冬の万華


2005/12/29(Thu)■この世に普通などない

さあ、ようやくこの理論ですよ。
長かった。
まあ、時間かけた割には大した事書いてませんが。


例えば、孤独についてです。
人間は友人の数が誰もが同数である事など絶対にないのです。
ある者は1人もいず、ある者は100人近く。
そして、その数について抱く感情もまた千差万別なのです。
孤独であった時に関しても、孤独を望む人間と孤独を毛嫌いする人間が存在します。
まあ、その中間的な思考を持つ人も当然いるわけですが。


孤独を寂しいと一方的に定義する事は問題があります。
それは違う。
孤独とは、永遠であるのなら極寒の世界ですが、一時期であるのなら、冷房の効いた部屋にいるようなもので、結構快適と安寧を与えてくれます。
まあ、俗世の喧騒から解放されるために寺に篭る昔の武士と同じでしょう。


ここで普通と具体的に定義できる数値はいくつでしょうか?
友人の数の統計における中央値? あるいは平均値から推測する?
また、孤独の感受性についても何が普通なのか?
普遍的な孤独の感受など、聞いたことも無い。
否、普通という定義は実は中央値でも平均値でもなく、個人の主観が一定の人数と共有できる現象なのです。
故に、全ての主観が共有できることなんてありえない。
しかし、大多数の人間が共有できることはある。
例えば平和。安穏。幸福。
そういう願望は極めて大多数の人間の意識で共有できるため、実現の有無はともかく、主観の共有ができます。
だからこそ、幸せを望む事は普通だと定義します。
しかし、それは統計学的に立証されているわけではなく、ただ単に「俺はそう思っているから皆そう思っているに違いない」という願望でしかない。
具体的な根拠はないのです。
でも、結果共有できている、だから普通。
もやの中。
そう、普通とはもやの中なのです。
そのもやの中で皆が抱く感情が偶然一致しているだけの話なのに、それを主観が皆が同じに違いないと思い込む。
その2つの要因が合致したとき、人は普通を確信します。
しかし、全人類が抱く事は決してなく、少数派がいるのです。
それを、人は異端と定義する。
悪魔と決め付ける。
反社会的だと批難する。
勝手に。
個人の主観だけで。
しかも、それがたまたま周囲の意見と一致しているだけで、ほとんどギャンブル。
もし、幸福を望む事が普通だと思って、破滅願望を持つ人間を非難した時、周囲全ての人間が破滅願望を持っていたら?
普通は逆転する。
でも、個人の主観で正しいと思っているからその人にとっては普通でしかない。
あくまでも、普通を具現させることができないだけです。
普通。
そんなものは幻想です。
全て存在はズレています。
どこかで必ずちぐはぐであり。
そこに、決定的な証拠などないのです。
そう、普通とは悪魔の証明。
普通を立証する事は不可能なのです。
立証が不可能なら存在しないとするのは社会の基本です。
故に、普通は存在しない。


普通とは、個人の願望なのです。


2005/12/23(Thu)■またまたまたまた待って

Music PorterUを買ったのです。
電源をつけるのに20秒近くかかります。
もっさりです。
だ・が、音楽は特に文句はありません。
強いて言うならメールが届くと何故か音楽が一時停止になってしまう事くらいでしょうか。
それ以外は概ね良好。
あとは操作系統がFということくらいだね。
DやPは使いやすいのに最近のFOMAはOS使いまわしやがって・・・。
別に深田ありはD使いではなく、たまたま利害が一致したのがDが多かっただけの話です。
例えばD209iはなんとなく。選びましたし。
P211isは504シリーズは高いのでローエンド端末である211シリーズの中で最も性能がよかった(32和音、65536色。40曲保存)これを購入。
しかし便器に落とし、次の携帯では212シリーズは実にショボく、一方505はおそらくmova最盛期だったんじゃないかな〜的な頃でもあり、500曲保存という、ただそれだけの理由でD505iを購入。
NもFも100曲で、SHは30曲だったので論外。Pが300曲だったのにちょい惹かれましたが結局500の方を選択。
と、いうわけけでDを購入。
しかし度重なるパケ死と、電池のフタをなくして電話機能を失い、次なる携帯を模索しているとSO502iWM以来のWM端末を見つけたのでその携帯がとんでもないローエンド機だとも知らずに購入。
で、それがたまたまDだったと。
最大の欠点はね。あの横長の画面に合う画像がないんだよ!
そして今回も音楽容量が2GBという深田ありの趣味をくすぐる性能だったので選びました。
それが、たまたまDだったと。
そう、ぜ〜んぶ、たまたまDが重なっただけなのです。


