何かが自分の命を救う時。

 それが例え害毒であったとしても。

 人は、それにすがるだろうか?

 例えば両腕両足と引き換えに、自分の命を救う時。

 何のためらいもなく達磨になれるだろうか?

 人間は、本当に自分の命が大切なのだろうか?

 みみずのようになっても這いつくばって生きられるのだろうか?

 植物人間になったとしても生きていけるのだろうか?

 自分に、そこまでの価値は、あるのか?

 

 

 

 和信は街にいる。

 今朝のせいで大賑わいだった。

 故に和信はわざわざ裏通りから街に来た。

 いつもより10分もかかってしまった。

 跋扈闊歩も大賑わいだった。

 和信は自分の行動をそう思い返しながら跋扈闊歩であんみつの塩焼きを食べていた。

 ちゃんと炭火で焼いた香ばしいあんみつだ。

 この塩辛さがあんみつの甘さをうまく引き立てている。

 これ以上のあんみつなどそうそうは・・・。

 和信はそう感じながら店内を見回す。

 あの出来事のせいで他所からの客が多い。

 きっとこの美味さを享受できるに違いない。

 しかしそう思っていたのは和信だけであり、誰もそんなゲテモノあんみつは注文しなかった。

 いや、中には罰ゲーム的な意味で注文した奴や、間違えて注文した奴や、期待して注文してクレームをつけてる奴はいる。

 そんなこの店のよさがわからない一見の客共に絶望し、はあっとため息をついて再びあんみつの塩焼きを口にした。

 すると突如、店内が騒然となった。

 何事かと周りを見回すと客達は入り口をぽかんと口を開けて見つめている。

 和信も見てみる。

 そこには全身レインコートに身を包んだ奇怪なおっさんの姿があった。

 その奇奇怪怪なおっさんは店内を見回し、和信と目が合うとわき目も振らず向かってきた。

 和信はぎょっとした。

 その迫力に満ちた奇天烈なおっさんは少し殺気を纏っていたからだ。

 おっさんが和信のテーブルまで辿り着くとばん、とテーブルを叩きつけ、和信に詰問した。

「屋敷の御曹司、昨日何をした?」

 その迫力たるや修羅と化した彩音にだって負けないだろう。

「え・・・何って・・・」

「楓が逃走した。お前なら理由を知っているはずだ」

 完全に目が血走っていた。

 和信は知っている。

 こういう手合いに適当にはぐらかすと大変な目にあうことを。

 だから和信は包み隠さず話した。

 

 

 

 和信と暗影は病院の廊下を闊歩していた。

 ちなみにその道中にて暗影が久美の親父であると聞かされた。

 和信は久美の親父がこいつである事云々よりも、こんなレインコート野郎と結婚するような奇特な人物がこの地球上に存在する事に何より驚嘆した。

 どうしてもこの知的探究心を抑える事の出来なかった和信は暗影に訊ねた。

「それで、奥さんは?」

 暗影は何故か少し遠い目をして答えた。

「5年前から別居中だ」

「へ? 別居?」

 そこか素っ頓狂な声をだす。

「ああ、ちょっとな・・・田舎の方にな・・・」

 ここも十二分に田舎なのだがあえて黙っておく。

 暗影はぽつりと呟いた。

「俺の恰好を馬鹿にしない唯一の女だった・・・」

 どうやら自分のその奇特というか既知外じみた奇妙奇天烈奇奇怪怪と奇を5回も駆使するほどの奇態を呈していることは自覚しているようだ。

 あれ?6回使ってしまった。

 まあいいか。

 しかし和信は不可思議でならない。

 顔が悪いとか頭が悪いとか性格が悪いとか雰囲気が悪いとかそういう問題を超越して、その容姿の異常さは万国吃驚ショー並であるというのにどうしてこんな姿した人間と結婚できる?

