ハルノート。
正式名称は『日米間協定の提案基礎の概要』
日米戦争の最後通牒と解釈されたものとして非常に有名な文書である。
でも以外とその中身がどういうのかわからない人も多いのではないかと。
○○でもわかるシリーズっぽいけど、個人的には別物。

と、いうわけで今回はハルノートと、それだけじゃ短いので日本が提案した甲案、乙案も合わせて掲載する。

ちなみにハル四原則とは、ハルノートのさらに前、1941年4月に日米諒解案の日本政府案を駐米大使の野村吉三郎が提案した時、コーデル・ハルが要求したもの。
ちなみに松岡洋右以外のみんなが大賛成してたのに(特に陸軍が大喜びしていた)、三国同盟を成功させた手柄に固執した松岡だけがわめきたて、一生の不覚だったと後悔するのが12月6日。
甲案が譲歩に譲歩を重ねたと言われているが、そもそも松岡がアメリカを激怒させなければここまで譲歩する必要はなかったのだ。
個人的にはどう考えても松岡は無能政治家であり、日米戦争の原因の25%はこの男のせいだと思っているのだが、ちょっと弁護すると当時の日本の民意は少し過激だったのだ。
というのも、当時の風潮としては「ドイツは快進撃を続けている。今のうちに日本も参戦して世界の覇者となるであろうドイツと蜜月の日々を築こう」というものだったのだから。

また、アメリカが日本と参戦する意志を固め、日本との交渉を時間稼ぎにしか扱わなくなったのは、実は独ソ戦が原因である。
少なくともハルは独ソ戦が始まりさえしなければ、日本と和平交渉する用意があった。
交渉初期の構想ではアメリカの仲介で日中戦争を終結させ、陸軍は撤兵。その後、日米共同で中国を開拓してゆく。というもので、双方にメリットがある案だった。

ちなみにハル・ノートという名前ではあるけれど、これを作ったのはヘンリー・モーゲンソーとハリー・ホワイトの2人で、ハルは受け取っただけである。
コーデル・ハルが作った暫定協定案では乙案に多少の制限をつけて3ヶ月有効にする予定だった。
ちなみにその暫定協定案。これを破棄させたのは蒋介石なのはあまり知られていない(正確には蒋介石がブチ切れてチャーチルが渋々ルーズベルトに打診した形)。

ちなみに日本が三国同盟の死文化に同意した背景には、日米交渉の際、メリノール宣教会のドラウト神父が日ソで戦争が勃発した時、アメリカは日本を援助すると言ったため。

また、当時の日本情勢で現代人が理解しにくいものに『人口爆発』があった。今でこそ少子化が問題になっているが、当時は人口の急激な増加が問題になっており、日本人を外国に移住させないと日本はパンクする危機にあったというものがある。
最初それはアメリカだったのに排日移民法のせいで頓挫したので満州や中国に移住させるしかないと考え、その下準備として当時情勢が最悪だった大陸を安定させるために満州事変を起こしたという背景がある(日米諒解案に中国での集団的移民は制限すると記してあるのはこのためであり、アメリカに内政干渉めいた人種差別撤廃を要求しているのもこのため)。
教科書には満州事変が起きた――とだけしか書いてないから『なんでそんなことをしたか』を考えないと、わけわかんないよね。

ちなみに甲案乙案の成功率を、外相の東郷は1割、首相の東條は4割とみており、実は失敗するだろうと思っていた。
理由は言うまでもなく陸軍の横やりが酷すぎたから。
たとえば下記にある撤兵期間についてなのだけど、東郷は最初5年以上8年未満に完全撤兵したい旨を陸軍に訴えたら、陸軍は99年(つまり永久)を指定。東郷がブチ切れて陸軍は50年まで妥協。それでもダメだと粘りに粘ってようやく25年まで妥協させたら、陸軍は今度はそっちが譲歩する番だと無理矢理これを認めさせた背景がある。
陸軍の言い分としては、たとえ支那事変が解決しても治安がよくなるのに時間がかかるから、日本企業が中国に進出した際、軍が彼らを守るために支那事変後もずーっと陸軍が中国大陸に駐兵していたいという考えだったためだ。だから撤兵問題で25年で撤兵というのは、陸軍からすれば究極の譲歩だったりする。世界的に見たら「馬鹿じゃねーのお前」の一言だが。

