人を殺しちゃいけないよ。

 でも化物は殺していいの?

 人が生きるために動物を殺すのはしょうがないけれど。

 何もしてない化物は殺しちゃダメだよ。

 人は自分が殺されそうになった時は人を殺しちゃうのは仕方ないけれど。

 人を殺そうとする化物とは違う、何もしてない化物は殺しちゃダメだよ。

 それが道徳だよ。

 人が人なのはひとえにこの道徳によるものが大きいんだよ。

 だから

 道徳のない人はもう、人じゃない。

 ただのゴミだね。

 明日にでも産廃だね。

 

 

  

 異能科学。

 一般の学習機関では学ばない学問。

 これを学ぶにはIEEOの指定する特別専門機関に履修登録をしなければならない。

 さらに言うと履修登録するためにはIEEOに所属する人間でなくてはならない。

 日本における異能科学を学べる所は伺候大学とIEEO日本支局の4階に設けられた学習室しか存在しない。

 しかし異能科学による基本知識であるならば異能白書や異能辞典、中には民間機関がわかりやすい本を出版している。

 ただ、IEEOの規制により、民間の書店には並べられない。

 ちなみに並べてしまった場合『ローザンヌ条約』違反になり10年以下の懲役に処せられる。

 つくづく日本という国家は条約と名のつくものにろくな過去がない。

 ちなみにローザンヌ条約とはスイスで調印された条約だからその名があるのだが内容は異能、異形を保護するもので、異能、異形の公開、解剖、実験、販売、研究、殺害を規制するもの。

 ちなみに1985年にできた条約。

 これにより、異能、異形を使った武器や薬品、貴金属類や嗜好品の生産、販売がストップされた。

 したがって和信や美琴のもっているあれは1985年以前につくられたものである。

 

 

 

 暗影は蜘蛛の体液を搾っていた。

 何万と蠢く蜘蛛を一匹一匹液搾り取っていた。

「さて、これを後はあの液体と化合して完成だな」

 暗影は搾り取った体液を小瓶につめ、大事そうに懐にしまい、蜘蛛をそのまま放り出し、山を後にした。

 蜘蛛は無残に潰れ、転がっていた。

 

 時刻は7時。

 空はどんより曇り、今にも雨が滴り落ちそうだ。

 今日の降水確率は70%。

 暗影は巨大な紳士傘をさした。

 さらに長靴をはき、レインコートを身に纏い、帽子までかぶった。

 まさに、完全武装。

 当然手袋を忘れない。

 念には念を入れ、サングラスをかける。

 ちなみに言うまでもないことだが周囲から奇異の眼で見詰められている。

 暗影は幾許の羞恥を感じえつつも七条家に向かった。

 

 ちょうど暗影が七条家につく頃に、雨が降り出した。

 完全武装してよかった。

 もし怠っていたら溺れていたことだろう。

『水に溺れる一族』。

 哀しき暗影の能力。

「暗影、大丈夫だった? 雨」

 楓が玄関でタオルを片手に待ち構えていた。

「何とか家まで間に合いましたよ。それより、ついに液の採取が完了しました」

「そう、それはなにより。早速アレと化合させましょう」

「御意」

 

 

 

「水村純はどうして口が悪いのだろう?」

 純は鏡に向かってそう、呟いた。

「はは・・・答えがかえってくるわけがないか」

 純はそのままベッドにごろりと寝転んだ。

純は耽った。

 

 世界は螺旋となって逆行する錯覚。

 純がまだ幼稚園の頃。

 ある夏の日。

「和信〜どうしたの?」

 純が痛がる和信に近づく。

「痛いよう・・・痛いよ・・・」

 和信は腕を抑え、泣きべそをかいている。

 どうやら坂から転げ落ちたようだ。

 純はおろおろとあわてることしかできない。

「どうしよう・・・・・・」

 純は困惑する。

 現在の純に『人を呼ぶ』という選択肢が思い浮かばない事が最大の問題だった。

「か、和信。ああ、もう! どうしよう・・・わからないよう・・・」

 困惑から錯乱へ移行する。

「あ、そうか。助けを呼べばいいのか」

 5分ほど錯乱してようやく理解する。

 遅すぎだ。

 純は筋金入りの鈍感だった。

 

