重要な事は、信仰させてしまってはならないという事だ。

 夏御蜜柑は笑う。

 人間は、本当に絶望に落とされると、信仰を抱いてしまう。

 抱いた信仰は全ての倫理、常識から反旗を翻し、革命となる。

 たとえば、今も一緒。

 もし、みやが人生に対して完膚なきまでの絶望を抱いた時、全ての希望を失った時。信仰を抱いてしまう。

 人生なんかどうでもいいと、命なんか知らないと、存在なんかいらないと、全ての規定の他切みやという人格の全てを放棄し、反旗を翻してしまう。

 死んでもいい。いや、むしろ殺してくれと全てを放棄し信仰した時、そいつは無敵になる。

 そうなったらもうどうにもならない。

 殺すしかない。

 しかし、殺してしまってはそれは敗北。

 勝利ではない。

 つまり、目的が達成されなくなるのだ。

 わかりやすく言うのなら、戦術では勝利しても戦略では敗北するようなものだ。

 だから、古来より名君と言われる者は民には必ず希望を与えた。

 全ての希望を失った時、それはその君主の死を意味するからだ。

 革命。

 だから、必ず希望を与えなければならない。

 どこの世界に給料無しの会社に就職する人間がいる?

 いない。

 だから、夏御蜜柑は必ずみやに希望を与えた。

 別に、難しいことではない。

 自制する事。 

 希望を与える事。

 それだけでいい。

 希望さえ与えれば、人は過酷な世界でも生きていける。

 逆に、希望がないと、例え極楽でも生きていけない。

 個人に希望があるか否か。

 

 

 

 夏御蜜柑は、笑った。

 場所は学校。

 夏御蜜柑は笑う。

「みや」

 その笑みは死神を彷彿させる。

 そんな悪魔の笑みに逆らえるはずもなかった。

「は、はい。蜜柑様」

「今日は我慢してみようか」

「え?」

 理解できない。

 困惑が発生する。

 それは心の係累。

 楔というに、相応しい。

 そんな状況で告げられたのは、試験。

「みやがこれからあたしの城まで我慢できたらぜ〜んぶ開放してあげる」

「え?」

 困惑。

 理解。

 それは焦燥へと発展する。

 だから、理知的な思考が拒絶される。

「な、なんですか?」

「簡単だよ。これからみやがあたしの城に辿り着くまでにうんちを漏らさなければゲームクリアだ。ただし、漏らしたら・・・・・・ま、その時はその時決めようか」

 笑う。

 死神。悪魔。鬼。蛇。蟲。毒。堕天使。魔王。邪神。

 それら全てを総括する彼女の笑みはどこまでも悪質だった。

「ま、安心していいよ。みやがもし漏らしても大丈夫なようにおむつをしてもらうよ。それにこれならイカサマできないしね、あはは」

 そう言って夏御蜜柑がパチンと指を鳴らすと、みやのショーツは一瞬にしておむつに変化した。

 その完全に物理現象を無視した奇跡はどこまでも毒々しい。

 悪魔の愉悦。

 笑う。

「あはは」

 恐い。

「さ、やるの? やらないの? 選ぶのはみや、キミだ。あたしは嘘はつかないよ。もし我慢できたら綺麗さっぱり解放してあげる」

「で、でも・・・失敗したら?」

「あのねえ、みや。人間なら失敗を恐れるのは当たり前だけど。千載一遇のチャンスを逃すようじゃ一生成功なんか収められないよ。成功者は皆失敗というリスクを乗り越えて成しているんだ。やらないならやらないで構わないよ。ただ、次のチャンスがいつくるかは未定だけどね」

 しかしみやは動けない。

 残酷な茨道を通る事は生物なら誰もが拒否する選択だ。

 だから、みやは沈黙する。

「・・・・・・・・・・」

 それをみて、笑う。

「あはは。わかったわかった。失敗しても特に罰は与えない。それでいいだろ?」

「・・・・・・・・・・」

「みや、こんなローリスクハイリターンを蹴るなんてアホの選択だよ」

 それは強制と高圧。

 しかし、なぜか命令的ではなかった。

 だから、揺れる。

 夏御蜜柑がその気になればみやの精神を操作する事だってできる。

 でも、しない。

 みやは気になる。

 夏御蜜柑という存在の悪性が理解できず。

 だから、承諾したのかもしれない。

 そこに、思考はなかった。

「はい。やります」

「あはは。それでいいんだよ。あたしは今まで一度だって嘘をついたことは無いし、これからも無いよ。だから安心して試験を受けなよ」

 それは、どこか慈悲に満ちた邪悪だった。

 

 

 

 学校から夏御蜜柑の城・・・もとい公衆便所までの距離はざっと1km。

 徒歩15分といったところか。

 しかし、現在の状況ではどう考えても15分では辿り着きそうに無かった。

 歩けない。

 歩くと決壊しそうで、とてもじゃないが、歩けない。

 夏御蜜柑はにやにやと笑っている。

 現在のみやの便意は沸騰するお湯のようにボコボコと荒れまくっていた。

 浣腸ひとつしていないのにこの便意は何事だろうか?