 ダテ食う虫も好き好きというが生憎人間は好き好きじゃどうにもならない問題がある。

 一億歩譲歩して惚れた女がいたとしても、果たして誰がこんな怖気の走る姿した男と結ばれる事を祝福する?

 少なくとも和信が父親ならちゃぶ台をひっくり返してしまうに違いない。

 というか血圧が上がりすぎて死んでしまうだろう。

 結婚式が葬式になってしまう。

「・・・屋敷。その『よくその容姿で結婚できたな』的な目はやめろ」

 どうやら顔に出ていたようだがそれは仕方がないというもの。

 暗影は暗黒の笑みを浮かべて言った。

「結婚は、二十歳からなら親の同意なしで結婚できることを知らないのか?」

 暗影は再び遠い目をする。

 どうやらコレに関して暗影の奥方の家族と何らかの問題があったようだ。

 しかし、それは当たり前である。

 誰がこんな既知外と結婚を許すものか。

 和信は何となく結婚を果たした暗影の思いを予測できた。

 おそらく「法治国家ばんざーい!!」とでものたまわったのだろう。

 

 そんな会話をしていると間もなく久美の病室が見えてきた。

「そういえば、久美ってどんな病気なんだ?」

 和信が暗影にタメ口で聞く。

 もともと火炎放射と水流放射を酌み交わした間柄だ。礼など無用。

 それは暗影も同意らしく別に20歳以上年下のクソガキにタメ口で言われても問題じゃない。

 そもそも楓はいつもタメ口だし、真弓も同じだ。

 いまさら腹を立てるのも大人気ないというもの。

「もうじき完治するからいいだろ。・・・末期病だ」

「末期・・・病?」

 なんだろう。すごく不穏な気がする。

「何、ただの不治の伝染病だ」

 待て。

「あんたさっき完治するとか言ってなかったか?」

「ああ、言ったとも。古来より絶対に死ぬ病だ。だから末期病」

「どうして完治する?」

「ああ、末期病ってのはな。昔は水熱病と呼ばれ忌み嫌われていたらしいんだが、なんでもある一人の武士が日本中を巡り、死の淵に立たされながらもその果てに蜘蛛の体液と呪的効果を施した特殊な砂を混ぜることで完治するという治療法を発見したらしい」

