするなど耐えられない。
華族が庶民と同じ目線で会話されることなど無礼の極致。
女が男と同じ権利を持つなど反逆も同然。
彼らの脳内では法律よりもカースト制度が重視されていたのです。
当然ですよね?
民法ができるほんの何十年か昔は士農工商の世の中が何百年も展開されてきたのですから。

深田ありは第二次大戦で負けてよかった。と思ったところがあります。
だから、深田ありはどちらかと言ったら親米かもしれません。
だって彼らが居なかったらあと100年・・・いえ、200年は遅れていたことでしょう。
それはこの日本からカースト制度が消滅した事です。


2005/9/10(Sut)■知識とは役に立つものではなく役に立たたせるもの

さあて1万になったので公約とおりいろいろ更新しました。

あれ? おやま。また書くことがなくなった。
じゃあ、今日は深田ありについて彼是(アレコレ)
深田哲学の祖について。
深田ありが最初から理論最優先人物だったわけではないです。
と、いうか中学生まで簡潔性を重視して、理論を真っ向から否定していました。
ところが中学時代、「俺は口先だけで生きている!」と公言する人物が存在したのです。
その人物とは塾の教室が同じ、部活が同じ、クラスが同じという、何か呪われてんじゃねえか? と思わずにはいられないほどの因縁ある人物でした。
学校の成績では寸差で深田ありの勝利。部活では同じやる気のないメンバーの1人。そしていつしか4人組でつるむ時必ず存在する人物という、まるで寄生虫のような人物でした。
ちなみに学校の成績では寸差で勝利というのは事実です。深田ありの方が偏差値が2〜3高く、同じ高校を3校も受験(本当に呪われてんのか?)し、深田ありは3勝。その人物は1勝2敗だった事からも証明されます。
と、いうか地理と英語以外で主要教科で負ける事はあまりありませんでしたね。
余談ですが深田ありの高校受験は通算3勝2敗です。
ところがその人物は音楽、美術、家庭科においては深田ありを圧倒的な差で敗北の土になすりつけたものです。
体育は殆ど同じでしたね。
喧嘩したときはその人物は抓りが大得意で、肉が裂けるまで抓りやがりました。
さて、そんな視力2.0の人物ですが、口先が凄いです。
中学時代何十回も口論を重ねたと言うのに、深田ありが勝った事は一度もなく引き分けが1回だけという散々たる結果に終ってしまいました。
ちなみにその人物は深田ありととても気が合い、とても仲が悪く、極めて不可思議な関係でした。
そして、その人物に口で勝つために中学時代からせっせと理論を展開。
もっとも、中学時代は一度も勝てませんでした。
しかし! それでめげる深田ありでは無かった!!
日々理論を研磨し! そして高校時代学校が違うから滅多に口論はできませんでしたが・・・・・・。
彼が没する高校2年2月21日までに3回口論を行い、3戦3勝しました!!
この時、深田ありの理論は完成したのかもしれません。
ちなみに最後の口論は高校2年2月11日。彼が永眠する10日前でした。
彼は強かった。
彼の理論は強烈だった。
あの他者の意見を一切無視した高圧的な理論を打ち破るためには、こちらも一方通行の理論を展開せざるを得なかった。
と、いうか深田ありは彼以外の人間以外で口論した人物は片手にあまります。
学校教師。
家庭教師。
幼なじみ(男)
くらいかな?
その中でも彼だけは群を抜いて強かった。
何を言っても言い返され、いつしか自分が何も言えなくなってしまうあの圧倒的な強制力
いつのまにか口が閉口し、彼の理論に屈服する自分がそこに・・・。
くやしかった。だから勝った。
よく深田ありの理論は極論すぎる。とか、一方通行だ。とか言われます。(何故かいとこが一番よく言う)
しかし、当時世界征服や新興宗教の教祖様を目論んでいたあの時、自分の独自を強制する理論でなければ人民を統制する事など不可能だと思っていたし、それよりも現実問題、彼に理論で勝つためには一方通行の理論でなければ勝てなかったのですよ。
そのため必然と深田ありの理論は一方通行になりました。
だって、彼は口先だけなら出鱈目に強かったんだもん!!


