不治の病にかかったものは本当に絶望するの?

 医者に見放されたら心の底から絶望するの?

 じゃあ、もしこの場で死の病を患ったら本当に何もしないの?

 違うよね。

 大抵の人はそれを克服しようと躍起になる。

 不治の病を患っているからといって、はいそうですかと死にはしない。

 みんなそうだよ。

 人はそれを行う行動力と理性を失った時はじめて絶望するんだよ。

 心の中の太陽が、

 夕焼けに感じた時、

 そして、その夕焼けが綺麗に見えたらおしまいだね。

 

 

 

天地県雲隠市。

そこが和信の実家になる。

 人口7万人の田舎の街。

 和信が雲隠駅についたとき、改めて東京とのギャップを実感した。

 ちなみに天地県は関東の中央より少し上に位置する県で日本2位の面積と4位の人口を誇っている。

 和信が家に向かおうとバスに乗り込もうとしたその時、1人の男を見かけた。

 赤の他人。

 しかし和信がそんな見知らぬ人間に目を奪われたのはその異様な井出達にあった。

 男の年齢は見かけ40歳台。

 体格、少し小太り。おそらくビール腹。

 しかしそんな事は全くもってどうでもいい。

 その男は何故か真っ黒なレインコートを身に纏い、大きな紳士傘を差している。その黒ずくめの異様さは常人では計り知れない。

 無論、今は雨など一滴もふってはいない。ただ、どんよりと空が濁っているだけだ。

 確か今日の降水確率は7%くらいであったろうか。

 たとえ降ったにせよあそこまでフル装備する必要はどこにもない。

 まるで台風にでも備えるような恰好だ。

 和信がじっと凝視しているその視線に気付いたのか、男が近づいてきた。

「私に何か用か?」

 和信はそのふざけた恰好をした男にズバリ質問したかったが、何かその男が不気味なため、あわてて首を振った。

「い、いえ・・・なんでも」

「・・・・・・・・・そうか」

 男はどこか釈然としないながらも去っていく。

 和信は明らかに男を侮蔑した表情で見送り、バスに乗った。

 

 

 

 男はたった一滴の水から逃れるためにこんな恰好をしているのだ。

 男は水に触れないのだ。

 その男はさっきの青年を見て思案していた。

「さっきの男・・・・・・・・・どこかで見たような・・・・・・ああ、そうか。3年ほど見かけなかったがあいつは屋敷の御曹司だ」

 

 

 

 和信はバスの窓越しに3年ぶりの故郷を一瞥していた。

 田んぼが所々に点在し、その田んぼから少し離れると街がある。

 比率でいうと田んぼ7割、街3割といったところか。

 

 約20分程で和信は下車した。

 そこは雲隠市でも金持ちばかりが住居をかまえる場所だった。

 和信は迷う事無く進んでゆく。

 雲隠市には2大名家といわれる程の歴史ある家が二つ存在する。

 七条家と屋敷家。

 かつて代官を務めていた旧家、七条家。

 そして藩命によって豪族に組み込まれていた旧家、屋敷家。

 50年前ならこの二つの他に庄屋を務めていた旧家、厚保白家があったが子宝にめぐまれず崩家してしまった。

 したがって現在は雲隠市においてはこの二つが超大国となって冷戦をつづけているのだ。

 その理由は七条家の特殊な家柄と屋敷家の特殊な家柄が相反しているからである。

 共産主義と資本主義の対立のようなものだ。

 さて、和信はその家の右翼、屋敷家に向かう。

 