「で、それ通りに蜘蛛の体液を絞って砂を混ぜたのを久美に飲ませたら本当に治ったと・・・」

「うむ。半信半疑だったんだがそれ以外に治療法が存在しないからな。藁をも縋る思いだった。・・・まあこれで久美が退院したらカミさんの元へ戻れるというものだ」

「え・・・別居の理由って・・・」

「言ったろうが、末期病は伝染病だと」

「あ・・・そういえば・・・それで感染方法は?」

「空気感染」

「何い!?」

 和信は絶叫した。

 暗影があわてて耳を抑える程の音量だった。

 120デシベルはいったのではなかろうか。

「ええいうるさいわ! ここは病院だぞ! お前は大丈夫だ。末期病は体温が極端に低い人間に感染するから」

「は!?」

 暗影は説明を開始した。

 基本的に危険な伝染病は伝染病予防法によって患者を隔離しなければならない。

 有名どころで言えばチフス、コレラ、日本脳炎がそれにあたる。

 しかし末期病は伝染病でありながら規定されていない。

 それは何故か。

 末期病の感染率は常識外れなほどに極めて低いからだ。

 それこそ感染率は宝くじで1等当選するようなものだ。

 感染方法。

 空気感染。

 飛沫して空気中に飛散した紅痘虫なる病原体が、人間に感染した後、何故かそれは沈黙する。

 紅痘虫は熱に出鱈目に弱いらしく体温でさえ、溶けてしまう。

 そのためほとんど感染することはない。

 しかし稀に体温がやたら低い人間がいる。

 そういった場合紅痘虫は溶解せず寄生できる。

 寄生した紅痘虫は体内を毒で満たす。

 毒は臓器を汚染し、機能を狂わし、破壊する。

 主に毒は血液を駆け回り、心臓を通じて様々な臓器を汚染する。その毒の回り具合といったらサソリの毒など相手にもならない。

 ようするに、末期病とはハブに噛まれるようなものなのだ。

 細菌並に小さい世界最小の虫が体内から血液に毒を撒き散らすのが末期病の概要だ。

 そして紅痘虫はそのまま毒を撒き散らした後、悠悠自適に宿主から離れ、空中を漂う。

 ゆえに根絶は不可能。

 治療も不可能。

 毒そのものの毒素は非常に弱いがそのスピードは桁違いで数分あれば全身に寄生する。

 血清の精製は未だならず。

 その血清の代わりというのが何故か蜘蛛の体液である。

 末期病によって臓器が変調をきたすのに3年〜20年。

 ちなみに久美は5年かかった。

 それからさらに5年。

 臓器が破壊される前に蜘蛛の体液を飲ませればそれこそハブに噛まれた後、血清すれば治るのと全く同じようにすぐ、完治する。

 しかし紅痘虫は医学的に発見されておらず、また血液を侵す病気としか認識されていないため原因は不明とされている。

 しかしかつて水熱病を研究した武士、徳井光厳はその生涯をかけて日本中を放浪し、原因と治癒を日記に綴った。

 まあ、これが誰かの日記という作品になるわけだがまあ、それはいいだろう。

 そしてその日記を所有する時の藩主、氷峰家(ひみね)が保管していたのだが明治以降没落し、流れ流れて元代官七条が保管するようになった。

「それが発覚してからが辛かった・・・翻訳に何年かかったことか・・・」

 暗影はまたもや遠い目をする。

 現在七条家には草書体を解読できる人間はいない。

 戦後、建築業を始めてから書道の嗜みを忘れてしまい、故・七条雪を最後に七条家から書道の知識は崩落した。

 そのため暗影は4年かけて10冊にも及ぶ徳井光厳の日記を翻訳した。

 特に光厳の文字は汚く、辞書を片手に見ても解読が困難であった。

 現代でも素で汚い文字を書く人間の文章は解読が困難であるのと同じ理屈だ。

 しかもこれは草書体だから尚、たちが悪い。

 速記の嗜みがある暗影も何度挫折したことか。

「ははあ・・・末期病のことはよくわかったよ」

 和信は少し疲れていた。

 本来この作品で解説しないものを解説してしまったからかもしれない。

「そんなことよりさ、赤井さん。さっさと入ろうよ」

 和信は眼の前にある久美の病室の戸を促す。

 そうやらずっと立ち話をしていたようだ。

「そ、それもそうだな」

 暗影は少し慌てた様子で戸を開いた。

 どうやら自分の話に陶酔していたようだ。

「久美、今日も来たぞ」

「あ、お父ちゃん」

 久美はソファでお茶を飲んでいた。

「やあ」

 和信が手を振る。

 すると久美が少し驚いたような表情を浮かべる。

「あれ? 屋敷くん。何でお父ちゃんと一緒なの?」

 それは、至極もっともな発言だった。

 

 

 

 純は見ていた。

 高く聳え立つ隆起した土を。

「・・・まさかね」

 少し思うことがあった。

 和信は何でも超能力を持つ既知外を殺そうと画策していたらしい。

 たしか七条の娘だっけかな。

 長女はたしか自分より2つ上だから面識はない。

 次女は逆に1つ下で一応小、中、高と一緒だった。

 もっとも雲隠市には小学は3校。中学は2校。高校は1校しか存在しないため必然と一緒になるというもの。

 はっきり言って和信みたいに高校で上京するような奴は稀有なのだ。

 和信がどっちかの娘と何かあったのはこの隆起した田んぼを見れば一目瞭然。

「しかし・・・なるほどねえ」

 純は関心した。

 こんな真似ができる人間を野放しにしてはいけない。

 一刻も早く研究機関なり刑務所なり送るべきだろう。

 しかし刑務所は無理か。

 だって物的証拠がないもの。

 黙秘を通せばどんな三流弁護士でも間違いなく勝訴できるだろう。

 なるほど。これなら超法規的な手段も頷ける。

 ん? マテ。

 こんな神業どころか悪魔業を成し遂げるような相手に何の力もない浪人野郎が勝てるわけがない。

 と、いうことは・・・まさか・・・。

 すごく嫌な予感がする。

 そう思考を巡らせた純はフラフラと隆起した土砂の下へ歩み寄った。

 