 純は走った。

 人はすぐ見つかった。

「ねえ、助けて」

 実に簡潔に説明した。

 当然赤の他人には簡潔すぎてわからない。

 したがってガキの戯言と理解し、そそくさと去っていった。

 同様に発見した人間全てにこの言い方で説明したので誰も危機を理解できなかった。

 次第に純は怒りを募らせていった。

 その怒りはしょぼくれた中年に向けられた。

 これが、純の被害者第一号になる。

「おい、おっさん」

 中年は何事かと純を見る。

 純は中年を指差して恐るべき毒を吐いた。

「そうだよ、おまえだよ。その小さなからだをくの字にまげてるおまえだよ」

「な、なんだい嬢ちゃん」

「そんなばっちい顔をしてるのにへいきで外にであるけるんだから和信を助けてあげてよ」

 幼稚園児にそんな事を堂々と言われたのはこの中年の人生において初めてであった。

「なに石みたいになってんのさ。歩けないなら死んじゃえ」

 ストレートに死ねと言われたのも生まれて初めてだった。

「この・・・クソガキ」

「ガキはともかくクソはおまえだ。そのウンチみたいな顔はまさにクソじゃないか。トイレ行って顔ながせ」

 中年は知らず知らずのうちに拳を握っている事に気付いていなかった。

 純は毒舌の天才だった。

「ほら、こっちにこい。ウンチやろう。トイレにつれてってやるから」

 純はそう言って中年を促した。

 しかし中年は何とか怒りを堪え、動かない。

「あ、そうか。ウンチはじぶんじゃ歩けないんだね」

 ぷつん。という音が確かに中年には聞こえた。

 堪忍袋の緒が切れた。

「ガキが・・・ぶっ殺したる」

「かかったかかった。わ〜い。ば〜か」

 純は脱兎の如く走り出す。

 和信が泣いている場所目指して。

 

世界は捻れて回帰する。

純は笑ってしまった。

「そういやそうだった。あの時か。我ながら名言だったなあ。ガキはともかくクソはおまえだ・・・か。う〜んよくもあんなこと言えたなあ」

 自画自賛する純。

 純は時計を見る。

「11時か。そろそろ出かけようっと」

 純は鍵を手にとり、家から出た。

 

 

 

「できた・・・」

「本当? 暗影」

 七条家の一室にて極めて怪しい実験をしている二人がいた。

「間違いないわね? これで末期病が治るのよね?」

 楓が興奮した様子で暗影に訊ねる。

「治る・・・これで末期病は治る! 七条家秘伝の水熱病(末期病の古称)治癒法が正しければ・・・末期病は治るぞう!!」

 柄にもなくガッツポーズをする暗影。

「長かったわ・・・ほんとに・・・さあ! 一刻も早く久美の元へ!」

「応!」

 二人は飛び跳ねるように七条家を後にした。

「暗影、いえ赤井碧哉! 雨が降っているから車を使いましょう」

 楓が暗影の本名で言いながら車庫へ向かう。

 当然楓は免許を持ってないので暗影が運転する。

 雨は激しくなるにつれて暗影が車庫への歩みが遅くなる。

「大丈夫? 赤井碧哉。雨を『水に溺れて』どかせば・・・」

「暗影でかまわん。それに雨は量が多すぎてどかしきれない」

「・・・・・・仕方ないわね。じゃあ雨が上がるまでまちましょう」

「ああ・・・」

 二人はしぶしぶ家に戻った。

 

 

 

 異能が世界で公認されたのは1922年である。

 それまでは発展した科学と心理学説によって異能の存在は否定されてきた。

 世界において巨大な宗教は死に絶えそうになっていた。

 日本のように仏教と神道が垂迹して宗教色に満ち溢れ、家康が全国民に寺への所属を命じ、明治に廃仏毀釈によって神道を切り離し、国教にするなど科学よりも、心理学説よりも迷信こそが絶対と信じて疑わない日本人という独特な民族性は別として、近代主義が蔓延していた先進国家はすでに宗教は崩壊を予感させていた。

 しかし進化論を否定した検事が裁判で勝利するなど、まだ宗教の神秘性はぎりぎりの所で守られていた曖昧な頃。

 アメリカにて2500ドルを賞金に、本物の霊媒を公表するという何かトチ狂った審査があった。

 当時IEEOの全身である異能協会はまだ陰日向の存在であり、認知度など皆無にも等しく、新興宗教と勘違いされていたくらいである。

 そこで異能協会の会員の一人であるニーディ・レクリエールがその異能『集約』を見せつけ、世界に異能の存在を高らかに証明した。

 ちなみにニーディ・レクリエールの娘こそ『隠老隠寿』と『集約』の二つの異能を持ち、異能協会最後の会長になり、IEEO最初の長官たるリディア・ヨハネ・レクリエールである。

 実はこの出来事以降、世界で魔女狩りが復活しそうになった。

 しかしそれは未遂に終わった。

 何故?