2005/9/9(Fri)■確信犯

そういやもうすぐ1万になりますねえ、カウンタ。
1万になったらいろいろ更新します。
と、いうか9500あたりから更新する気が失せました。
だから最近は慟哭しか更新してないんですけどね。
奴隷とか、瞬撃とか、逆蜜柑とか、毒蜜柑とか、あと絵とか。
他にも小説の新しいものとか。(自殺未遂は詰まったので3章が40%程で停滞)
1万は明日くらいかな。

あれ? もう書くことが無くなった。
仕方ないので適当に。
屁理屈について。
まず理屈とは、理論に対して強制的に辻褄を合わせた現象の事をいいます。
そもそも理とは、物事の道筋を表すのですが、理屈を辞書で引くと意味は全く同じなのです。
つまり、理とはそれ自体に強制力がない。真理のようなものなのです。
そして、理論の論とは、物事の道筋を述べる事、という意味です。
つまり理論という意味は、物事に対して独自の解釈を持った道筋を言語、あるいは文章として提唱する。と、なります。
そこで理屈の屈ですが、屈とは曲げるという意味です。
従って、理屈とは、物事に対して独自の解釈を持った道筋を、正当化するために道程を歪曲し、強制力を持たせた攻撃言論技法。と、言えるでしょう。
そして屁です。
屁とは言うまでもなく肛門から排出されるガスですが・・・、『屁とも思わない』といったように、屁の比喩は全て悪性を持っています。
つまり屁はつまらないもの、程度の低いもの、無価値なものという軽視の対象概念なのです。
それが接頭語に接続される事で、相手を屈服させる事を目的とした攻撃言論技法である理屈の価値を低俗化させることになるのです。
そう、相手の攻撃力を低下させる事を目的とする侮蔑用語が、屁理屈なのです。
つまり、その理論から言えば、この地球上には一切の屁理屈は存在しません。
屁理屈とは、あくまでも対象者、あるいは第三者が、相手の理屈の攻撃力を低下させるプロパガンダとして工作する思想的洗脳行為なのです。
これ事態が屁理屈だ。とお思いの方。
先ほど深田ありが定義したように、理屈とは物事に対して独自の解釈を持った道筋を、正当化するために道程を歪曲し、強制力を持たせた攻撃言論技法です。
それを軽視する行為の一環として存在する侮蔑用語が屁理屈です。
そう、屁理屈とは、馬鹿と一緒です。
相手を侮蔑する事意外何の使用価値もない言葉の暴力。
相手の理屈に対する反撃が行う事が出来ず負け犬の遠吠えとして使うか、あるいは相手の理論そのものを否定し、己の理論をスムーズに進めるための円滑な攻撃手段の一技法として使うかの二種類です。屁理屈という言葉の使用主法は。
最初から理論を展開しないで原始的な直感にたよった簡潔性を追求する人間の場合は、相手の理論そのものが苦痛であるから、そういう侮蔑用語を炸裂させて論議の強制終了を謀ります。
何故なら、話し合いなんかしたくないから。
つまらない事、興味ないことは、一言で終らせたいから。
だから、屁理屈という言葉が存在します。
結論から言えば、屁理屈という侮蔑用語を使用した時点で、その人は論議をする気が毛頭ないと自称するということです。
話し合いに応じる気が無いので、論議にならない。
だから、泥沼化するという少し先の起りうる未来を見ようとしないで目先の事しか見ない。
目先にばっかり気を取られるから、将来になって苦労する。
未来の予見を拒否しようとする展望の否定者。
これが個人間なら問題はないけれど、国家間、企業間だったら大問題です。
だから、戦争は永久になくなりません。
論議する気が無い相手を屈服させるには、戦争をするか、冷戦に突入するかの二者択一だからです。
平和とは、幾千幾万の犠牲の上になりたちます。
しかし、その幾千幾万の犠牲の半分・・・どんなに低く見積もっても3分の1は、論議を否定した末路です。
つまり、論理的でない人間が集団化、組織化した場合それは社会の敵と言えるでしょう。
いわゆる原理主義の皆さん
もっとも、論理的な集団が縺れた挙句の戦争は、とんでもなく大規模、あるいは泥沼になる事で有名ですけどね。
何故なら独自の理論を保持するための戦争ですから。
そう言う点なら、白黒つけてチョン。ですむ原理主義の小競り合いやテロリズムは単純でいいですね。
単純な論理はあっという間に戦争を生みます。
論理なくて平和はない。
その証拠に、論理の欠片も無い動物達は、弱肉強食という平和理論が全く展開されていない社会でしょう?
論理があるからモンテスキューは三権分立を確立した。
論理があるから福沢諭吉は学問のすすめを執筆した。
悪党の父、マルクスの論理も理想だけなら平和です。(現実はともかく)
平和は理論が生むのです。
ま、実は戦争も理論が生むんですけどね♪
その理論に反発して何百年も戦争が起る。
そして、その果てに、理論が勝つ。
これを人類は5000年かけて歩んできたのです。
人類の歴史はこれの繰り返しです。
理論→反発→戦争→理論の勝利。
まさにペンは剣よりも強しですね。
知っていますか?
ホモ・サピエンスは言葉が話せないから絶滅したと言う事を。
かつて、世界征服を夢見たフランス皇帝ナポレオンは言いました。
三つの敵意ある新聞は千の銃弾より恐ろしい。
論理は人間最大の武器と言えるでしょう。
たとえ戦争が、何百万人の屍を生み出そうとも、最後には論理が勝つのです。
それは第一次世界大戦が共産主義を生み出したように。
それはフランスが幾度となく革命と戦争を繰り返した果てに漸く民主政治を成功させたように。
それは第二次世界大戦とそれに順ずる独立戦争がこの地球上から植民地を国際法違反にさせたように。
最後に勝つのは論理だと、歴史が証明しています。


