バナナはおやつに入るのか?

 実にくだらない論議である。

 しかし、くだらないからと言ってその命題をスルーする事は最悪の行為である。

 一見意味の無い事こそ、そこに真理があることは、歴史の中に腐るほどあるではないか!

 

 

 

 著・深田あり

 

 

 

 それに、少なくとも私はこの命題の解答を知らない。

 だから、考えて何が悪い?

 くだらない?

 くだらない。

 しかし、扇子が白熱電球を生み出したように、リンゴが万有引力を発見したように、世紀の大発明や大発見はじつにくだらないものが原因であることが多々あるのだ。

 例えば電気椅子。

 これはエジソンが交流電流を悪者にするために製造したプロパガンダ的処刑道具である。

 つまり、電気椅子とは嫉妬が生み出したものなのだ。

 レオナルド・ダ・ビンチは何故天才なのか?

 それは6歳の時石につまずいて頭を打ったからというエピソードがある。

 ほら、実にくだらない。

 だからこそ、バナナはおやつか否かの論議は将来世紀の大発明の参考となるに違いないのである。

 それは、深田ありではないだろう。

 しかし、いつの日か、きっと、たぶん、もしかしたらこれが誰かの手によって大発明となるかもしれないではないか。

 さあ、夢を買おうじゃないか。

 

 

 

1、定義

 

 まず、『おやつ』の定義とは何か、これを考察したい。

 例によって『おやつ』の参考資料として広辞苑と大辞林を用いたい。

 やはり1つの辞書では情報が一極化してしまうのでね。

 広辞苑・・・(八つ時に食べることから)午後の間食。お三時。

 大辞林・・・〔八つ時(午後三時頃)に食べることから〕午後に食べる間食。お三時。

 とある。

 では間食とは何か。

 広辞苑・・・定まった食事と食事の間に物を食べること。あいだぐい。おやつ。「あまり―すると太る」

 大辞林・・・決まった食事と食事の間に物を食べること。あいだぐい。

 となっている。

 つまり、語学的おやつの定義とは『昼食から夕食の合間に物を食べる事』となる。

 しかしここで問題が発生する。

 この哲学、即ち『バナナはおやつに入るのか?』という議題は、基本的に『遠足』である事が暗黙の了解となっている。

 何故か?

 どういうわけかは知らないが、この論議の前提が、全て『学校遠足』という状態のみで発動するからである。

 さかしまに言えば、『遠足以外でバナナがおやつになろうがなるまいが知ったこっちゃない!』と、いう事だ。

 それは一体どういうことなのか?

 何故、遠足以外で『バナナ≠おやつ』の定義を論議してはいけないのか?

 これはバナナがおやつである事云々よりも、『遠足という状態に用いられる普遍的おやつにおけるバナナの適合レベルが許容範囲以内か?』という極めてめんどくさい考察に限定されているからだ。

 ようするに、遠足という状態が土台となっていない限り、バナナがおやつの適合レベルかなどとは、定義できないのだ。

 それは遠足以外、即ち普遍的間食としてのバナナは不自然でもないし、また『間食』の定義は物を食べるであるから、ご飯を食べようがラーメンを食べようがそれは全て間食である。

 しかし、現実問題遠足でご飯やラーメンをおやつにする人間はほとんどいないと思う。

 というか私は知らない。

 つまり、遠足という状況下もあわせて考慮しなければならないという事だ。

 ・・・・・・以外と奥が深いね。

 

 

 

2、バナナ

 

 では今度はバナナについて論考したいと思う。

 まずバナナとは何か?

 広辞苑・・・バショウ科の多年草。雄雌異花だが、ふつう単為結果し、種子を作らない。熱帯アジア原産。熱帯各地に広く栽培され、ブラジル・インド・フィリピンなどに多い。果実は熟すと黄色になり、芳香美味。生食用のほか料理用などの品種が多い。実芭蕉。

 大辞林・・・バショウ科バショウ属の大形多年草で果実を食用にする種類の総称。熱帯で広く栽培される。長い葉鞘(ようしよう)が重なり合って仮茎となり、高さは310メートル。葉は長楕円形。果実は長さ1040センチメートルの円柱形で、段状の房につく。多くの品種がある。実芭蕉。[季]夏。

 そして、バナナに含まれる成分を分析する。

 バナナ100gにおける成分は以下のとおりである。

 