 それは異能協会こそ魔女狩りを行ってきた公認組織であるからだ。

 たとえ知名度こそ無名そのものでもそれは現在のものであり、17世紀くらいまでは『魔女を見つけたら異能協会へ』なる広告が公然と出回っていたくらいである。

 異能協会における『特殊能力』に関する発言力の強さは変わっていない。

 

「そんなこと知るかい」

 純がすこぶる冷静にそう言った。

 場所は跋扈闊歩。

 ちなみにここの店長は最初『跳梁跋扈』にしようとしていたらしい。

 跋扈はどうしてもはずせないようだ。

 和信はカツあんみつを、純はメロンあんみつを頬張りながら少し変な話をしていた。

「で? この平成の世の中に、そんな既知外が横行してるって?」

 和信は純の冷たい眼にたじろいでしまう。

 純はさらなる攻撃をくわえる。

「何狂った事いってんの? 腐った脳みそは廃棄してとっとと死にくされ」

「いや、あのね」

 実際民間人における異能の認知度など80余年経った今でも皆無である。

「わかった。和信の言う事を一億歩譲ってそうだとしようか。じゃあ何故その既知外共が『貴族』にならないの? 力ある者は常に貴族たりうるはずじゃない?」

 何故こんな会話になったのだろうか。

 和信は首を傾げた。

 しかし純の質問に対して答えるのが先である。

「1970年に『月草事件』っていうのがあったんだよ。一匹の妖精が人類と戦争を起こし、勝ったんだ。それ以降世界で魔女狩りが復活して、かつての異能協会は解体。世界中の異能者は人類の作った科学の結晶をもって駆除しちゃう。たとえばだよ」

 そう言って和信が割り箸を持って説明する。

「たとえば念力で人を殺せる異能者がいたとしよう」

「ふんふん」

「その異能者の念力の有効範囲とかけることが出来る最大圧力を計算によって特定する」

「ふんふん」

「その範囲外においてはただの人間と変わらないわけだ・・・・・・で、そこから離れた距離から・・・たとえば銃とかを使えばどんな能力をもっていても簡単に対処できるんだよ」

「じゃあ、その範囲が銃では対処できない距離まであった場合は?」

「手段は沢山ある。戦車、ミサイル、大隊、あるいは核弾頭とか。昔『地面を破壊する能力』なんて物もってた異能者を駆除するために絨毯爆撃をおこなって街ごと焼き殺した・・・なんてこともあったそうだよ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お前等は殺人鬼の集団か」

 時に1974年5月30日。国名中国。場所遼東半島。都市名小北海。旅順の近くにある。

 純は可哀想な眼で和信を見た。

 和信は首を傾げた。

(なんでこんな話になったんだっけ?)

 どうしても思い出せなかった。

 

 

 

 楓は雨の中空を仰いだ。

 楓は「やっちゃった・・・」と後悔した。

 楓は「どうしよう・・・」と天を仰いだ。

 楓は人を殺してしまった。

 

 雨が止むそぶりを見せないので楓が一人で久美のもとへ向かった。

 その際、京仙寺英一とぶつかった。

 その時、楓のバッグから事もあろうにあの瓶が落ちてしまった。

 幸い割れはしなかったものの、液の5%くらいがこぼれてしまった。

「・・・・・・・ああ・・・」

 英一は悪そびれる様子もなく去ろうとした。

 楓は極めて冷たい眼で英一を睨み、英一ではなく独り言を言った。

「お前のせいで久美が手遅れになったらどうしてくれるんだ」

 その声に英一が振り向く。

 楓は悪鬼さえも失禁してしまうほどの形相をしていた。

 英一がびくっと震える。

 楓は攻撃した。

 周囲の土が数千本の針となって英一を串刺しにした。

 英一の血が周りに附着しないように土の絨毯をしき、そのまま英一を生き埋めにするように包み込んだ。

「死んでしまえ」

 巨大な土の球に包まれた英一に向かって、土にものすごい圧力をかけ、英一を砕き殺した。

 悲鳴ひとつあげさせなかった。

 そのまま英一のぐしゃぐしゃの死体が内包した土を地面の奥底に海のように沈めた。

 英一はそのまま回収不可能な領域まで埋められ、この世から完全に姿を消した。

 まさに、完全犯罪である。

 

 楓は殺し、死体を隠滅した後に、殺したことに気付いた。

「やっちゃったよ・・・どうしよう・・・」

 楓は病院へは行かず、帰宅した。

                                 

    

 

 和信と純は雨の中を歩いていた。

「そういや純っていつからそんなに口が悪くなったんだろうね」

「黙れ軟弱」

「だからそれだよ・・・」

「ふん。あたしが口が悪くなったのは誰のせいだと思うの?」

 和信は意外そうな顔をする。

「何? 僕のせい? 何で?」

 純は一瞬口を開きかけたがすぐさま閉じた。

「まあ、それはいいわ。ちなみに口が悪くなったのは14年前だから」

「そんなに前か・・・僕と純がはじめて知り合ったのは・・・」

 和信が思案すると純がすぐさま答える。

「幼稚園で初めて知り合ったのがあんた」

「ああそういえばそうだった」

 和信は遠い眼をして回帰する。

 