2005/9/8(Thu)■広辞苑と大辞林にも『反射神経』という言葉は無い

昨日の某番組ですね。
まあ、そんなことはどうでもいいんですよ。
情報という単語は超文豪オーガイザーこと森鴎外が作った造語ですしね。
え? 超文豪オーガイザーって何?
えーとですね。某漫画家のキャラクター(?)です。
軍医・森林太郎は改造人間である! から始まる謎の物語でした。つーか全部見てえ・・・
ちなみにその人の単行本はわたしの魔王さま以外は全部持っていますが(同人誌は皆無)よく謎の描写が行われる事で非常に有名です。
学校の七不思議がウェルカムサーモンとか、やたら野球に詳しい方向オンチな神様とか(何故かどの作品にも野球狂がいる)まじかるアンティーク(深田ありが生まれて初めてやったエロゲー)のアンソロジーでリアンが162kmの超剛速球を投げたりとか。
市立鋳銭司学園高校放送部では猪熊が好きだけど真名香の方が実はもっと好き。
猪熊と口喧嘩してみたいな。
ま、そんなことはどうでもいいんです。

ちなみに深田ありはこの2つの辞書をき・わ・め・てよく使います。
大抵の単語は網羅してあるからですね。
意味に困ったらまずコレを。
例えば断簡零墨という言葉。
広辞苑には断簡と零墨のバラバラでしか記載されていませんが大辞林には断簡零墨という四字熟語で掲載されています。
ちなみに断簡零墨とは途切れ途切れになっている文章のことです。
また嘯風弄月も同様です。
でも大辞林は日本語だけなので、広辞苑の方が遥かに便利ではあります。

学校制服徒然草における妄言真理に決まりました。
え? 何が?
まだ公開はしませんが、もうすぐわかることです。
中身の公開はかなり先だとは思いますが・・・。

余談ですが何故深田ありが般若心経を訳したのかと言うと。
時は去年の12月。
だったんですよ。
そして当時仏教がマイブームでもありまして・・・。
暇つぶしに般若心経を訳したのです。
ま、趣味ですね。

ちなみに今日は昼飯は昨日の残りの蕎麦(温製)だったんですけど・・・腐っていました。
食べた瞬間すっぱさが口一杯に広がりました。
匂いもつ〜んと鼻にきて、口に含んだ蕎麦は即効で流しに廃棄です。
仕方ないのでご飯に生卵と醤油をかけたものを食って終わり。
夏は食べ物がすぐに痛むから嫌ですねえ。
腐敗と発酵の違いは細菌が分裂するか化合するかの違いだけだという事をまたもや実感させられました。


2005/9/7(Wed)■深田ありの家族は代々真言宗徒

小学校の修学旅行で枕投げをしてたらチェーンが顔面に直撃して血が出た事があります。
まあ、そんなことはどうでもいいんですが。

ちなみに昨日の慟哭のちょっとした補則。
涅槃と極楽が意味同じだと断言できるのは極楽の名称にあります。
極楽無為涅槃界という言葉があります。
もっともその後に随縁雑善恐難生と続くのですが極楽無為涅槃界で意味は途切れているので問題はありません。
たしか善導が言った言葉だったかな?
これは意味を訳する必要もありませんが・・・取り敢えず訳すと「極楽とは、解脱の境地たる涅槃である」という意味です。
だから極楽と涅槃は同じものなんです。