 屋敷家は和風の邸宅だった。

 屋敷家は350年の歴史を持つ名家である。

 土地はおそらく400坪弱。家は平屋の豪邸が90坪近くを占めている。

 偉そうにも家には門が存在し、そこをくぐるとこれまた偉そうな庭園が広がっていた。

 ただ、池に関しては洗浄していないのか黒く澱んでいる。

 当然であるが錦鯉など飼っていない。

 200年前ならともかく今の屋敷家はそんなに金持ちではない。

 昔和信が祭りで金魚をすくった時にこの池で飼ったことがある程度だ。

 ちなみに金魚はその水槽の大きさに比例して大きくなるため和信の金魚はそれこそ鯉と見違える程にでかくなった。

 和信はそんな池を見て望郷の念に耽ったがあまりにも池が汚いためすぐに玄関を目指した。

 屋敷家の玄関は一般家庭の戸に比べれば幾許か大きい。

 しかし屋敷家の戸には鍵がない。

 昔の玄関の戸には鍵がついていないのが多いのだ。

 ましてや屋敷家は築100年に達するであろう古い家。

 鍵などついているはずがない。

 和信は泥棒がはいったらどうするんだと思いながら戸を開ける。

「ただいま」

 玄関には誰も迎えていなかった。

 しかし1分もすると足音が聞こえてきた。

「あ、お兄ちゃんおかえり」

 そう言って現れたのは、せんべいをかじりながら歩いている・・・悪く言えば無作法な女の子。

 屋敷美琴。

 和信の実の妹であり今年から受験生になる。

 美琴は和信とは違い、地元の高校(ひとつしかない)に進学しており、大学も地元を受けるそうだ。

 和信は常々偏差値が64もあるのにもったいないとぼやいていた。

 ちなみに和信が何故美琴の偏差値を知っているかは謎である。

「3年ぶりなのにずいぶんな反応だな」

「だって今日帰ってくるってわかってたし、ああ、そうそう帰ったんならおっちゃんの部屋に来いってさ」

 おっちゃんとは2人の父、重慶の事である。

 重慶の本業は弁護士をしているがそれとは別に廃業状態の副業も行っている。

 おっちゃん呼ばせているのは何故かお父さんと言うと虫唾が走るからだそうだ。

 和信が重慶の部屋へ向かおうとするとさらに美琴が言ってきた。

「それ終わったら次はお母様のところに行ってね」

「あ〜はいはい」

 同様に母、彩音は子供たちにお母様と呼ばせる事を強要している。

 なんでもお母様と呼ばないと烈火の如く怒るとか。

 早い話が病気である。

 和信は廊下を渡り重慶の部屋へ向かう。

「おっちゃん、帰ってきたぞ」

 襖を開けると上座に座って煙草をふかしている重慶の姿があった。

「帰ったな放蕩息子」

 重慶は和信を下座に座らせた。

 曇りの空はゆるゆると小川のように流れてゆく。

 

「大学に落ちたようだな」

「・・・・・・・・・ああ」

 重慶は煙草を灰皿に押し付ける。

 和信はその動作が少し、気に障った。

「わざわざ家から出て、それで落ちるとはな。お前はどこ受けた?」

 和信は怪訝そうな顔をする。

 何故そんなことを聞く?

 和信は重慶のその問いに懸念しつつも渋々答えた。

「国立は東京工大(理学部数学科)、私立は国際基督教(教育学部理学科数学専修)、早稲田(理工学部数理科学科)、上智(理工学部数学科)そしてすべり止めに東京理大(理学部数学科)」

 ちなみに和信は理系である。

「5つも受けて全滅か、しかし東京理大にも落ちるとはな、他の4つは落ちてもわかるんだがな。おれは法学の出だからわからんが理系とはそんなにハードル高いか?」

「ぼくも法学のレベルがわからないから答えようがない」

 ちなみに上記の大学の法学と数学の偏差は東京工大、法学なし。国際基督教、法学なし。早稲田、偏差4(法学部のほうが高い)。上智、偏差10(法学部のほうが高い)東京理大、法学なし。となっている。

 重慶が煙草を取り出し火をつける。

「ま、落ちたんだから仕方あるまい。今年は約束通りこっちで生活してもらうぞ」

 和信は苦虫を噛み潰したような顔で渋々承諾した。

「わかったよ」

 和信が立ち上がろうとすると、重慶が制した。

「ああ、待て」

「何だい?」

 和信が再び下座に腰を下ろす。

「実は去年IEEOに登録したんだ。」

「IEEOに? ふーん。じゃあ七条を駆除すんの?」

「いや、登録しろとIEEOから再三の忠告がきたから仕方なく・・・」

 重慶はどこか澱んだ言い方をする。

 IEEO。

 正式名称InternationalExtraordinaryEliminateOrganization。

 日本語で『国際異能排除機構』。

 文字通り国際機構の異能、異形排斥組織である。

 判りやすく言うと世界中の怪物や化け物、魔女や超能力者を人類の平和の名のもとに抹殺する組織である。

 早い話が現代版の魔女狩りである。

 1970年に発足。

 母体は西暦400年頃に誕生した『異能協会』を母体とする。

 しかし1970年に起こった月草事件によって異能協会は消滅。異能協会最後の会長レクリエールが初代IEEO局長となり現在まで続いている。

 レクリエールは70歳にして未だ現役らしい。

 さて、話を戻そう。

 和信は目を輝かせて質問する。

「IEEOの下請けになったって事は給料もらえんの?」

「ああ。中級異能は一軒につき20万、中級異形は150万だ」

「・・・・・・・・・差があるなあ」

 和信のぼやきに重慶が少し、残念そうに煙草を灰皿に押し付ける。

「ああ、何でも異能は人間だから簡単に駆除できるんだと。そりゃ軍隊もってるIEEOから見りゃそうだろうよ」

「中級ってほかの値段は?」

「ん」

 重慶が規約を棚から取り出し、和信に渡す。

 和信は規約を受け取ると、その差額に驚愕した。

 

