チューリップが日本に伝来したのは1910年。
しかし一説によると1863年というものもある。
少なくとも1890年現在(明治23年)においてこの屋敷の庭一面がチューリップ畑である以上、おそらくここは日本で唯一のチューリップ畑。
この当時にチューリップの花言葉などというものは誰も知らない。
当然といえば当然だ。
1890年といえば教育勅語が出され、第一回帝国議会が開かれた年である。
もっとも学校令が出たのは1986年であるから、ガキ共は尋常小学校に4年間通っていたから多少の読み書きはできたであろうが。
日清戦争はあと4年後。そんな時期だ。
世界各国で帝国主義が始まった頃。
つまり、この時期にはひらがなも書けない国民で蔓延していた時期。
いろはにほへとも理解できない無知が沢山跋扈していた頃。
だからこそ、有力者の力は絶対だった。
戸もなく、藁戸にできた無骨なワンルームの小屋。
いわゆる小作人の家。
藁戸を開ければ囲炉裏が見えて、端の方には釜戸があって、便所は外にある。
家の中では藁を編み、家の外では農作業。
しかし、彼らは平民だった。
だから、一度凶作が訪れたら大変なことになる。
小作人は収益の半分を地主に、残った収益の全体のパーセンテージを地方税に払った残りだけしか残らない。
天候に強い夢の凶刃なる稲。『コシヒカリ』こと農林100号は戦後の産物であり、この時期の稲は天候や害虫に弱く、しょっちゅう凶作になっていた。
だから、娘は身売りされるのだ。
ほんのわずかなはした金で。
地方税。
天地県の税率は出鱈目に高かった。
それこそ豊作であったとしても払いきれるかわからないほどの超増税。
だからこそ、早雲の人間狩りは公認された。
今日も今日とて天地早雲は凶作を喜んでいた。
こういう時こそ絶好の人攫い日よりだ。
本来廃藩置県で県を統治するのは議員なのだが、例によってこの天地早雲は金にものを言わせ議員の座を手に入れ、公然と天地県を支配していた。
「おい今日はろくな女がおらんのう」
天地早雲は天地県の訛りで喋る。
ご存知とは思うが当時の地方の住人で標準語を喋る者などほとんどいない。
天地早雲はまだ35歳と男盛り。
「はっ。左様で御座いますな」
「せっかくの凶作日よりだというのにつまらんわ。わしの楽しみを奪うとは許されんのう」
「ははっ、申し訳ございません」
「まあええわ。しかし冬になると攫いがいがなくなるしのう。春は忙しないし。刈り終えた今しかないんじゃ。春には殺さなならんしな」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「わしの趣味を否定するか貴様」
「い、いえ・・・決してそんなことは・・・」
早雲の趣味にも時期がある。
晩秋に攫い、冬に嬲り、春に殺す。夏はシーズンオフ。
ちょうど農作業と平行するように考えられていた。
どこまでも下衆な男だった。
「しゃあない。今日は帰る・・・ん?」
早雲が帰ろうと踵を返した、その時。
一組の姉妹を見つけた。
泥に塗れてはいるが中々の上玉。
ぼろい継ぎ接ぎの和服を纏ったその貧相さ。
まさしく獲物だった。
「おい、見つけた。攫うど」
「は、はは!」
猛然と走り出す早雲。
まさに獲物を狙う猛禽の如し。
それに驚愕した姉妹があわてて家に戻り出す。
しかし無駄。
早雲は平然と家の中に入り、姉妹の首根っこを掴み、引っ張った。
「きゃあああ!!」
「う、うあああ!!」
家の中にて藁を編んでいた父親と母親が立ち上がる。
しかし早雲は下卑た笑みを浮かべながら告げた。
「なんじゃ百姓? わしに楯突く気か?」
その言葉と同時に跪く両親。
早雲は笑った。
「がっはっはっはっは!! そんでええねん。こいつらはもろてくぞ。文句はないな?」
「そ、そんな天地様」
「気安くわしの名を呼ぶな農民!!」
刹那的に早雲が激昂し、2人はひれ伏す。
「何怯えとんじゃ塵屑が。おどれにはまだガキはおろうて。まさかこいつら2人だけ、ちゅうことはあるまいよ。ならええがな」
邪悪な自己完結。
この時代の平均出産数は7人。
2人の、それも女手を失った所で農作業にはあまり関係無い。
しかしそれとこれとは全くの別物だった。
「そ、そんな!!」
父親が立ち上がった刹那、早雲が父親を蹴飛ばした。
「ぐはっ!」
早雲は笑う。
「馬鹿者め。ろくに飯を食うとらんおどれとこの鍛えに鍛え上げたわしに敵うはずがなかろうて。ひらがなも読めん田舎もんの糞百姓が」
そう言い捨て、2人を捕まえたまま悠々と屋敷に向かって帰省した。