ちなみに真言宗といえば弘法大師空海ですね。
あの字が異常なまでに上手で有名な。
真言宗は即身仏の考えなんですけど深田ありは信心が滅茶苦茶薄いので問題ありません。
それ以前に自分で新興宗教を興そうなどと策謀する人間に信心などあるはずがありません

・・・・・・・・・・・2日連続で引く内容ですねえ。
キリスト教だったらまだマシだったのかな?
・・・・・・大して変わらんか。
キリスト教といったら全宗教一人を殺した宗教ですからね。
しかもその殺害は日曜日に懺悔すればチャラ
恐ろしい宗教です。
キリスト教と仏教の根本の違いは。
仏教は金儲けの宗教。
キリスト教は侵略の宗教。
この違いです。

宗教が神聖なのはあくまで表側だけです。
つまり、個人の信仰が神聖であって、宗教の裏側はとんでもないもので構築されているのです。
つまりあれですね。
神に仕える事で神を利用する
これにつきます。

ただし、宗教は存在不可欠です。
また、余談ですが『勉強なんて何の役にも立たない』と思っている方。
数学が存在しないとこの地球上から全ての建造物、電化製品、兵器は消滅します。
医学が存在しないと病気になったらまず助かりません。
歴史が存在しないと社会は発展できません。
語学が存在しないと文章の記録も、会話もできません。
地理が存在しないと遠方の移動ができません。
哲学が存在しないと人間は理知的な行動ができません。
そして、宗教が存在しないと人間は団結ができません
宗教が無い状態で人間が団結する方法は共通の敵を作る事だけです。
しかしその敵の作り方は凡そ全ての宗教に存在するため、敵の作り方は宗教なのです。
また、共産主義は宗教を否定していますが、だから団結の手段が処刑になってしまうのです。
宗教によって団結できるという歴史を否定した場合、逆らう者は皆殺しの恐怖統治以外の団結は不可能です。
宗教は学問であり、共謀であり、救済であり、安全保障であり、侵略の道具という、おおよそ人間に必要な全ての条件を満たしているのです。
だから、宗教を否定するという事は、人類の歴史そのものを否定する事になります。
神が存在する、しないは、どうでもいいのです。
存在するかどうかも不明な神を共有する事で人間は知恵を手に入れ、友好を手に入れ、安息を手に入れ、平和を手に入れ、暴力を手に入れることができたのです。
そして、宗教はこの世で敵を明確化する事無く団結を図ることに成功した唯一の概念です。
つまり、宗教とは人類が最初に発明した共同手段の最高傑作なのです。
四大文明の全てに宗教があります。
早い話、四大文明は宗教が作った。と、言う事です。

ちなみに深田ありは神は信じる方です。
ただし、宗教の教義にでてくる神のようなものとは別だと思っていますが。

最後に。
般若心経とは悟れるよと、言う意味です。
え? そんなわけあるわけねえだろ?
いいえ、本当にこんな意味です。
般若とは日本のイメージではを彷彿させるようですが、仏教で般若とは智慧という意味です。
そして心経ですが、心は仏教では真理。経は教義です。
直訳するなら智慧の教義の真理となります。
また、般若波羅蜜多心経の波羅が彼岸、蜜多が到達です。
つまり、以上のことを意訳すると、悟れるよ。と、なるのです。


2005/9/6(Tue)■般若心経

仏説摩訶般若波羅蜜多心経


観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 

度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 

空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 

不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 

無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 

無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽 
 
乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 

以無所得故 菩提薩 依般若波羅蜜多故 

心無けい礙 無けい礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 

究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 

得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若 波羅蜜多 

是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 

能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 

即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 

菩提薩婆訶 般若心経 


え〜ちなみに上記のは猿でもわかる極楽浄土こと般若心経です。
ひらがなのは漢字変換ができなかったんですよ。
これの深田あり的訳自殺未遂に掲載するのでここには書きませんが・・・ま、意味は何となくわかるかと。
ちなみに最後の「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」は呪文の詠唱です。
「ぎゃーてー ぎゃーてー はーらーぎゃーてー はーらーそーぎゃーてー ぼーじーそーわーかー」と読みます。
だから、ココだけは訳してはダメです。
何故ならこの呪文こそが悟りを開く魔法の言葉だからです。
それを三蔵法師が漢文に訳する時、呪文の詠唱の文字を漢字に強制変換したものが、「羯諦〜」になるのです。
何でもこの呪文を唱えると悟りを開けるそうです。
試しに唱えてみました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
わけわからん。