乙案に関しても、東郷が甲案があまりに陸軍が無茶苦茶やったから(25年のことね)、緊急的に用意したものなのに、こっちも陸軍がブチ切れ(乙案は本当に嫌がった)、東郷がこれまた陸軍とぶつかり合い、何とか認めさせたが4の項目を追加させられた。
しかしそれでも陸軍は乙案を心底憎んでおり、とにかく乙案を嫌がっており、乙案を認めるくらいなら戦争した方がいいと本気で思っているほどだった。
で、実際戦争になって、政府は目もくらむばかりの失意に落ちされた一方、陸軍は大はしゃぎ。大歓喜。乙案を認めなくてすんだことを本当に嬉しがり、意気揚々と戦争していた。
ぶっちゃけこの時点の日本で戦争したくないと言っていたのは天皇と政府だけで、国民と軍隊はとにかく戦争をしたかったのである。だから戦争が始まると大喜びだった。

ちなみに当時の日本にも色々反省すべき点があり、その一つが『スゲー生意気な態度』が挙げられる。日蘭会商での日本の態度はハル・ノートもびっくりの横柄っぷりで、オランダを弱小国呼ばわりし、日本は大国なのだから従えとスゲー上から目線でオランダの顰蹙を買いまくっていた。
また日英同盟を結んでから日本は当時世界一だった英国と対等の国家だと信じ込み、アメリカへの移民も決して聖人君子ばかりではなく、黄色人種の移民のくせに生意気だと思われていた。差別はされていたが、日本はお行儀よく過ごしていたわけではないし、実際戦争時に東條がアメリカの移民に「諸君らはアメリカ人である」という手紙を送らなければならないほどにはアメリカへの忠誠心が全くなかった。
また、リットン調査団の時も日本の態度はとにかく生意気で……挙げればキリがないが、戦前は大国であるという自負、清に勝ち、ロシアに勝ち、第一次世界大戦に勝ち、明らかに調子に乗っていたのは間違いなく、嫌われるだけの態度は普通にしていたのだ。
実際この甲案乙案や9月25日案などを見ても当時の日本の生意気っぷりが結構にじみ出ている。
誇り高いのはいいことだけど、誇り高いが故に当時の日本人は傲慢でもあったわけだね。

相変わらず意訳が多いのはご容赦を。







ハル四原則


1、一切の国家の領土と主権の不可侵(さらに意訳・地球上の先進国が持っている全ての権益を侵害するな)。

2、中国および太平洋諸国の国内問題には不干渉でいること(さらに意訳・内政干渉はするな)。

3、通商は機会均等でなければならず、待遇は万国平等でなければならない(さらに意訳・特定の国に有利な貿易をしてアメリカをハブにするな)。←これがいわゆる通商無差別。門戸解放のこと。

4、国際情勢を改善する際には、紛争を行なってはならず、国際調停に従い、国際協力をはかりながら平和的解決をすること(さらに意訳・勝手に軍隊さしむけて国際情勢を解決しようとするな)。




ハルノート




1項


1、ハル4原則同様、通商無差別の実現

2、国際的な経済協力や過度の貿易制限を行なう事によって発生する極端な国家主義を認めない。

3、全ての国家は無差別で原料物資を獲得すること。

4、国際的商品協定の運用に対し、消費国家及び民衆の利権の十分な保護。

5、全ての国家の企業を発展させ、国家の福祉に合致する貿易手続きを成立するために国際金融機構を設立すること。




2項


1、アメリカと日本はイギリス・中国・日本・オランダ・ソ連・タイ・及びアメリカ近隣の国々と不可侵条約を結べ。

2、アメリカと日本はさっきあげた国々が持つインドシナ半島にある領土を尊重し、侵犯するな。この際各国と協定を結べ。その後、経済協定も結べ。

3、日本は中国とインドシナ半島にある全ての軍隊と警察を無条件で引き上げろ(これが有名な条項。項目にはChinaとしか書いてないので満州が含まれると思ったのは日本の勝手)。