 

 

 楓と真弓は逃げていた。

 交通機関を駆使し、人の多い都会か、それとも人里離れた山奥か、そのどちらかに逃げようと画策していた。

 しかし雲隠駅はまずい。

 おそらく七条の面々が待ち構えている事だろう。

 そう思い、山を越え、隣の賢木市を目指した。

 最も国道側を通れば隣に県庁の夢産市があるのだがそんな危険なルートは通るわけにはいかない。

「もうすぐ山を越えるからがんばろ」

 真弓がへとへと状態の楓を促す。

 楓は無言ではあるが着実に一歩を踏み出していった。

 しかし気付かなかった。

 愚かだった。

 雲隠駅と国道を通らないことなど七条家に6人も雁首さげているというのに気付かぬわけがない。

 くわえて山道の道なりは道路一つ。

 まさか山の中に入る馬鹿はいないので必然と道路を通ることになる。

 もう、言うまでもない。

 七条家は全員山道を目指し、案の定すぐに発見された。

「しまった!」

 真弓は己の失策に心から侮蔑した。

 楓はフラフラと七条の追ってを見つめる。

「逃げるよ楓!」

 しかし七条が土の壁を展開、道を塞いだ。

「こんな壁!」

 真弓が土壁に触れると土は砂に分解された。

 しかしその砂が滝のように真弓と楓を襲う。

「くっ!」

 その隙に七条家の誰かが車の中から土を操作した。

 幸いか災いか周囲に車は一台も通らない。

 どうやら見物客のほとんどは国道を利用したのか、あるいはもうこれ以上見物客は来ない、また帰らないのかほんとに静かだった。

 土は音を立てなかった。

 ただ、土は蔦のような杭となり、その数えるのさえ億劫になるほどの複数の杭が楓を襲った。

 楓はふらふらと歩を進める。

 それは痛々しかった。

 そんな米粒ほどの抵抗も空しく複数の杭は楓の背後から触手の如く襲う。

 真弓は徐に飛び出し、その杭を分解していく。

 しかし6人の七条が山という土の塊から無数の杭を生成するためどうしてもおいつかない。

 楓はなんとか真弓の下に屈み、必死に抵抗する。

 その疲弊した姿が弱々しい。

 真弓は残酷な目を一瞬楓に向け、石を拾った。

 母なる大地が人類に送る無敵に素敵なプレゼント。

 『持っていても捕まらない』『割とどこでも調達可能』と良い事ずくめの石ころは他の凶器の羨望の的だ。

 真弓はその石を投擲した。

 自分でも奇跡と思う。

 時速160qはでていたのではなかろうか。

 いや、それは誇張だとしてもその石は正確に車のガラスを破壊した。

 七条はあわてて車を止め、外に出る。

 真弓はその瞬間七条の面々に向かって飛び出した。

 距離は30m強。

 その距離がまずかった。

 真弓が飛び出したことで顕になった楓目掛けて杭がとびだした。

「ああ!」

 後悔してももう遅い。

 杭は楓の心臓を正確に、背中から、貫通した。

「か・・・は・・・」

 楓は殺された。

 吐血し、崩れ行く楓を確認した七条は興味を無くしたように車に戻ろうとする。

 しかし真弓は何かがキレてしまった。

 明らかに神経の一部が切断された。

 ズタズタになった神経のせいか、真弓は視界が真っ白になる。

「あ、あは、あは」

 壊れたような邯鄲。

 真弓はフラフラと七条に近づく。

 しかし車に追いつけるはずがない。

 だから、道路を分解した。

 思い切り地面に手のひらを叩きつけ、アスファルトは粉々に分解された。

 何処まで分解されたのだろうか。

 少し気になるところだ。

 七条の車は当然停止せざるをえない。