さて、本日は2GBに音楽をぶっこむために何時間も不毛な時間を浪費しているわけですが、今日はなんかバトンが来たのでそれ答えますね。


1:回してくれた方に対しての印象をドゾ☆
・・・なんと答えたらよいのやら。普段はいい人。でも時として冷酷な一面も。
括弧たる自分を持ってる人でもありますね。特に権力者に媚びない孤高さは好きな一面です。


2:周りから見た自分はどんな子だと思われていますか?5つ述べてください。
その1、変人。
もう説明不要ですね。

その2、暗い。
深田ありは暗いときは本当に暗いです。うつ病一歩手前なくらいに。

その3、目立ちたがりや。
逆に目立つときは積極的に目立とうとします。・・・二重人格じゃないですよ?

その4、おしゃべり。
誰も彼もがそう言うんです。誰もが。「お前喋りすぎ」って。・・・おかしい。暗いモードの時は言葉1つ発しないのに。

その5、危険人物。
らしいです。これは中学時代によく言われたな。何故か。・・・おかしい。深田ありは万引き1つしたことがない善良な少年だったのに。


3:自分の好きな人間性について5つ述べてください。
その1、誇り高い。
高慢までいかないレベルが難しいけど。

その2、同族。
かつてただ1人同族嫌悪した人間がいますが、概ね好き。

その3、歯に衣を着せることができる人
深田ありはストレートに言う人苦手です。

その4、黙っててくれる人。
例えば、深田ありが大恥をかいたとしても誰も言わないで黙してくれる人。

その5、暗いモードの時引っ張ってくれる人。
目立つ時は主導モードなのですが、暗い時は流されモードで誰かに引っ張ってくれないと何もできないんです・・・。


4:では反対に嫌いなタイプは?
目先の事しか見ない人間。
先見性がなく、現在の利益にばかり固執した挙句、トータル的には損する人間。
まあ、個人の自由なのでどうということはないのですが、それを強要されたら深田ありはそいつを許さない。
現在の利益は現在の利益で大切なのはわかる。しかしそれだけにしか固執しない奴とは相性が最悪だ。
人間が動物を超越しているところは、目先の食料を追い求めて死ぬだけの獣から脱却したことにあるのだから。
例えば、目先の食料だけ追い求める動物が産業革命を成し遂げられるか?


5:自分がこうなりたいと思う理想像とかありますか?
深田ありが穢れる事無く誇りを保ったまま120歳まで生き抜くだけでいいよ。


6:自分の事を慕ってくれる人に叫んでください。
言葉には、出さないけれど。
深田ありはその人を尊敬します。


7.そんな大好きな人にバトンタッチ15名!(印象つき)
そんなにいねえよ・・・。


2005/12/21(Wed)■普通理論はまたまた待って

今日適当に朝鮮国史を見たら・・・うわあ。
どこから突っ込んでいいのやら・・・。


まず、最初に読んでて思ったこと。
奈良百済って何だよ!?
朝鮮の歴史が6003年ある事も不思議以外の何物でもありませんが、それよりも何で奈良百済!?
何でも朝鮮史によると紀元前3898年に倍達国という国を建国したのが朝鮮の始まりだそうです。
そして倍達国は中国を攻め滅ぼし、大帝国を築いたとか。
いえ、それ以前に紀元前6000年には紅山文明という世界4大文明に反旗を翻す謎の大文明が存在していたそうです。
何でも紅山文明は黄河文明の元となった文明だとか。
・・・・・・・・マジかよ。


で、奈良百済とは何でも紀元前37年に百済が日本を植民地にした後(多婆羅国というらしい)、高句麗が朝鮮を支配したため百済の重臣たちが6伽耶連盟を立て、ソン・ソンジという百済の大将軍が、日本に渡り日本初代の天皇になり、神武天皇は百済から送られたソン・ソンジの次の天皇だそうな。
そしてソン・ソンジと神武天皇が支配していた国を沸流百済(大百済帝国)といい、それがしばらく後に高句麗によって滅ぼされたので日本列島に逃げ出した応神天皇が奈良百済を建国したとか。


突っ込みたい所はいろいろあるが、まず1つ。神武天皇は紀元前660年に即位した最初の天皇だ。
しかも神話だし。
電波がいい具合だ。
何でも奈良百済とは邪馬台国のことだそうな。