 報酬(一体あたり)。

初級(1〜256Po)

異能5万(均一) 異形40万(均一)。

 中級(257〜789Po)

 異能20万〜30万 異形150万〜200万。

 上級(790〜999Po)

 異能50万〜70万 異形350万〜580万。

 頂点(1000Po)

 異能100万(均一) 異形1000万(均一)。

 例外(0Poもしくは測定不能)

 異能1万(0の場合) 異形8万(0の場合)

 異能最上限1億(能力の内容により変動する。) 異形最上限10億(能力の内容により変動する。)。

 異能の定義。

 生物学上人間である事。または人間としての証明(戸籍等)を所有する者。

 異形の定義。

 生物学上人間以外である事。または悪魔、吸血鬼、幽霊その他の新種の生物等の人間とは著しい能力の落差が存在する場合は証明を厭わない。(ただし異能値は最低でも500以上であり、生物学上人間ではない場合に限る。)

 また、異形の乱獲、解剖、展示(図鑑等含む)、武器への材料、生体実験は禁ず。違反した場合は10年以下の懲役または無期または死刑に処す。

  異能、異形を問わず令状なしの駆除を禁ず。違反した場合は異能の場合殺人罪に、異形の場合は動物保護法違反に処す。

 

一頻り読み終えた和信は規約を重慶に返した。

「ふ〜ん。ずいぶん漠然としているんだね」

「そんなもんだろ」

和信の軽い口調に重慶が釘を刺す。

「もう終わりかな? じゃあそろそろ行くよ。お母様がお待ちなんでね」

「そうか。・・・・・・・・・3年ぶりだからと言って忘れていないよな?」

「大丈夫。覚えてるって」

和信はそう言って重慶の部屋から出て行った。

申請とはIEEO日本支局へ異能駆除令状を申請する事であり、これが通ると異能者を最悪殺害しても罪に問われる事はなくなるのだ。

一応初級異能も駆除可能ではあるが慣例として申請が受理されるには最低でも異能値250以上ないとまず、申請されない。

過去最低数値は195である。

少なくとも念写やテレパシーくらいしかできない異能者は絶対に申請されない。

駆除基準は『人類の平和を脅かすレベル』であるからだ。

 