4、アメリカと日本は蒋介石率いる国民党を全力で支持しろ(これが日本が最も受け入れられなかった条項)。

5、アメリカと日本は義和団事件議定書を含む全ての中国での治外法権をを放棄しろ。

6、アメリカと日本は共に最恵国待遇を結んで通商を結ぶかどうかの会議をしてやる(通商を結ぶとは書いてない←コレ重要)。

7、アメリカと日本は共に凍結した相手国の資産を元に戻せ。

8、アメリカと日本は円ドル為替ルートを安定させるため、協定を結び、組織を設立すること。

9、アメリカと日本は他の国と同盟を結んでいるがために太平洋の平和を乱す――なんて事態が発生しないようにすること(これがいわゆる三国同盟の死文化のこと)。

10、以上の項目を、アメリカも日本もきちんと守りましょう。







ちなみにこれがハルノートの前に日本側が出した譲歩案。甲案と乙案。




帝国国策遂行要領



甲案

1、9月25日案が成立しない場合は……仕方ない。全世界に適用されるのなら、中国での通商無差別を認めるよ。

2、三国同盟に関しては、僕たちが自衛権の解釈を拡大しないってことをさらに明瞭にするためにもう一度言うよ。守るかどうかは日本が決めるよ。これはアメリカも認めたよね?

3、A:石油を渡してくれれば、インドシナと中国の軍隊は上手くいけば2年。ゴタゴタあったら25年くらいかかるけど一応撤兵させるよ(最初は99年のつもりだったそうな)。
  B:フランス領インドシナに関しては、支那事変が解決するか、極東に公正な平和がもたらされたら、すぐに撤兵させるよ。





乙案


1、日米両国はフランス領インドシナ以外の全ての東南アジアと南太平洋で武力的進出をしないこと。

2、日米両国はオランダ領東インド(インドとあるけどインドネシアのこと)の物資は協力してゲットしようね。

3、日米両国は早急に資産凍結前の状態に戻すこと。そしたら石油ちょうだい。

4、アメリカは頼むから日本と中国の仲直りをする邪魔をしないで!



備考
1、これが守られるか、もしくは太平洋の平和を約束してくれたら、こっちも軍隊を撤兵させるからね。

2、どうしてもって言うなら、ハル四原則と三国同盟については考えてあげるから。




補足。
乙案の4に関しては、実は当初こんな文入れるつもりはなかったのですが、陸軍が外務省に横槍入れて力尽くでねじ込んだものなんですよー。
深田ありはこの文章をかなりマイルドに訳しましたが、原文は『米国政府ハ日支両国ノ和平ニ関スル努力ニ支障ヲ与フルカ如キ行動ニ出サルヘシ』です。
えー、意訳をもちっと刺々しくすると『アメ公が大陸にしゃしゃり出てくんじゃねえよ、消えろ』とでも言ったところでしょうか。もっと具体的に言うなら「援蒋ルートはやめてよ!」ですかねえ。

ちなみにインドネシアに関してだけは、日本は最後の最後まで独立させる気がなかったりする。ていうか日本領にすると御前会議で『決定』していた。
正確にはマライ、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベスの5地域。ただ、インドネシアは独立したがっている背景もあったので(1945年に日本に対し反乱を起こしている)、軍政を敷きながらも原住民を刺激しないように民度に応じて政治に参加させたり、民心の把握に努めるようにしたりはした。
ただ、インドネシアが日本を評価するようになったのは1965年の『9月30日事件』がきっかけで、それまでは『ファシズム3年半』と日本を酷評していた。

ちなみに戦局の悪化で渋々インドネシアの独立を認めることにしたのがかの有名な『小磯声明』。ただしこの声明、『いつ』独立させるかは一切指定しておらず、日本は出来ることならインドネシアを独立させたくはなかった。




甲案の説明

1、通商無差別(門戸解放)については地理的な問題による今までの主張は撤回するよ。
  全世界に適用って言ったのは10月2日にアメリカが「日米のいずれかが特定地域で一つの政策にこだわって、他のみんなと違う政策をとるのはよくないよ」って言ったからつけたわけで、これは許してくれると信じてるからね。