 エネルギー 86kcal

水分 75.4

たんぱく質 1.1

脂質 0.2

炭水化物 22.5

灰分 0.8

 ナトリウム 0mg

カリウム 360mg

カルシウム 6mg

マグネシウム 32mg

リン 27mg

鉄 0.3mg

亜鉛 0.2mg

銅 0.09mg

マンガン 0.26mg

廃棄率 40.0

ビタミンA 56mcg

ビタミンD 0mcg

ビタミンE 0.5mcg

ビタミンK 0mcg

ビタミンB1 0.05mg

ビタミンB2 0.04mg

ビタミンB6 0.38mg

ビタミンB12 0mcg

ビタミンC 16mg

ナイアシン 0.7mg  

葉酸 26mcg

パントテン酸 0.44mg

食物繊維 1.1g(うち水溶性0.1g)

コレステロール 0mg

 

 という栄養で構成されている。

 さあ、これで何がわかるであろうか?

 何も判らない。

 ただの労力の無駄である。

 しかし! いずれきっとこの成分表が世紀の大発見の礎となると思えば・・・。

 さ、気を取り直して次いってみよう。

 

 

 

3、菓子

 

 いよいよバナナはおやつに入るのか? という絶対的超難問に挑戦する時が来た!

 この論議は小さい論議だが人類によっては偉大な論議だ!!

 ここで前もって言っておく事はこの論議は『都市伝説』ではないのだ。

 つまり、『かつて昭和X年に誰かがこの事態を発生させた』事は全くどうでもよいもので、『バナナはおやつに哲学的に入るのか?』という論議のみを重点させる。

 わかりやすく言うと『口裂け女が1979年に発生した云々はどうでもよく、学術的に口裂け女が誕生する事は可能であるか?』という事だ。

 

 まず、おやつの定義とは『昼食と夕食の間』でなければならないのは『1』で掲載した通りである。

 ならば、遠足において昼食以降に食べる菓子は『おやつ』と定義されるが、昼食をとっていない、即ち午前中における状態での菓子はただの間食であり、八つ時、即ち『おやつ』とは定義できなくなってしまうのだ。

 何と奥の深い事か!

 おお、そう言えばお菓子の定義をすっかり忘れていたぜ。

 おやつといったらお菓子。その理由は何故だろう?

 それは、きっと辞書が教えてくれるさ。

 と、言う訳で早速辞書を引こう。

 広辞苑・・・(「果」はくだものの意)常食のほかに食する嗜好品。昔は多く果実であったが、今は多く米・小麦の粉、餅などに砂糖・餡(アン)などを加え、種々の形に作ったものをいう。和菓子と洋菓子とに大別。これに対して果実を水菓子という。

 大辞林・・・通常の食事以外に食べる嗜好品。砂糖・水あめ・餡(あん)などを加えた甘いものが多い。古くは果実・草の実をいった。今も果物を水菓子という。

 おや?

 果物=菓子?

 何だと!?

 おいおい。

 それじゃもうこの哲学の9割が解明してしまったじゃないか!!

 せっかく欲望哲学シリーズみたいに悪性なこじつけと独自の論理で無理矢理1つにまとめる中華思想的なジャイアニズムが国語辞典如きに敗北した!?

 いや、まだ『バナナ=果物』という法則が成立したわけではない!

 だから落胆するのは早すぎる!!

 それに『菓子=おやつ』というのは・・・まだ、考察の余地はある!!

 何故なら、『遠足=おやつ』の図式と系的に適合しなければならないからだ!!

 さあ、バナナは果物なのか!?

 広辞苑にも大辞林にも果物とはしっかりと明記されているわけではない!!

 まだわからない!!

 さあ、果物とは、何だ!?

 広辞苑・・・草木の果実で食用となるもの。水菓子。生(ナリ)果物。遊仙窟(醍醐寺本)(康永点)「菓子(クダモノ)の上(ホトリ)に向ひ」。「食後の―」

 大辞林・・・木や草につく果実で、食べられるもの。リンゴ・カキ・ミカンの類。水菓子。生()り果物。狭義には木に生る果実をいうが、広義には草本性植物のパイナップルやメロンも含める。〔古くは、果実に限らず、酒食の副食物や菓子類などを含めていったが、のち果実に限るようになった〕

 バナナは多年草・・・すなわち、広義における草本性植物と定義できる。

 つまり、・・・・・・くっ、バナナは・・・果物という・・・こと・・・か。

 

 

4、菓子=おやつ

 

 さあ、もはや『バナナ=お菓子』という論議は解明されてしまっていたようなので、残る議題は2つ! 『菓子=おやつ』と『遠足=おやつ』だ!!