和信は長い廊下を渡っていく。

屋敷家は七条家と違ってお手伝いさんがいないため月に一回清掃業者を雇うだけのため、少し埃っぽい。

彩音の部屋の前まで立つと和信は跪く。

「お母様、和信です」

すると襖の外からおっとりとした声が聞こえてくる。

「入ってもかまいませんよ」

和信は恭しく襖を開く。

彩音の部屋は10畳の和室である。

と、いうよりこの家は全て和室である。

彩音は清聴に正座している。

その表情は菩薩と見違えるほどだ。

しかし和信は知っている。

この菩薩が扱い一つで般若に豹変する事を。

だから和信は慎重に部屋に入った。

「おかえりなさい、和信さん」

彩音が静かにそう告げる。

和信は冷静に答える。

「はい、お母様もお変わり無い様でなによりです」

この会話からは信じられない事だがこの二人の間には何故か他人の垣根がなかった。

「残念でしたね」

「5つも受けて全滅してしまいましたから・・・」

「来年頑張ればいいですよ」

「まあそうですね」

和信ががっかりしたように肩を落とす。

その仕草を見て彩音が聖母のような微笑を向ける。

「大丈夫ですよ。重慶さんも一浪してますから」

「え?」

和信の目が変わる。

「重慶さんも高校は・・・まあ当時は学区性でしたから地元なんですけど、それでも大学は東京ですよ。」

「ほんとですか? お母様」

「もちろんです。それに重慶さんも学生時代は一浪の末、立命館(偏差値70)に受かったんですよ」

その言葉に和信が目を丸くする。

「何? おっちゃんが立命館?」

「はい、法学部の法律学特修課程に通って弁護士になったんですよ。もっとも司法試験も四浪しましたけど」

 司法試験。

 日本で一番難しいとさせる試験。

 逆に日本で一番簡単な試験が医師試験である。

「へえ、いい事聞いたな。ありがとうお母様、僕今度こそ東京工大に受かってみせますよ」

「期待してますよ。でもさっき言った事は黙っていてくださいね。重慶さんは短気なので」

「わかってますよ。では、失礼します」

「はい」

和信は一礼して彩音の部屋を去る。

するとそこには美琴が笑顔で待ち構えていた。

「よかったね」

「うん。ほんとによかった。美琴も受けたらどうだ? 美琴なら法政くらいなら入れるだろ」

その言葉に美琴は複雑な表情を浮かべる。

何故?と和信は思った。

「わたしはお兄ちゃんと違って外出するの嫌いだから」

和信はその時初めて理解した。

「ひょっとして・・・・・・家から出るの嫌だから東京の大学受けないのか?」

「そうだよ」

和信はその言葉に幾許かのショックを受けた。

そうだ、そうだった。

美琴は極度の引きこもりだった。

いや、引きこもりという言い方は語弊がある。

美琴は学校には休まず通っているし、たまには友人と遊びに行く事もある。

正確に言えば『長期に渡り家から出るのが嫌』なんだ。

1日や2日程度なら問題ないが1週間以上の外泊ができないんだ。

そういえば美琴は修学旅行が大嫌いだった。

引きこもりではく極度のホームシックである。

この維持費だけでも馬鹿にならない豪邸のどこにそんな魅力があるのか和信にはわからない。

価値観というのは人それぞれである。

和信が放心している間に美琴が彩音の部屋の前で跪く。

「美琴です。入ってもよろしいでしょうか?」

「どうぞ」

返事を聞いた美琴はそそくさと彩音の部屋に入っていった。

和信は廊下に1人取り残された。

 

和信はバッグを自分の部屋に置く。

3年ぶりの自分の部屋だ。

部屋は10畳。

荷物はどうやら届いていたらしく大量のダンボールがそこらかしこに散乱している。

和信はその大量のダンボールを見ると片付ける気を失ったため、部屋をそのままにして外出した。

和信は庭を見回す。

外見だけは実に立派である。

しかしこの庭のせいでお手伝いさんを全員解雇したのを和信は知っている。

和信がまだ3歳ぐらいの頃は2、3人のお手伝いさんがいた記憶がある。

何でも60年くらい前には近所の娘らが奉公にきたそうだ。

しかし戦後農地改革によって土地が大量に売却されてしまい資産が極端に減った。

しかも父、重慶が弁護士になるまでは土地を少しずつ売って生活していたそうだ。

昔は雲隠市の3分の1を占めていた屋敷家も今となっては400坪の土地が最後の土地となっている。

しかもこの馬鹿みたいにでかい土地と目を見張る庭園は莫大な維持費を必要とするためいかに重慶が弁護士であろうとも毎年赤字である。

そのためお手伝いさんを雇う資金などあるはずがない。

昔は透明に澄んでいた池も今は黒く澱んでいるのが何よりの証拠だ。

美琴はどうしてこんな吸血庭園が気に入っているのかよくわからない。

あと10年もしたらこの土地もきれいさっぱりなくなるのではないだろうか。

和信はそう懸念する。

和信は情緒よりも現実を直視する男であった。

 

和信は住宅街を見回しながら繁華街を目指す。

空は灰色に濁って世界を覆い隠す。

ここらへんの家はみんな立派なものが立ち並ぶ。

戦後、事業に成功した連中が住んでいるようだ。

もっともここはもっぱら隠居用の邸宅になっているが。

住宅街の端のほうに屋敷家を上回るほどのすさまじい豪邸が鎮座している。

和信はその巨大邸宅を一瞥し、澱んだため息をつく。

七条家。

昔は代官をやっており、戦後は土地を売り払った金で事業を起こし、成功を収めた一族。

土地売って遊んで暮らして今となっては金が底をつきかけたうちとは大違いだな、と和信は思った。

「確か建設業で成功したんだったかな」

七条建設。

七条家をしばらく眺めていた和信はそのまま街を目指した。

七条家は大仏のように鎮座していた。

 