まあ、倍達国よりもさらに古い桓国という国があるそうですが、こんなの実在しませんよ。
領土はバイカル湖を中心に南北5万里東西2万里という地球の領土全域としか解釈し様の無いアホな広大さがある事と、桓国の君主である桓仁は7代で3301年も支配していたという、人間の寿命では絶対に考えられない化物が支配していたそうです。


まあ、神武天皇も127歳まで生きたとかギネス級の寿命なので信憑性が薄いですが。
だって、当時の食生活と医療技術でどうやって生きたんだよ・・・。
まあ、それ言ったら達磨大師150歳まで生きたそうですから、可能性は0ではないでしょう。(まあ、本当に382年に生まれたかは別として)


まあ、どちらも神話ですから固い事は言いっこなしです。
それに神話を歴史に取り組むことはどこの国でもやってますしね。
神話なんだから。


2005/12/9(Fri)■この世に普通はない理論は次回まで待って

本当は昨日の最後の言葉この世に普通はない事を述べようと思いましたが昨日友人の中で数少ない深田ありのHPを知る人物より性格バトンなるものがきたのでちょっとここに。
つーかどこに掲載するか迷いました。
だってどう考えてもこれ慟哭じゃないし。
無論日記でもないしねえ。
茫漠にしようとも思いましたがmova最大の欠点であるメールは全角250文字までという恐るべき障壁の前に挫折しました。
まあ、PCから茫漠を書けば済む話だったんですけど・・・なんか気が乗らなくて。
じゃあ始めますよ〜。


[性格バトン]

■Q1.あなたは賑やかな人と大人しい人どちらですか?
分けてます。目立つ時は人の何倍も目立ちますが、大人しい時は存在を忘れられるほどに根暗の極致になります。


■Q2.あなたの性格に相応しい単語を5つあげてください。

【唯我独尊】
これは自分大好きという意味合いで使っています。揺り篭から墓場まで苦楽を共にするのですから深田ありは絶対に自分を嫌いにはなりません。

【深謀遠慮】
深田ありは何事も論理から入るタイプなので昔から突発的な出来事が嫌いでした。周到な用意と準備をしてから行動しようとするのですが・・・9割は失敗に終ってしまうのです・・・。

【女くさい】
深田ありは何故か女みたいな思考を持っているそうです。自覚はないのですが・・・つまり女々しいのか? 少なくとも男らしいと言われた事は一度もないな・・・。

【老人くさい】
これは完全に自覚してます。昔やった精神年齢テストで68歳だったし。口調が古臭いし。人生についてばっか考えてるし。この年で余生の過ごし方を考えるくらいだしね。若さが無いとよく言われます。いかん! 長生きはエネルギーですよ!! もっと若者らしくしないと・・・ってうわ〜じじくせ〜。

【変人】
これは小学一年生の頃からの深田ありの称号です。深田ありは変人である事のルーツを説明すると相当痛いエピソードが展開されるのでしません。黒歴史です。だって痛いなんてものじゃない。激痛エピソードですよ?(掲示に要望があれば語りますが・・・)


■Q3.好きな友達のタイプは?
あまり気にした事無かったな。だいたいは相手によって流されモード主導モードに分けてるから。


■Q4.嫌いな友達のタイプは?
ちょっかい出す奴。余計な事する奴。周囲を煽る奴。
昔、故・悪友S氏がまさにそのタイプ大っ嫌いだった。ただ、気があったため意気投合してたけどね。(複雑な関係だったな・・・)


■Q5.立直りは早いほうですか?
壊滅的。一度落ち込んだら死ぬまで引きずるタイプ。未だに幼少期から今までの汚点を思い出しては鬱になる。


■Q6.恋人にしたいタイプは?
長続きできる相手。告られるだけじゃダメ。


■Q7.恋人と一番の親友、選ぶならどちら?
深田ありが愛している状態なら恋人。覚めていたら友人。


■Q8.次にバトンを回す5人は?
深田ありの知り合いでHP開いている奴いねーよ!!
つーか深田ありの知り合いの9割は深田ありのサイトの存在を知らねーよ!!