 

 

 思い出せなかった。

「だめだ・・・すっかり忘れちゃった」

「馬鹿ねえ。確かあんたが走り回って電柱に顔ぶつけて大泣きしたのをあたしが保母に連れてったのが始まり」

「よく覚えてるね・・・」

「記憶力が和信みたいな鶏とは違うのよ」

 純が自分のこめかみに指を突っつきながら言う。

 和信はしかし腹も立たない。

 そもそも純は幼稚園から通算して14年間『態度が悪い』と言われつづけてきたのだから。

 

 

どろどろ。

沈む死体。

もはや何万メートル沈んだかさえわからない。

英一の死体は何者にも発見されなかった。

 

 

 

和信は家についた。

すでに空は漆黒に包まれていた。

「勉強しないとなあ」

 和信はそう呟いて玄関の戸を開けた。

「おかえりなさい」

 すると彩音が風呂あがりの様相でそう言った。

 どうやら偶然玄関で遭遇したようだ。

「ただいま帰りました。もうお風呂ですか? 早いですね」

「ええ。今日は早く入りたかったので。和信さんもどうです? 温まりますよ」

「そうですね。では入らせていただきます」

 和信はそう言ってそのまま風呂場へ向かった。

 屋敷家では風呂の順番は1番風呂が彩音という事さえ除けば特に決められていない。

 長い廊下を渡り、風呂場へ向かう。

 しかし屋敷家の風呂場は露天風呂なのでついでに脱衣所まで外に設置されている。

 実は昭和中期くらいまで屋敷家の風呂は開放されていた。

 実は当時ここらへんには銭湯がなく、風呂がない家庭は屋敷家の風呂を借りていたのだ。

 そのため江戸時代から屋敷家は露天風呂である。

 七条家の場合は代官なので使えるわけもなく、当然なんの役職もない富豪である屋敷家に民は集った。

 しかし風呂のある家庭が増えるにつれ、屋敷家の風呂の使用者は減り、昭和50年あたりからぷっつりと途絶えた。

 さらにその頃からここらへんは高級住宅街になったので言っちゃ悪いが風呂の無い家はほとんどが取り壊された。

 当時の風呂事情は言うまでもなく屋敷家の人間全員(お手伝い含む)が入浴した後、風呂借りの人間が入浴するため後の人間であるほど風呂が汚くなっていった。

 ちなみに当時は風呂掃除以上に嫌な家事はなかったという。

 和信は脱衣所に服を置き、風呂に向かう。

 そこは雨よけに屋根がついた立派な露天風呂だった。

 詰め込めば15人は軽く収容できそうなほどでかい風呂。

 石敷きの風呂。

 和信は体を洗い、風呂に入る。

「はあ・・・・・・・」

 和信はつくづく思う。

「風呂だけは自慢できるな・・・」

 もともと豪邸なのでどこもかしこも自慢の対象になりうるがこの風呂はその中でも別格だった。

 さすが3世紀にわたり人々を魅了させてきた風呂だけはある。

 ただ、この風呂は20年前に改装したらしく、それ以前の風呂はどういうのかわからない。

 ちなみに屋根は5年前に改装した。

         

 

 

 風呂から上がった和信はそのまま夕飯にした。

 

 

 

 七条家。

 楓は一族に糾弾されていた。

「楓、何故殺した?」

「それは・・・・・・」

 祖父、祖母、父、母、姉、弟が土下座をしている楓を見下ろしていた。

 ちなみに暗影を含む使用人全員は帰宅させている。

「これで5人目か・・・ほんっとによく殺すよな」

「死体はどうした?」

 冷たく見られている楓が頭を下げたまま答える。

「それは地中奥深くに・・・たぶん5万メートルくらい下かと・・・」

「なら死体は見つかるまい」

「殺害方法は?」

「まず土で串刺しにした後、土で包んでペシャンコに」

「血痕は?」

「ちゃんと土でくるみましたので大丈夫かと・・・」

 一族が顔を合わせる。

「ならいいか」

 彼らにとって人間を殺すことなどどうでもよく、警察沙汰にさえ、ならなければいいと思っている。

 そもそも異能による犯罪はほとんどが完全犯罪になってしまうのでそれが殺人だとしても対して問題ではないのだ。

 実際七条家の全員が『人を殺す権利』を持っていると信じて疑わない。

「行方不明扱いですみますね」

 こんな風に人の命に関する道徳が完全に欠落しているのだ。

 家長が言った。

「楓、今回は許すがまた殺人をしたら・・・お前を殺すからな」

 この子を子と思わぬ発言においても楓は眉ひとつ動かさない。

「はい・・・申し訳ありませんでした」

                



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