雲隠市は田舎である。

したがって見渡す限り田んぼが広がっている。

街まで5qはないであろうがそれでもそれに近いくらいには遠い。

「自転車こげばよかったかな・・・」

いまさら後悔しても遅い。

和信は自動車免許をもっていない。

というより教習を受ける時間がなかった。

従って同様に自動二輪も原付も当然小型自動車免許ももっていない。

和信はひたすら田んぼに囲まれた道路を渡っていく。

所々に横切る車が少し、恨めしい。

1時間近くかけてやっと街まで辿り着いた。

「・・・・・・これからは自転車に乗ろう」

すっかり足がくたびれていた。

和信がどこかで休もうか辺りを見回すと知った顔を発見した。

同年代の女性。

水村純。

幼稚園からの知り合いで中学まで一緒だった、いわゆる幼なじみ。

ちなみに水村はみなむらと読む。

「おーい純」

和信が純に近づき声をかける。

「ん?」

純がきょろきょろと周りを見回す。

しかし気のせいかと思ったのか首をかしげたのち再び歩み出す。

「おーい水村さーん」

「ん?」

純が再び周りを見回す。

しかし再び首をかしげる。

ちなみに和信は純の真後ろにいる。

「み〜な〜む〜ら〜じゅ〜ん」

和信は純の耳元で叫んだ。

そしてようやく気付いたらしく純はあわてて後ろを振り向く。

どうでもいいが鈍感すぎだ。

「え、あ? う? あれっ和信?」

「相変わらず鈍感だね、純」

「久しぶりねえ、3年ぶり?」

「そうだな。3年ぶりだよ」

純は笑う。

「帰ってきたってことは大学落ちたんだ。この浪人野郎」

グサ。

和信の心臓に何かが刺さった気がした。

「まあ和信だもんね。馬鹿なのは仕方ないよ」

グサグサ。

和信の心臓が傷ついてゆく。

「まあ和信の低能さは今に始まった事じゃないからいいよ。それよりお昼にしない? 和信にとっては3年ぶりでしょ。アレは」

グサア。

和信は久しぶりの純の毒にすっかり耐性を失っていた。

純はその言葉に毒を含んでいる事を和信はすっかり忘れていたようだ。

「どしたの?」

「いや・・・・・・久しぶりだったんで純の毒を直撃してしまった・・・」

「あっそ。じゃあ行こう、このマゾ野郎」

グサ。

 

2人は迷う事無く一軒のあんみつ屋「跋扈闊歩」に入った。

ちなみに甘味処ではなく、あんみつ専門店である。

したがってみつ豆は売っていない。

ちなみに何故か雲隠市の住人はほとんどがあんみつ好きの納豆嫌いである。

2人は席につきメニューを見る。

そこには60種類以上のあんみつが提示されていた。

しばらくして店員がやってくる。

「あたしはカレーあんみつを」

「ぼくはあんみつラーメンを」

2人は得体の知れないあんみつをオーダーする。

実はこの店のあんみつはこんなのばかりが60種類も存在するのだ。

しかし何故かこの店は連日行列ができている。

あんみつ好きな土地柄故だろうか。

しばらくしてカレーの匂いがきついあんみつとあつあつのスープと麺がかけられたあんみつが運ばれてきた。

黄色いあんみつと温かいあんみつ。

2人はそのあんみつを実に美味しそうに頬張る。

「どう? 3年ぶりの味は?」

「やっぱりあんみつはここのが最高だね。あっちのあんみつは種類も少ないし味も悪いし・・・・・・こことは勝負にならないよ」

「3年経って舌が腐ったかなあと期待してたのに」

「ははは。まだまだ舌は肥えているよ」

「そうだといいね。自意識過剰」

純の言葉には毒が含まれている事が非常に多いが10年以上一緒にいるため和信は大して気にしなかった。

昔はよくこの毒舌で泣かされたものだ。

和信は少し記憶を回帰する。

 

「そこにいると邪魔よ、寄生虫。どこかにたかってなきゃ生きていけないならゴミの中にでも埋もれていなさい。このサナダムシ野郎」

「何? こんな問題もわからないの? あんたほんとに中学生? 脳みそ痛んでんじゃないの? 痴呆にでもなった? それとも最初からわかんないの? ん? なんとかいいなさよシラミ野郎。DDTぶちまげるわよ」

「はあ? 東京行く? 誰が? あんたが? 頭悪いのに? 顔しか取柄のない蛆虫野郎なのに? 何しに行くの? 行ったってどうせ大学全部落ちるのに? あんたねえ・・・あんたがマゾ野郎なのは今に始まったことじゃないからいいけどさ、家の金使って大学受けたり高校通ったりするんでしょ? この金食い虫。あんたのマゾのために両親の財布がどれだけ痛い思いしてるか考えた事ないの? あんたなんかそこらに転がってる石ころより価値がないものなんだからゴミはゴミらしく生きたほうがいいよ。この産業廃棄物」