2、三国同盟の問題については、アメリカが満足できるように僕たちが自衛権の解釈を濫用したりしないって明確に宣言する意味でつけたんだよ。本当だよ。信じて。

3、撤兵問題についてはとっても難しい問題なんだけど、アメリカが反対している理由は知っているんだ。僕たちが駐兵している期間が不確定だからだよね。
  だからちゃんと駐兵する地域とその期間をきちんと示すことでアメリカの疑惑を解きたいと思ってるんだ。
  撤兵して欲しいっていうアメリカの希望は知ってるんだ。理解もしてるんだよ。でもね、ちょっと日本の情勢的にそれはどうしても不可能なんだ。
  あと、駐兵期間を明示する理由はね、これをあやふやにすると駐兵期間が無期限かつ永久に行う可能性があるからでしょ? だから違うんだよってことを示すために努力してこの数字を作ったんだよ。
  ねえ、わかるでしょ? 僕たちが提案したこの甲案はさ、君たちアメリカと繰り広げている3つの問題のうちの2つも全面的に譲歩してあげているんだよ? 最後の撤兵問題だけは確かに僕たちの主張は強いよ? でもさあ、これでも最大限の譲歩だと思うんだけど。
  この案はね、4年にもわたる事態によって今まで日本が被ってきた甚大な損害と比べて、決して過大な要求じゃないよ。ていうか小さすぎるくらいだよね。
  だからもう一度言うよ。撤兵問題は日本の都合上ど〜〜〜してもこれ以上の譲歩はできないの!!
  ねえ、わかってよ。ね? この甲案を受け入れてさ、一刻も早く交渉に移ろうよ。お願い。



9月25日案


1、日本は自衛のためにアメリカと戦争する可能性があり、10月下旬をメドとして戦争準備を整える。

2、日本はそれと平行してアメリカに対し外交の手段を尽くして要求達成の努力をする。対米交渉において日本の最小限度の要求は下記の通り。

3、この交渉が10月上旬になっても成立しなかった場合はただちにアメリカと戦争を行なう。対南方以外の政策においてはアメリカ・ソ連の対日連合戦線を結成させないようにすること。


対米交渉における日本の最小限度の要求と、日本の許容できる限度。


第一、最小限度の要求事項

1、アメリカは支那事変を解決の妨害をしないで!
  イ:日本の日支基本条約と日満支共同宣言による事変解決を妨害しないで!
  ロ:援蒋ルートをやめて!
(註)
  これは僕たちの従来の主張を妨げるものじゃないよ。あと、これのために日本軍は中国に駐屯してるわけだけど、これは譲れないからね。だけど安心して、ちゃんと支那事変が解決したら日本はちゃんと撤兵するから。君たちが新しいアジアに理解を示してくれれば、こっちもちゃんとそっちの権益は侵害したりしないよ。

2、アメリカは日本の国防を脅かすような行動には出ないで!
  イ:日本とフランス領インドシナにおける約定に基づく特殊関係を容認して。
  ロ:タイ、インドネシア、中国および極東ソ連領土内に軍事的な権益を作らないで。
  ハ:極東における兵備を今より増やさないで

3、アメリカは日本の物資獲得に協力して!
  イ:破棄された通商を回復して、南西太平洋における日米両国の領土から日本のために必要な物資をちょうだい。
  ロ:日本とタイとインドネシアの間に提携される経済協定には、友好的に協力してね。


第二、日本が許容できる限度

1、日本はフランス領インドシナを基地として中国を除く近隣地域を攻撃したりしません。

2、日本は極東に公正な平和が確立できたら、フランス領インドシナと中国から撤兵してもいいよ。

3、日本はフィリピンの中立を保証するよ。

(註)
イ:三国同盟に対する日本の態度を問われたら、日本の同盟義務の遂行は今まで通りを貫いて、日本の態度とアメリカが第二次世界大戦に関する態度については議論しないこと。
ロ:ソ連に対する日本の態度を問われたら、日ソ中立条約を遵守して日本と満州にソ連が攻撃してこない限りはこちらからは攻撃しないと答えること。




『パール博士の日本無罪論』によるハルノートの解釈




1、第2項の1に多数国間の不可侵条約は日米交渉期間中一度も出ていなかった新しい問題であり、日本にとってはまさに青天の霹靂である。

2、第2項の2の問題においても日本は既に乙案ですでにフランス領インドシナからの撤兵を進言しているにもかかわらず、アメリカはそれをいたずらに複雑化しようとしている。

3、第2項の3にいたっては8ヶ月の交渉期間中1度だってアメリカは即時全軍撤兵など要求しておらず、まさにこの問題を長々と話し合っていたのにいきなり即時撤兵などと突きつけるのは異常。

4、第2項の4においてはアメリカは当初日本の満州国承認に対し黙認しており、これまた突如として満州国の存在を否定しだした。

5、第2項の5も同様で、未だかつて一度たりとも問題になっていなかった事案に対し、突如として提案をつきつけている。

6、第2項の9は既に日本は三国同盟については自主的な解釈をするため、アメリカが自衛行動のためにドイツに参戦しても日本は攻撃をしかけないとほのめかし、当初アメリカはそれに納得したという過去があるにも関わらず、それを無視していきなり三国同盟の破棄を強要した。

