幸福科の生徒はわけもわからず校庭の端に位置する謎の小池に集められた。
小池といっても水深は10pにもみたない浅い水たまりだ。
しかしなぜかその小池は落とし穴のような構造になっており、周囲には幾重もの椅子が所狭しとならべられている。
皆困惑を隠しきれなかった。
幸福科の面々はその落とし穴の中の小池、もとい水たまりの上にいるのだから。
まだ春先のため足が濡れ冷たい。
靴は愚か靴下にまで水が浸食しかなり気持ち悪い。
そんな嫌悪感に15分ほど苛まれた頃だろうか、夏御蜜柑を筆頭に全校生徒が集結した。
椅子には夏御蜜柑をはじめ教師陣が座り、その周りに全校生徒が覗き込む。
無論、1000人の生徒が全て見られるわけではないので、生徒会役員が集結している。
また、この水たまりの上にはカメラが設置されており、おそらく全校生徒はこのカメラを経由して覗き込むのだろう。
なにが起こるというのか。
夏御蜜柑は笑う。
恐い。
果敢にも、みなのが進言した。
「あ、あのう・・・理事長先生ぇ」
「何かなみなの?」
「これから・・・なにがぁ?」
みなののびくびくと怯え混じりのその態度に夏御蜜柑は下卑た笑みを浮かべながら邪悪に答える。
「あはは、安心しなよ。校則でも君たちは犯されないようにしてあるから」
「え、じ、じゃあ・・・何するんですかぁ」
みなのだけではない。
皆一様に怯えていた。
生徒会と教師、そして夏御蜜柑の眼が恐い。
目線が上にあるだけでここまで恐いとは知らなかった。
小動物の気持ちが分かった気がした。
夏御蜜柑は笑う。
「あはは、これから君たちには服従の儀てっのをやるから」
「ふく・・・じゅう?」
「そうだよ。まずは君たち、全員そこに正座しな」
顎でしゃくる夏御蜜柑に彼らは恐怖した。
それは、夏御蜜柑に蹂躙されていない8人も例外ではなかった。
夏御蜜柑に少し威圧が宿る。
「もう一度言うよ。お前等今すぐそこに座れ」
その声にまっさきに反応したのは4人だった。
特に一番悲惨な扱いを受けた花梨の動きは迅速だった。
何の躊躇いも鳴く水たまりの中に正座する。
しかし一般受験組は未だ困惑していた。
「どうしたのかな? 推薦組はみんな座ったよ。はやく座りなよ。・・・座れよ」
『座れよ』の部分に感じた凶悪な邪悪。
殺気。怨念。怨嗟。極悪。外道。哨戒。
それらの感情により焦燥され、みな恐る恐る正座した。
制服に水が浸透する。
パンツにまで水が汚染される。
しかもかなり冷たい。
気持ち悪い。
「さてと、これから君たちはあたしがいいと言うまで大声で『先生方並びに全校生徒の皆さんに服従いたします』って言いながら土下座するんだ」
「ええ!?」
声は揃っている。
当然だ。
「さ、やりなよ。それができれば君たちの学生生活はあたしが保障するよ。万が一君たちに手を出そうとしたヤツはあたしが家族もろとも殺してあげる。だからさっさとやりなよ」
ためらう。
できるはずもない。
そんな心にも無い盟約など不可能。
しかし、夏御蜜柑は笑う。
「心にも無い? ダメだよ。心を込めなきゃ。あたしに嘘はつけないよ。さ、心から服従するんだ。それができるまで何時間でも、何日でもそこにいてもらうよ」
威圧。
強烈な威圧。
それから20分間。まったく停止状態のまま世界は継続されていた。
問題は推薦組だった。
一般入試組は夏御蜜柑の暴政を知らないから気丈に耐えているが、推薦組は実を言うと土下座したくてしょうがなかった。
しかし1人土下座したら一般入試組に対して大罪を犯すような気がしてどうしてもできなかった。
夏御蜜柑は笑う。
「ほら、やりなよ。ね?」
それは慈悲。
4人の精神は限界だった。
「せ、せせせせ、せ」
やはり、最初に屈したのは花梨だった。
幸福科の一同が不安げな、驚嘆の色を隠せない不思議な悲愴な目線で花梨を見やる。
「せぇ?」
夏御蜜柑が鸚鵡返しする。
その時の殺意といったら!
