妙法は踷法成踷富位思議不思議法用不用を論ぜず遍く妙ならざる如し。






さて法華経。
三蔵法師が編纂したもので、日本ではかなり古くからなじみのある経典である。
日蓮がこれが正しいと辻説法したのはあまりに有名である(とある組織は否定しているらしいが)
そして、日蓮の教えが正しく伝えられたのか、伝えられなかったのかは末法の世である今となってはさほどどうでもよいことかもしれないけど。
でも、一度法華経の中身くらいは知ってもいいのかもしれない。



今回は全編ではなく、最初の1編のみである。
だから○○でもわかるシリーズにはしなかった。
……学問のすすめが初編しかやってないのは、まあ、置いといて。


本来法華経は28編あり、そのページ数は極めて長大なのだが、
深田ありが持っている法華経の本は方便品(1編 ほうべんぼん)と寿量品(16編 じゅりょうぼん)の2つしかないため、方便品のみとする。
重要なのは、法華経のさわりだけでも知ってから、日蓮を罵倒するなり崇拝するなりすればよいということ。


ちなみに、一応ネットに法華経全編存在するのだが……訳すのがあまりにも大変だったため、1編の方便品のみ。
勿論、訳そのものは深田ありが独自に行ったものであり、解釈が微妙にズレてるかもしれないのはご容赦を。




妙法蓮華経



ある時釈迦は、瞑想をやめて立ち上がると、弟子の舎利弗にこう言った。
「仏様の教えはとっても凄いの。でも凄すぎて理解するのがとても難しいの。少なくとも、見たり聞いたりするだけでは、絶対に悟れないの」


「どうしてかって? それはね、仏様は百千万億(ホントにそう書いてある。八百万の仏教版だと思われる)の無数の他の仏様たちと親しみ、その人たちと一緒に修行してきたの」


「それでね、その全ての修行を成し遂げて、それを万人が認めてくれた時、ようやく悟りを得たの。でね、悟りを開いてからみんなにその凄い真理を教えようとしたんだけど、あまりにも難しすぎてだ~れも理解してくれなかったの」


「ねえ舎利弗。でも僕は成仏してから様々な因縁や様々な比喩を使って、それはそれは色んなやり方で教えようと頑張ったの。でね、その甲斐もあってか何とか沢山の普通の人たちを執着心から開放させることができたの」


「ね? 舎利弗。如来って知ってる? 悟りを開いた仏様のことだよ。悟りを開く前の仏様が菩薩。でね、その如来の境地に到達するのはとても、とても難しいの。無限に存在する慈悲に喜捨、智恵、自信、一心、無欲、安心。これらの感情をしっかりと、奥深くまで胸に抱くことで、ようやく悟りを得ることができるの」


「でね、舎利弗。如来ってのはね、それらの心を上手に分別し、巧みに言葉にして人々に教えるの。言い方はやわらかく、聞く人を喜ばせてね。ねえ舎利弗、わかる? つまりね、仏様ってのはね、無量大数くらい存在するそれらの未知の教えを、心の全てを、全て理解してるってことなの」


「そう、結論を言えば、ただ仏様同士が悟りを開いているの。つまり、背理的に言えば普通の人が悟りを開くと仏様になれるの。最後に言うよ。顔、心、体、力、創造、因縁、縁、成果、伝え。それらの全てを一つとすること。これが悟りなんだよ」







以上が、方便品である。要するに法華経のプロローグに該当する部分だ。
譬喩品以降にその具体的な内容が示されていると思われるが、取り敢えずここまで。
ちなみに寿量品とは、命について書かれている部分である。
まあぶっちゃけ一言で言えば『たとえ人の世界が滅びても、仏の世界は永遠に不滅です!』ということが書かれている(超ダイナマイト意訳。厳密には違う)
え? 永遠に不滅は日本語としておかしい? 知らないなぁ。





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