 ではまず前者だ。

 お菓子はおやつと同等なのか?

 結論は難しい。

 何故、おやつといったらお菓子なのか。

 つまり、間食=菓子という図式は一体なんだ?

 それは人間の心理に在ると思われる。

 間食に主食を食べる事は現代において当たり前と化している。

 間食に焼肉を貪り、間食にステーキを貪り、間食にすき焼きを貪る。

 贅沢な時代になったものだ。

 しかし、八つ時の食べ物、すなわち、『お八つ』ではどうだろう?

 そんな時代の日本はそこまで食糧事情に明るい時勢ではなかった。

 というか高度経済成長、即ち昭和元禄足りうるまで日本の食糧事情は暗い。

 当時、世界最高の庶民の楽園と名高い江戸時代ですら、食料に関しては毎年幕府の頭を悩ませていた。

 故に、八つ時の間食に主食並の食事など彼らの頭脳には全く考慮としなかっただろう。

 故に、菓子を食する事は自然であったといえる。

 つまり当時の人間の史観、性格には昭和元禄までの史観ではおやつとは極めて菓子だったのである。

 否、現代においても間食に主食並の食事をするのは統計は知らないが、多分そこまで沢山はいないと思われる。

 やはり伝統的な思考が、ここに確立されているのだ。

 ならば100%とはいえないが、80%くらいはおやつ=菓子と定義できるのではないか?

 いや、できるかもしれない。

 うん、できるね。

 ひゃっほう。

 

 

 

5、遠足の定義

 

 最後の論議だ。

 今回は辞書の引用が実に多いのだが、まあ、仕方ない。

 では早速遠足を調べてみよう。

 広辞苑・・・学校で、見学・運動などを目的として行う日帰りの郊外指導(季・春)

 大辞林・・・学校で、運動や見学を目的として、教師の引率で行う日帰りの小旅行。《季 春》

 とある。

 まず前提は学校だ。

 しかしこれは問題ない。

 問題なのは『遠足で食べる間食=おやつ』という図式の成立だ。

 語学的にそれは明らかな間違いなのだが、これが心理的に適切であるかという問題だ。

 ほ。

 ようやくジャイアニズムの炸裂ができる。

 遠足の定義において食事以外で食べる概念は語学的に間食にすぎない。

 八つ時・・・とまではいかなくても昼食〜夕食間に食べる間食でなければおやつと定義できない。

 即ち、遠足の間食はおやつではないのだ。

 では、帰省中の間食は?

 これはおやつだ。

 つまり、午前中の間食はおやつと定義できないが、午後の間食はおやつと定義できる。

 実に面倒くさい。

 つまり、遠足のおやつは『午後の間食』において発動し、早い話『バナナは午後に食べればおやつとなる』という結論が完成する。

 

 結論に達した。

 バナナはおやつに入るのか?

 

 それは。

 遠足時において、バナナは午後に食べた時初めておやつに入るのである!!

 

 

 

6、あとがき

 

 かつて、19世紀ロシアの偉大なる作家チェーホフは『当たり前である事を恥ずかしくも無く「当然だ」といいきり、論議しない事』を最も嫌ったという。

 同感である。

 果たして、当たり前である事の何をどこまで知り尽くしていて、それで当然だと断言できるのか極めて理解不能である。

 たとえば『バナナ=おやつ』に関してでも、バナナの何を知っているから論議に値しないと断言できるのか?

 栄養成分を全部知ってるから言わなくてもわかる?

 広辞苑を完全読破したから考察する必要も無い?

 実は友人が論破してくれた?

 実は幼少期3日3晩寝ずに考えて自分なりの結論はでている?

 本当に?

 いや、違うな。

 興味が無いだけだ。

 しかも興味が無いから考察していないだけなのに、それを独自の観念で『必要ない』と決め付けているだけだろう?

 つまり、全く考えていない。

 1秒だって真剣に考えてはいない。

『くだらない』という無敵の一言を持って全て強制終了する。

 問われても、答えられないくせに。

 これを、思考停止という。






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