「刀侍真弓!」

 七条楓の姉、かずらが土の津波を放った。

 しかしその威力は楓のアレとは比べ物にならないほど弱々しい。

 しかしその威力は爆弾並である。         

 戦車の10台くらいなら安々と土砂に埋もれてしまうだろう。

 しかし真弓は臆する事無く津波に向かって突進する。

 津波から無数の針が飛び出す。

 しかし無駄だった。

 真弓はその津波に触れた瞬間、土は砂になり空に散った。

 かなりの砂が真弓に激突するが威力をも分解しているので大して痛くない。

 かずらだけではなく七条全員が絶句した。

 しかし6人もいるのだ。次々と我に返り、攻撃を加える。

 土の杭、土の針、土の弾丸、土の波、土の鞭、土の矢。それはそれは多種多様な攻撃が縦横無尽に繰り広げられた。

 おそらくこの攻撃の総量は一つの部隊をも上回るのではないだろうか。

 しかし部隊程度では無駄なのだ。本気で真弓を殺したいなら部隊程度じゃ駄目なのだ。

 それこそ都市破壊兵器でも駆使しなければ、とてもじゃないが勝てる相手ではないのだ。

 その証拠に、こんな対人攻撃は真弓の手のひらで踊るように、綺麗に全部が全部、砂に分解された。

「馬鹿な!」

「ひっ!」

 真弓は七条かずらに到達した。

 その形相、羅刹でさえ失禁を催すこと間違いない。

 彩音の形相に匹敵するそれから繰り広げたれたのはたった一回のタッチ。

 それで、全て、決した。

 かずらは真弓の手に触れた瞬間、分解された。

 血管一つ破る事無く正確にバラバラにした。

 それに驚愕した弟、七条柳が逃げそこなった。

 真弓は即、左手で柳に触れる。

「」

 柳は悲鳴一つ上げる事を許さず、毛一本一本に及ぶまでの全ての人間のパーツを分解した。

 肉の皮が着ぐるみのように臓器の隣に横たわっていた。

 より悲惨なのは細胞レベルで分解してくれないことだろう。

 それなら死体はさらさないというのに。

 後ろに下がっていた母、七条武子に振り向きざまに触れた。

 武子は血の一滴すら溢さず、分解された。

 脳がピンクではなく灰色であった。

「うっうわあ!!」

 父、七条枝垂が悲鳴を上げ、腰を抜かしながらも土の槍を繰り出した。

 その硬度、速度、体積、どれをとっても申し分なく、おそらく要塞の一つくらいなら簡単に貫通してしまうだろう。

 しかし真弓の特殊能力『神成蜘蛛』はその威力さえも分解してしまうため、巨大な槍はあえなく砂になった。

 まさに神と成す蜘蛛の力。

 真弓は凄絶な笑みを浮かべたまま無言で枝垂に襲い掛かる。

 それを見た祖父、七条幹が咄嗟にかばった。

「枝垂!」

 そう叫び盾となる幹。

 真弓は平然と幹に触れる。

 枝垂はスローモーションで分解され、瓦解するドロドロの臓器の塊となった父、幹のその姿に、生まれて初めて尊敬した。

 今なら断言できる。

 死を賭して庇い、死してしまうその姿を嘲る者は人間ではないと。

 だから、臓器の塊となった偉大なる父を嘲る真弓は悪魔の化身に違いない。

「死ね」

 冷たい死刑宣告。

 そのまま手が猛然と枝垂の首を襲う。

 逃げても無駄なのに逃げるのは生物の性だろう。

 無駄なのに。

 ほら、分解された。

 目玉がころころと真弓の足元に転がる。

 真弓は冷たい眼でその目玉を踏み潰した。

 感想。

 目玉って、思っていたより硬かった。

 最後に残ったのはその凄惨な光景のせいで心臓に極度の負担がかかり、心臓発作で意識喪失寸前の祖母、七条種だった。