2005/12/8(Thu)■この世に同じ人間はいない

さて、少し日にちが空いてしまいましたが公言通り今日のお題はタイトルの通りです。
では早速始めましょう。


まず、この世に100%同じ価値観を持つ人間に出会う事はまず、ないです。
特定のジャンルで共有できる価値観がある人物と出会えても、違うジャンルでは共有できません。
これ、重要です。
人間の思考は、様々なジャンルの価値観を触媒にした頂点として存在するため、1つとして他人と違う価値観が存在すると、総合的にみると全く考え方が違ってしまうのです。
また、思考が違う事はとても重要です。
それは、成長に繋がるからです。
人は同じ努力を同じ分量で行えば同じ結果になるとは限りません。
それは何故か?
それは思考が違うからです。
例えば物語を作るにしても全く同じジャンル、登場人物、内容でAとBが書いても思考が違うと仕上がりが別物になるのです。
感受性に相違があると、結末が変化し、それは同時に一生の変化に繋がります。


次に肉体。
人間が全く同じ体躯の人間と出会う事自体滅多にありませんが、それが一生涯共通で変化することもまた、まずありません。
肉体が違うのなら、何かをしたとしてもその結果は違うのでうす。
当然の事です。
だからスポーツは皆体を鍛えるのです。
人より秀でるために。
しかも、そこでもまた相違があり、同じトレーニングをしても同じ肉体変化をするとは限りません。
ここでもズレが生じ、そのズレは結果へと繋がります。
また、その結果を均等にするために、思考を相違させ、別ルートで共通化、超越するため完全に別物となります。


次に家庭環境。
これまた万人が同じような家庭状況であることなどありえません。
家庭環境違うのなら、当然将来の行方も違います。
食べるものも違い、住む場所も違い、教育も違う。
従って、将来同じなる確率は偶然に頼るしかありません。
そんな天文学的確率に必然性などなく、大抵は全く違う人生を送る事になるのです。
当然、生活が違うのですから知能も、体躯も、思考もバラバラです。


次に友好関係。
友人のタイプによって当然思考も違うのです。
当たり前の事。
例え同じグループ内であってもそこでの考え方が違うと、当然相違が生まれます。
従って、処世術としての共同はありえても、精神的な共同は稀有となるのです。
ただし、グループの基本は仲たがいしないレベルの価値観の共有度がある程度要求されるため、高い確率で精神的な共同はありえますが。


次に収入。
これはとても重要です。
万人が同じ収入を得るわけがありません。共産主義じゃないんだから。
当然収入が違うと生活も違い、生活が違うと思考も違い、一生さえも揺らぎます。
は人生のルートの80%を決定させてしまいます。
また、それが独身なのか、既婚なのか、子持ちなのかでも生活様式はガラリと変わり、当然処世術としての変化を要求されます。
すると、思考だけが精神に蓄積し、他者とは全く別の個性が完成するのです。


さらに既婚や子持ちだと伴侶や子、また親と同居ならその親の人間性の違いがさらに個人を変化させます。
そこに、共通される思考などありません。
十人十色の世界の中で、たまたま同じ思考にめぐり合うから稀有と定義できるのです。
思考、肉体、生い立ち、資金、友人、家族。
この6つの項目全てが共通である確率など0に限りなく近いと言えるでしょう。
さらに、7つめの相違がとどめを刺します。
それは、です。


たとえ奇跡的に全く同じだったとしても、運が違うと意味がありません。
相手が交通事故にあうかもしれない。
病気になるかもしれない。
逆に宝くじで1等を当てるかもしれない。
相手より長生きできるかもしれない。
相手の家族に異変が起こるかもしれない。
逆に自分の家族に異変が起こるかもしれない。
そう、が最後の障壁として大きく大きく立ち塞がるのです。


もはや、この世に同じ人間など存在するわけがないのです。
というか、一番最初の項目である思考が100%共通する事自体が不可能への挑戦です。
従って、この世に定義される普通とは、ただ単に社会的に普遍的である、ただの平均値なだけの話なのです。
例えば日本人の平均年収は444万円ですが、違うでしょ?
よって、普通を強制する事自体間違っているのです。
何故なら、この世に普通なんかないんだから。


2005/12/6(Tue)■この気が狂った文章は『深田文字』と言います

今日は高校時代の話を1つ。
深田ありは高校3年の時はマラソン以外はただの一度も授業にでませんでしたが、体育教師に好かれていたのか通信簿は3で、保健体育は4でした。
え? なんで好かれていたか?
それが本日のお題です。

深田ありは高校2年の春に体育教師に深田哲学を論弁した事がありまして、それ以来気にいられました。
たしか議題はこの宇宙にある物体は全て存在が矛盾しているというものでした。
このお題を長々と語っても良いのですが、ま、それはまたいつの日か。
余談ですが、この論理が夏御蜜柑を生み出したのです。
ま、夏御蜜柑は哲学ですから。
まあ、それはいいんですよ。
実は体育教師はある1点において深田ありと同じ視点でものをみているところがあったのです。
それが、今回のお題です。