ちなみに般若心経の内容を簡単に説明すると観音と舎利子が悟りについて会話している1シーンを抜粋したものです。
内容は極楽浄土について。

正確には『空』の概念ですが般若心経では空=涅槃と書かれています。
空の概念、空の境地、即ち涅槃です。
で、涅槃って何?
涅槃とは、極楽浄土の別称です。
極楽浄土がキリスト教の天国みたいな世界になったのは往生要来からですので、それより遥かに昔のこの書物の方が正確です。
だから、空=涅槃=極楽の論法が成立するので、般若心経は極楽の行き方が書かれた書物だと断言できるんです。

ちなみに今日こんなお題なのは深田ありだけが知っています。(当たり前だ)
と、いうか、深田ありは理由を言いたくないだけです。
スルーしてほしいな。


2005/9/5(Mon)■梅は三毒を断つ

深田ありは基本的に味の良し悪しは2の次におく傾向があります。
判りやすく言うと、1カン100円の寿司も、2000円の寿司も、遜色なく食べます。(1カン2000円の寿司なんて高くて食えませんが・・・)
ここのたこ焼きは美味いけどあっちのたこ焼きは不味い。
それはわかりますがたこ焼き自体の味の基本は同じなため、そこまで味を追求しません。
ラーメン屋でもそうですね。店によって味は違いますけどラーメンという固有名詞の味の元素はほぼ同じです。
だから美味い店に行くというのは深田ありにとっては趣味の領域です。
目的を必要としない趣味。
ただの道楽です。
だからハーゲンダッツの味に慣れたからといってスーパーカップの味は耐えられないなんてことはないんです。
深田ありの母親は何故か100円のアイスは不味くて嫌いだとほざいていますが・・・。
味の良し悪しは金と時間が有る時の道楽だと深田ありは思っています。

ただし、深田ありはこの世で(現時点において)1つだけ味の良し悪しで決める食べ物が存在します。
それはキムチです。
何故かキムチだけは味を無視して食べられません。
スーパーに連立しているキムチの山。
料理店で出てくるキムチ。
その9割以上は何故か食えません。
現時点において深田ありが食べる事ができるキムチは1種類だけです。
一体何故そこまでキムチにだけは味を求めるのだろうか・・・。
そのキムチの正式名称は忘れてしまいましたけどたしか生まれて初めて食べたキムチだったはず。
おそらく幼少期に美味いものを食べてしまうと不味いものが食べられなくなってしまうのでしょうか?
でもその理屈でいうのなら深田ありは小学4年生までは回転寿司なんて食べた事無かったんだけどね。
なのに1カンの値段に遜色なくモリモリ財布を破壊してくれるまで胃に収めてしまうのは何故?(ちなみに好きなタネ(ネタは下品らしい)は海胆とイクラ)
う〜む。何故キムチだけ面食いなんだろう・・・。
ちなみにそのキムチのお値段は400円。
値段は中くらいかな? スーパーに売ってるキムチの中では高い部類。
とは言っても世の中には5000円のキムチもあるらしいですが深田ありの口にあうかは別問題です。
高けりゃ美味いってわけではないので。
ちなみにカクテキは全部嫌い。
余談ですが60年くらい前まではキムチの事はチムチと日本人は言っていました。

最後に『梅は三毒を断つ』というのは『食の毒』『血の毒』『水の毒』の三つに効果があることからそういわれました。
ちなみに梅干は遜色なく食べています。
腹が減ったら梅干だけ食べて口を誤魔化すほど・・・。


2005/9/2(Fri)■奴隷を勝利に導く7つの掟

漸くこれが書き終わりそうです。
内容はあまり濃くないですね。アホみたいに時間かけたわりには。
だって深田ありはあんまり奴隷に興味ないし。
取り敢えずこれが書き終わったら次の哲学は何にしようかな。
・・・・・・・・・・・・ああ、そういやメイドさんは救済学しかやってないで幻想を全く追及してなかったな。
じゃあ次はメイドさんにしますか。
その次はセーラー服かな?
書いてて泥沼な気がしますが・・・気にしない方がいいな。
ふむ、いずれ哲学シリーズが一区切りついたら絵を入れて同人誌にしてみるかな。
いずれな。


ちなみに昨日更新しなかったのは最果てのイマをやってたら12時越えちゃったので。



回帰