刹那、4人は土下座した。
その殺意の前には逆らえない。
絶対に逆らえない。
「せ、先生方及び全校生徒のみ、皆さんに服従・・・いたします!」
額を水たまりにこすりつけ、髪の毛を経由して顔がびしょ濡れになる。
顔を再び上げた時のその悲愴な姿はむしろ滑稽だった。
「あは、あはははは!! でもダメだね。一般入試組が土下座してないもん」
その時に宿った雰囲気。
それは一般入試組を不安に陥れるには充分だった。
一方入試組はもう一度土下座する。
その無様なこと。
それは、強迫観念。
少しずつだった。
「せ、せんせ、先生方・・・及び・・・・・・全校・・・生徒の皆さんに服従いたし・・・ます」
「まだダメ」
「先生方及び全校生徒の皆さんに服従いたします」
「ダメ。まだやってないのがいる」
「先生方及び全校生徒の皆さんに服従いたします!」
いつしか、全員が水たまりに顔をびしゃびしゃと汚しながら土下座するようになっていった。
幾度となく、何度も何度も。
しかしそれでも夏御蜜柑は許さない。
「ダメ。心がこもってない」
遂には皆泣きながら、一心不乱に土下座していた。
「先生方及び全校生徒の皆さんに服従いたします!!」
「もう一回」
「先生方及び全校生徒の皆さんに服従いたしますう!!」
瞬間、夏御蜜柑が叫ぶ。
「ようし。そのまま顔を上げるな。息ができるレベルで止める事。さあ、みんなアレをぶつけてやれ!!」
アレ。という言葉に違和感を覚えた。
刹那。生卵が炸裂する。
「あはははは!! 無様だねえ!! ほら、君たちこんな画期的なストレス解消はないよ!! 小麦粉生卵おしっこ犬の糞砂に塩。何でもいいから好きなだけぶちまげてやれ!!」
「理事長先生!!」
すると1人の男子学生が挙手する。
その目は爛々と輝いている。
「何だい!?」
「直接やっちゃうのはダメっすか!?」
「それはダメだよ」
「ちくしょう!! このクズ共が!! ぬか喜びさせんじゃねえよ!!」
刹那、悪鬼となった男子学生が石を顔にぶつけた。
「うあっ!」
しかし幸福科の面々は姿勢を崩す事はできなかった。
生卵に小麦粉が絶え間なくぶちまげられ、それと同時に炸裂する悪意ある言葉の怨嗟。
「わかったか? お前等は俺たちにずっとそうやって頭下げて過ごすんだ」
「きったねえな。ま、これがお前等の立場だ。よく覚えておけ」
「わかった? あなたたちはこれから一生私たちに逆らわない事ね」
「ほら! 頭が浮いているわよ!! もっと・・・下げろ!!」
「身に刻め! 体で覚えろ! お前等は虫けらなんだよ!!」
「もちろんこいつらは俺たちに絶対服従ですよね理事長」
「当然だよ。この子達は君たちには逆らえない。ただひたすら怯えながら従うだけだよ」
「あ〜あ、これでこいつらやれたら最高なのに」
「ごめんねえ。それだけはダメだよ。でもそのかわり、やらなければ何しても言いから」
こんな屈辱は推薦組はともかく一般入試組にははじめての経験だった。
屈辱。
しかも夏御蜜柑はさらなる要求を行う。
「ほら、さっきから何だまってんのさ。何かいいなよ」
「そうだ何黙ってんだよ!!」
「何かいいなさいよほら!!」
言葉のたびに投棄される遺失物。
また、誰かが生ゴミを投棄し、異臭が立ちこもる。
「う、くせえ!」
「腐ったゴミとはお似合いだな。あ?」
夏御蜜柑が笑いながら眺めていた。
その時、聞こえた。
おそらく教師や生徒には聞こえなかったろうが、幸福科の生徒には夏御蜜柑の声が聞こえたのだ。
「み、皆様・・・私達は・・・逆らいませんから・・・皆様の言いつけをきちんと従いますから・・・どうか、もう許してください」
ぽつりともれるその声。
「口じゃ何でもいえるしねえ」
「本当です。口答えもしません、不満も言いません、忠実に尽くしますから。本当です」
「そう? じゃあみんな、この子達にその証拠を見せてもらおうよ」
夏御蜜柑が全員を促す。
一同が注目する。
「この子達におしっこをかけてやれ」
「え?」
「だって文句を言わないって。だから証明だ」
「はい!」
その声に乗じて男子生徒が次々と小便をかける。
その時の昂揚はおそらく一生わすれないだろう。
それと同時に先程夏御蜜柑にいわれた命令に従う。
「あ、ありがとうございます。誠心誠意尽くしますう」