それは、体育教師も深田ありもブルマが全面的に滅亡してしまった事に心から嘆いているという事です。
深田ありは体育教師と授業中にコーヒーを一緒にブルマ談義をしたことだってあるのです。(体育の授業中)
断言できます。
体育教師はブルマが大好きです。
間違いありません。
ひょっとしたらブルマがみたいから教師やってんじゃね? と懸念してしまうほどに。
体育教師は言いました。
「今はブルマの学校無いからつまんねえよなあ」
「昔はよかったなあ」
「またブルマ戻らねえかなあ」
等等。
深田ありも持てる全てのブルマの情熱と知識を振りかざし、それはそれは和気藹々と語り合ったものです。
だからこそ断言できるのです。
体育教師はブルマが大好きです。


例えばブルマにもブルマーやブルーマーやブルーマーズなどの読み方があり、どれが最も素晴らしいかを考えるだけで・・・。

井口阿くりは偉人です。
え? こいつ誰?
このお方をどなたと心得る!!
このお方こそ皇歴2665年の歴史を誇る日本史上最初の女性体育留学生にして女性体育のパイオニア!!
この四季折々の偉大なる大地、日本にブルマという地球の歴史を塗り替えた偉大なる大発明を世に伝えた神にも等しい聡明なる存在、私立毛利高等女学校教頭先生に在らせられるぞ!!


・・・ふう、今回はかなり痛いですね。
痛すぎです。
でも、ブルマは好きなのですよ。
例え痛くても。


これも深田哲学なのですが。(これについては次回に)
この世に同じ人間はいない。


2005/12/4(Sun)■恐ろしく久しぶりの更新・・・

さあ、久しぶりの更新ですよ。
では今回も唐突に始めましょう。
今日の深田哲学のお題目は言い訳についてです。

人は言い訳を嫌います。
でも、何故、言い訳を嫌うのか誰も考えません。
何故なら答えが出ているから。
結論は1つだから。
見苦しいからですよ。
言い方を変えればウザイ。
つまり、聞く気が無いのに相手側から一方的に論理を展開されてもそれが生理的嫌悪を催すため拒否する信号に忠実な行為として、言い訳を否定するという感情が生成されます。
そしてその感情は社会の正当性に基づいているため、そこに罪悪を感じる事無く論理を展開する相手に対してその罪悪をなすりつけ、自分は安穏に浸ろうとする行為なのです。
つまり、俺は疲れてんだからこれ以上疲れさすなボケ!! と、いう事です。

要するに、言い訳を否定する人間は最初から論理的な思考を完全停止しているのです。
論客にさえならない。
相手が土俵にたつ行為を否定しているため、言い訳になってしまうのです。
そう、言い訳になるかならないかの境界線は、相手がその論理に向き合ってくれるか否かなのです。
つまり、この地球上に存在する全ての言い訳は犠牲です。
相手側からの一方的な攻撃。
いじめ。
迫害。
残虐。
嗜虐。
シカト。
無視。
村八分。
全て言い訳を拒否された人間は被害者です。犠牲者です。
そして全ての言い訳を拒否する人間は加害者です。人道的犯罪者です。
相手を迫害しているのです。
差別しているのです。
いじめているのです。
ハラスメントしているのです。
攻撃しているのです。

相手にどんな正当性があろうとも一方的な偏見でその論理を否定し、反論もせず、ただ感情に流された挙句相手を攻撃し、迫害し、晒し者にする。
そう、ただ単に一方的に攻撃する狩り。狩猟なのです。
相手を狩猟しているのです。
これが残虐でなくて何を残虐と言えばよいのでしょうか?
そう、言い訳とは相手が己の正当性を論理化し、自分の立場を守るために行う防衛行為なのです。
それを反論もせずに否定するという事は、ただ単に、相手の存在そのものを否定し、相手の価値そのものを否定し、相手の未来の全てを抹殺する行為なのです。
相手に絶対の非があるのなら反論すればいい事。
いかに見苦しくとも、それに正当性がないのなら論理は矛盾に満ち、正当性を棄却できる。
少なくとも裁判において被告側の発言を全否定する行為など魔女狩り以外の何物でもありません。

無論、実際には言い訳に反論する暇がない状況はいくらでもあり、全ての言い訳に真摯に対応する事など絶対に不可能です。
しかし、だからといって言い訳の行為そのものを否定する事は魔女狩りです。
確かに言い訳をする事ができない状況は多々存在しますが、逆に言えば言い訳をする事が出来る状況も多々存在するのです。
その可能な状況においてなお、言い訳の全否定はやはり魔女狩りです。
東京裁判です。



回帰