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

「おーい」

和信は回想した記憶に埋もれていた。

「おーい、つんぼ野郎」

 その毒に和信はやっと反応した。

「え、な、何?」

 純は明らかに軽蔑しきった表情を浮かべている。

「何ボーっとしてんの? それともホントにボケてきた? それとも脳炎? とっとと病院いって隔離されてこい白痴野郎」

「ちょっと考え事してただけだよ・・・・・・ねえ純、もうちょっとソフトな言い方できない?」

「別にいいじゃん。あんたマゾだし」

「違うよ・・・・・・」

 たぶん。

 

 2人は店を出ると空は曇りに満ち溢れた灰色の混沌から青い光につつまれた清純な世界へと変貌していった。

「じゃああたし帰るから。じゃあね和信」

「うん」

 そう言って純は去っていった。

 和信も街の中へ消えていった。

 

 

 

 純は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

「あの大馬鹿。東京工大受けるっていうから受かってやったのに・・・」

 実は純は和信より頭はよくない。

 

 

 

 和信は一通り街を見回した後、帰宅の徒についた。

 街から離れ、田んぼが広がる広大な世界に浸透していた。

 夕日が紫生に染まり夜が来訪するのを放心するかのように和信は眺めていた。

 田んぼの周囲は広大でもなんでもない山々が連なっており、まるで世界が山に取り囲まれているようだ。

 すると和信は緑が映える山々の中に一つの建物を発見した。

「確かあれは・・・旧病院」

 遠目からでも廃墟と断定できるその建物は何故か不思議と『黒い』オーラが包まれているような感じがした。

 和信はその豪奢な廃墟にいいようない不安を感じた。

 しかし、現実的に廃墟までは1km以上あり、もうすぐ夕飯でもある。

 彩音を怒らしてはいけない。

 彩音がキレたら誰も手がつけられない。

 そのせいで何度大怪我したことか。

 命の危機に携わった時もある。

 彩音は病気なのだ。

 和信は廃墟を一瞥した後、家に向かった。

 

 和信が帰った頃、ちょうど夕飯の準備が終わったようだ。

「ただいま。」

 屋敷家はでかいため、玄関から言っても誰も聞こえないので屋敷家の住人は皆、玄関は無言で入る。

 その後住人にあったら挨拶するのだ。

 したがって和信も居間まで足を運んでから言った。

「おかえり」

「おかえりなさい」

「ちょうどメシだ。早く座れ」

 今日の夕飯はとてつもなく豪勢だった。

 船盛り、天ぷら、松前漬け、もくずがに、数の子、茶碗蒸し、と、何故か赤飯。

 一体何がめでたいというのか。

「何かおめでたあった?」

 和信が怪訝そうな表情を浮かべ、皆に尋ねる。

 ちなみに屋敷家は金持ちには違いないが外見の豪邸に相応しい金持ちかというと絶対的にそうではない。

 だからこそやたら魚介類が多いこの夕飯に和信が懸念を抱いたのだ。

 すると和信の問いに彩音が笑顔で答えた。

「ふふ、何を言っているんです。今日は3年ぶりの和信さんの帰省ではありませんか。さ、早く座ってください。今日は和信さんの好きなものばかりですよ」

 たしかにこれは和信の好物である。

 しかし中には時期を外している料理もあってこれはやりすぎだとさえ思う。

 和信は座る。姿勢はきちんと正座の姿勢をとっている。

「いただきます」

 和信がそう言うと皆もそれに続いた。

「はい、召し上がれ」

 彩音は終始にこにこしていた。

 久しぶりの味だった。

 和信は機関銃と見違うが如く料理をがっつく。

 美琴はぽかんと口を開けてしまった。

 彩音はにこにこと笑ってその姿を眺めていた。

「おいしいですか?」

 彩音の質問に和信は実直に答える。

「おいしい」

「そうですか。では沢山召し上がれ」

 和信は戦車の猛進の如くにテーブルという大地に配置されていた敵兵を皆殺しにしていった。

 