 真弓はまるで天使と見紛う程の優しい笑みを浮かべ、種の頭をに優しく手を乗せる。

 その瞬間、種は無残に分解された。

 真弓は立ち上がる。

 分解された七条の死体を見て、笑った。

 その皮に、筋肉に、骨に、内蔵に、歯に、爪に、脳に、汚物に、涙に、涎に、血管に、言い知れぬ奇怪さに、何が愉快なのか天高らかに、白痴のように大笑いした。

「あはは、あはははははは! ははははは!!」

 真弓は壊れた。

 拉げたガードレールに手を触れる。

 ガードレールは分解された。

「あはははは!!」

 愉快なほどに狂い笑った。

 真弓はそのまま雲隠市に足を向けた。

 道行く全ての物体を分解しながら。

 

 

 

 和信が帰省しようとした矢先、泥まみれの純を発見した。

「あれ? 純、どうしたの?」

 純は泣きべそをかきながら食い入るように和信を見つめている。

 ちょっと恐い。

「和信?」

「そ、そうだよ」

「屋敷和信に間違いない?」

 純がすこし涸れた声でそう、訊ねる。

「うん。屋敷和信だよ」

 途端、純が抱きついてきた。

 何事? 

 和信が驚愕する。

 純は泣きながら叫んだ。

「ああああん! よかったよお、和信が生きてて・・・本当によかったよう・・・」

「な、何言ってるんだよ」

 和信が言うも少しトーンが低い。

 だって、昨日のアレは死んでも全くおかしくなかったのだから。

「ずっと土を掘り返しても・・・掘り返しても! 和信いないんだもん! 生き埋めになってると思って、ずっとずっと彫ってもいないんだもん!! この馬鹿あ!!」

 初めての反応だった。

 そもそも純が泣く事自体異常だ。

 だって、和信は、純が泣いた時を知らない。

 だからどうすればいいのかわからない。

 とにかく純を宥めなければならない。

 普段泣かない奴が泣くほど心配させた事に対して無碍にしてはいけない。

 だからゆっくりと割れ物に触れるように、やさしく抱きしめた。

「ごめん・・・ごめんよ純。そうだよね。そんなに泥だらけになるまで探すほど心配させたんだよね。ごめんね・・・」

「うう・・・馬鹿ぁ」

「うん。僕は馬鹿だ」

 和信は黙って享受する。

 純は嗚咽まじりに続けた。

「和信・・・」

「ん? 何?」

 ほんの僅かな時間が空いた。

「約束してよ」

「どんな?」

「たとえ人を殺してでも和信は死なないって約束してよ・・・それができたらもう一生和信を悪く言わないから、和信に毒は吐かないから・・・約束してよ」

 和信は形容できない驚愕を感受した。

 純が、あの純がそんなことを言うとは思わなかった。

 間違いなく純なら守るだろう。

 それこそ命を賭けてでも厳守するだろう。

 だから、拒否を許さない。

 この命約を破ったら純は間違いなく和信を殺してしまうだろう。

 純が毒を吐かないとはそういう意味だ。

 だから、拒否は許さない。

「わかった。僕は絶対死なない」

 和信には見えなかったが確かに感じた。

 純は、笑った。

「そう。ならもう和信の事を貶さない。一生ね」

 

 

 

 その夜の事だった。

 和信が純の家に居た時だ。

 電話があった。

 最初は無粋な電話だと心底思ったがその内容を聞いた瞬間全てが吹き飛んだ。

「美琴が、倒れた?」

 美琴は末期病にかかった。

 それと同時の報告は、IEEOからの刀寺真弓の駆除令状だった。   




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