 理解できない。

 悪質な便意が強襲している。

 それを見て、夏御蜜柑は笑うのだ。

「じゃあみや。あたしは先に帰るからゆっくりきなよ。じゃ」

 そう言って夏御蜜柑は数人のクラスメイトと共に帰省した。

 悪魔。

 そう感じた。

 何故なら、夏御蜜柑は千里眼・・・もとい全里眼なるものを所有しているから、どこにいこうが丸見えなのだから。

 悪質な便意。

 沸騰する灼熱。

 一歩歩くたびにマグマが噴出す。

「うう・・・うぅ・・・」

 声さえも起爆剤となりそうだ。

 腹が鳴る。

 その声は空腹のそれとは全てが異質な地獄の木霊。

 脂汗が止まらない。

 死ぬ。

 どれだけ力を込めても悪魔は笑って顔を出す。

 あ、少しやばい。

 顔がでてきた。

 しかも液状だからなお、太刀が悪い。

 まだまだゴールは遠い。

 とても遠い。

 遥か彼方だ。

 死ぬ。

「た、助けて・・・」

 声が漏れる。

 双眸には涙が宿る。

 救済を求めている。

 だって、やばい。

 本当にやばい。

 我慢にだって限界がある。

 歯を食いしばり、目を瞑り、もう、歩いてさえいない。

 顔を真っ赤に紅潮させ、それでも根性で出してはいなかった。

 悪魔と真っ向から立ち向かうその力。

 夏御蜜柑に慈悲を与えるかもしれない。

 困惑。

 頭が揺れる。

 熱が出る。

 でも、耐えた。

 もう一歩だって歩けないけど、でも耐えた。

 そのまま動こうと努力する。

 一歩。

 大丈夫だ。

 もう一歩。

 大丈夫。

 このペースだと一体いつ目的地に辿り着けるかわからないが、それでも可能性があった。

 希望があった。

 しかし、体の中で猛り狂う便意という名の悪魔はどこまでも無慈悲にみやを攻撃する。

 苦痛。

 苦悶。

 死ぬ。

 一瞬たりとも気が抜けない。

 しかし、みやが気が抜けなくても悪魔だって気を抜かない。

 本気の攻撃だ。

 液体が数滴落ちた気がした。

 揺れる揺れる。

 頭が唸る。

 疲れる。

 動けない。

 周囲から奇異の目で見られても構わない。

 耐えれば。

 しかし、世の中の無常を今、理解した。

 小さな親切大きなお世話。

 それを喰らった。

「ねえ、大丈夫?」

 1人の中年女性が苦悶に満ちた状況のみやを気遣い、親切で接してくれた。

 悪魔。

 起爆剤。

 爆破。

 女性がみやに触れたその瞬間。

 大きなお世話が形となって現れた。

「あ・・・」

 みやは絶望さえ抱けない。

 爆発した感情は、結果となって疾駆する。

 漏れた。

 一度出たらもう、止まらなかった。

 異質な怪奇音を立てながら菊門より繰り出される液体の嵐は留まる事無くみやを攻撃する。

 恥辱。

 止まらない。

「う・・・うぅ・・・」

 涙が溢れて止まらない。

 恥辱の音と、恥辱の臭いと、恥辱の感触がみやを掴んで話さない。

 恥辱に束縛された。

 死にそうだ。

 今度は恥辱に殺される。

 疾駆する。

 しかし止まらない。

 悪魔の液体は依然としてみやを襲う。

 だれか助けて。

 惨めだ。

 たぷんたぷんと走るたびに液体がおむつの中で揺れ動く。

 臭くて、気持ち悪くて。

 あまりの苦しみに耐えられない。

 でも、止まれない。

 誰にもみつかるわけにはいかないから。

 だからひたすら疾駆する。

「うう・・・」

 涙が溢れて止まらない。

 ふと、液がおむつから垂れた。

 生暖かい地獄。

「ひ・・・」

 悲鳴。

 地獄地獄。

 無間地獄。

 その恥辱に溢れた状態で、ようやく辿り着いた公衆便所は、あらゆる意味で極楽を彷彿させた。

 少なくとも、中に入るまでは。

 

 

 

 中には既に夏御蜜柑が玉座に座り笑っていた。

「あはは。失格」

 残酷な悲鳴。

 それは、声にさえ出なかった。

「本来なら罰としておむつは解除してあげないんだけど・・・ま、約束は約束だ。罰は与えないよ。好きなだけだしなよ」

 そう言っておむつを消滅させた瞬間。

 悪質な液体が滴る事無く落下した。 




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