 食後に地獄が待っていた。

 家族は食後のお茶を嗜んでいた。

「ああ、やっぱり母親の料理は美味しいや」

 それは和信が言った爆弾な一言だった。

 和信は高校時代においては当然『お母様』などと呼んでいない。

 会話に出てきたとしても『母親』で済ませてしまう。

 だからこそ何気なく間違えてしまった。

 しかし遅い。

 和信が気付いた時にはもう遅い。

 美琴は完全に硬直してしまっていた。

 重慶は全身を震わせ小動物のように怯えていた。

 和信もまた、あわてて口を塞ぐという愚行を犯した。

 ふと、三人が同時におそるおそる彩音を見ると、そこには暗黒のような表情を浮かべた冷たい彩音が正座のまま硬直していた。

「あ・・・あ、あああ・・・」

 和信は声も出ない。

 彩音の表情はみるみるうちに氷点下に達した。

 その顔、悪魔さえも生ぬるい。

 魔王。

 魔王はゆっくりと口を紡いだ。

「今、何と言ったの?」

「あ・・・・・・あ、あああ、あの・・・その・・・」

 和信は完全に怯えきっており何も言えない。

「和信さん、今、私の事を何と呼んだか、もう一度聞かせてくださらないかしら」

 魔王と化した彩音は和信の髪を思い切り掴み捻じった。

「そ・・・・・・そ、その・・・ご、ごめ・・・」

 彩音は熱湯の入ったお茶を和信の顔にぶちまげた。

「あつっ!!」

 かなり熱い。

「誰が謝罪を求めたの? ねえ!」

 今度は湯呑が割れるほどの勢いで和信の頭に湯呑を叩きつけた。

 湯呑はひびが入りこそしたが割れはしなかった。

「〜〜〜〜〜〜!!」

 声が出ないほど痛い。

「痛がってないではっきりと私の質問に答えなさいよ」

 彩音は和信の髪を掴んだままテーブルに放り投げた。

 腰を強打した。

 美琴も重慶も居間の隅っこで震えていた。

「うう・・・・・・」

 彩音は容赦なく灰皿を手に取り和信に向かって思い切り投げ飛ばした。

 灰皿(陶器製)は和信の額に直撃し、出血を催した。

 和信は何とか彩音に許しを乞おうと頭を抑えながらも彩音の前に跪いた。

 しかし彩音は容赦しなかった。

「何それ? 謝れば許してもらえると思ってるの? 謝れば何でも済まされると思ってるの? どうなの!?」

 彩音はポットのお湯が空である事に憤りを感じ、空のポットで和信を滅多打ちにした。

 和信は何とか言葉を紡ごうとする。

「ゆ・・・許して・・・許してください」

 しかしそれが余計彩音を逆上させる結果になった。

「ふざけるな! 和信! あなたみたいな子は死ぬがいいのよ! 死ね! 死ね! 私に詫びる気持ちがあるなら今ここで死になさいよ!!」

 彩音は居間に飾ってあった壺を和信に叩きつけた。

 壺は木っ端微塵に砕け、和信は前のめりに倒れる。

 出血がひどい。

 彩音はそんな事お構いなしに和信を割れた陶器の破片で攻撃する。

「誰があなたを産んであげたと思ってるの!? その恩をしらないでこの親不孝者め! こんなことなら産むんじゃなかった! 私を誰だと思ってるの!? 私はあなたの母親なのよ! あなたにとって一番偉い人なのよ!! それを・・・それを!!」

 彩音はこれ以上は暴行致死・・・いや、殺人の領域になるほどに和信を攻撃した。

 さすがに和信が危険と感じたのか美琴も重慶も体を張って彩音を止めた。

「わかった! わかったからやめてくれ彩音さん!! 和信が悪い! 彩音さんが正しい!! でもこれくらいにしといてやってくれ!! これ以上やると和信が死んでしまう!!」

「そうですよお母様! お兄ちゃんにはわたしがよく言い聞かせますから! どうかこのくらいでお怒りを静めてください!!」

 2人の必死の静止によって彩音は手にしていた陶器の破片(逆手)を落とした。

「じゃあ俺が彩音さんを部屋まで連れて行くから美琴は和信を頼むぞ」

「うん!」

 

 

 

 和信が目を覚ました。

 ここは和信の部屋だ。

「あ・・・・・・あれ・・・」

 和信は起き上がる。全身、とくに頭が痛い。

「あ、起きたんだね」

 美琴がほっとした表情をうかべながら和信を見詰める。

「あ・・・・・・ああ、生きてた」

 和信が全身に生の喜びを実感していると美琴があきれた顔でため息をついた。

「ホントにお母様の前では言葉に気をつけなよ。あの人ほんとに些細な事で壊れちゃうんだから」

「う、うん。3年ぶりですっかり気が緩んでいたよ・・・」

「あの人あれさえなければねえ・・・」

「文句なしの母親なんだけどなあ・・・」

「「はあ・・・・・・・・・」」

 2人は重い重いため息をついた。

 

 

 

 夜中。

 和信は眠れなかった。

 頭がゴワンゴワンと銅鑼が鳴ってどうしても和信の睡眠を妨げてしまっていた。

 和信は仕方なく起き上がる。

 立ちくらみがする。全身痛い。顔がひりひりする。

 何より頭が絨毯爆撃中である。

 和信は庭にでようと廊下に下りて、雨戸を開ける。

 廊下を塞いでいるのがガラス戸ではなく木製の雨戸のあたり屋敷家の家の古さが伺える。

 空は暗い空だった。

 濁りの雲が月を覆い隠し、明かりを世界から略奪してしまっていた。

 そのため屋敷家の広大かつ豪勢な庭園がまるで見えない。

 今は灯篭に明かりがついていない。

 そもそも10年前から灯篭に火が灯っているところを目撃した事がない。

 かなりほったらかしにしているようだ。

 しかし雑草だけは定期的にくる庭師によって一本も生えていない。

 和信は寝付けないので何気なく庭を巡る。

 すると庭園の中央付近に彩音がいた。

「あれ、和信さん」

 彩音はおっとりとした表情を浮かべ、和信に会釈する。

 どうやら怒りは静まったようだ。

 和信は彩音のもとまで歩み寄り、彩音のすぐそばまで来た所で彩音に向かって頭を下げた。

「お母様、先ほどはとんだご無礼をしてしまいました。お母様のお怒りはごもっともです。本当に申し訳ありませんでした」

 その言葉に彩音はゆっくりと微笑む。

 まさに仏様。そんな笑顔である。

「おわかりいただければいいんですよ。今度からはお気をつけくださいね。私も少し言い過ぎたと思っていました。ごめんなさいね」

 和信は冷静にその言葉を分析し、憤りを感じた。

 言い過ぎたという事はやりすぎてはいないということかい。

 暴言はともかく暴行はあれでいいのかい。

 殺す気か? この女。

 和信は怒りを何とか抑えた。

「では、僕はこれで。おやすみなさい、お母様」

「はい、おやすみなさい」

 和信はこの腹の中に押さえ込んだ悪魔のような邪悪なモノを消化するために家には戻らず、そのまま庭をでて、夜の住宅街をぶらついた。

 和信は特にあてもなく高級住宅街をはなれ田んぼを歩いていた。

 いくら田舎とはいえ、道路には電灯が灯っており、歩くのは不便しない。それに、住居の中には明かりがついている家もあり暗さは微弱でしかない。

 和信はふらふらと田んぼ道を歩いてゆく。

 すると山の中に一つだけ聳え立つ廃墟が目に付いた。

「眠れないし、行ってみるか」

 和信は暇つぶし感覚で山道に入っていった。

 山道には明かりは少なく、地面もかろうじてアスファルトであるようなものだ。

 昔は病院があった場所。

 それ故か道路は山道にしては少し広くなっている。

 暗くて前が良く見えないが和信はそれでも一目に廃墟を目指した。

 15分ほどで廃墟まで辿り着いた。

 それは豪奢な廃墟だった。

 世界が豹変したような、嘘みたいな世界。

 雑草が覆い茂った駐車場の先にあるぼろぼろの病院。

 今にも幽霊が出没しそうな廃墟である。

 しかし、和信は幽霊という存在にたいして恐怖は感じなかった。

 幽霊という存在を否定しているわけではない。

 だって病院に留まる幽霊にたいした能力はないもの。

 それこそファラオの亡霊級になると人間をいとも簡単に殺すことができるが、たかが病院を彷徨う程度の霊にどれほどの力があるというのか。

 和信は廃墟を一瞥する。

 強力な能力を保有する霊ならばよほど鈍感な奴でもない限りすぐに体が感応してしまう。

 しかし、この廃墟にそんなレベルの気配はない。

 じゃあ全く問題はない。そう確信した和信は廃墟の中へ入ろうとする。

 ちなみに幽霊に関する精神的嫌悪はそれだけではなく、グロ画像を苦手とするタイプの人間であるならば幽霊に関する共通点をもって嫌悪するものだが、あいにく和信はグロ画像とか平気なタイプである。

 高校時代、和信の友人にグロ画像や心霊写真を蒐集する人間がいたために、たいしてそういう関連のモノは平気になったのだ。

 さて、和信が入り口に差し掛かった所で変な音と悪臭に気付いた。

 和信はその怪奇音に誘われるように入り口には入らず、音のある方向を目指した。

 音は廃墟内の一角に集中していた。

 和信はその音の発信源まできて驚愕した。

 その内部を目撃して唖然となった。

 万単位の化け物。

 

 そこにあるのは

 

 見渡す限りの蜘蛛畑。





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