7、過去8ヶ月間にわたり日米交渉の進捗は極めて遅々たるものだったことは間違いないが、それでも次第に煮詰まってきており、アメリカにおいても交渉期間中に撤兵問題、インドシナ問題、三国同盟に対する日本の態度などに対して満足的な態度をもって話し合いをする余地があったにも関わらず、土壇場でその全てを反故にして全く新しい要求を追加した上で過酷な条件につり上げるという行為は、今までの8ヶ月間はなんだったのかと日本を困惑させ、今までの行為はただの時間稼ぎでしかなかったと日本側が解釈しても、それは致し方ないのではないだろうか。

8、当時アメリカは日本の電文を傍受していたのだが、その翻訳が不適当であり、事実を歪曲するような解釈がなされていた。例えば日本の『最終的妥協案』を『最後通牒』と翻訳していたり、『緩和』を『要求の加減』、『所要期間をある抽象的字句により折衡せられ、無期限駐兵にあらざる旨を印象づくるように努力相成りたし』を『貴官においてはできるだけ不徹底にして、しかも快適な言辞をなし、これを婉曲に延べ、無期限占領が永久占領にあらざる旨を印象づけるよう努力相成りたし』と翻訳するなど、極めて日本が攻撃的であるかのように捉えていた。





おまけ

日米諒解案


1、日本とアメリカは対等な国だよね。だからお互いの国は尊敬しあって文化の押しつけはしないようにしようね。でも、アメリカがやってる人種差別はよくないことだから、それはやめてね。

2、アメリカがドイツに積極的な攻撃をしなければ、日本はアメリカを攻撃しないよ。だからお願い。アメリカは連合軍に物資や軍隊を送らないって宣言して。アメリカは戦争嫌いで有名な国だもんね。信じてるからね。

3、アメリカ大統領は下記のA〜Hの条項を容認して、日本がそれを保証した場合は、すぐに蒋介石に和平勧告を命じて。
  A、中国の独立
  B、日中間における協定に基づいた日本軍の撤兵
  C、日本は中国を併合しません
  D、日本は中国に賠償金を求めません
  E、通商無差別の実現。ただしその解釈や運用に関してはちょうどいい時期に日米間で協議しようね
  F、蒋介石の重慶政府と汪兆銘の南京政府の合体
  G、日本は中国への大規模、もしくは集団的な移民は控えます
  H、満州国を承認して
  この項目において、もし蒋介石が和平に応じて合体政権が誕生した場合は、日本はすぐにその政府と和平交渉を開始するよ。
  その際の和平交渉の内容は、共産主義の打倒を実現するための共同防衛と、経済協定の提携だよ。

4、A、日本とアメリカは太平洋の平和を維持するために、相手がビビるようなレベルの海軍配置はしないこと。
  B、もし日米問題が解決したら定期的に日米両国は艦隊を派遣して儀礼的な訪問をし、平和維持につとめること。
  C、支那事変が解決したら解役する予定の船舶をアメリカの希望に応じて太平洋就役に斡旋させるよ。ただし、その数は日米会談で決めるけど。

5、もし日米問題が解決したら通商復帰しようね

6、日本は南西太平洋には武力進出はしないで平和的手段で石油、ゴム、錫、ニッケルなどの物資を獲得するから、アメリカも協力してね。

7、日米両国はヨーロッパ諸国が東南アジア、南西太平洋に進出することを認めない。
  日米両国はフィリピンを共同で独立させてあげようよ。もしフィリピンが攻撃を受けたら助けてあげようよ。
  日系人移民の差別はやめてよ!!




ちなみに深田ありの日本に対する戦争観は基本的にコレ(元々は元ジャワ防衛義勇軍大団長アブドカディル大佐の言葉。それを少し改変)↓

日本の悪行のもろもろを文章に書けば、辞書のように厚い本ができるだろう。
しかし、これと反対に、日本の教育、指導、善行の数々は、これまた厚い辞書ができるほどたくさんある。




もひとつちなみに日本の開戦方法についてはアホかこいつらという気持ちを持っている。外務省のヘマで宣戦布告が遅れたこと以外についても。
というのも、ハルノート自体は『正式な最後通牒』ではないのにも関わらず、『一方的に日本側が交渉を打ち切り』、『問答無用で開戦を始め』、『しかもそれにつての弁解を一切行なわず、自存自衛のみを謳ったため』だ。
これでは当時の諸外国から見て侵略者がどっちかわかりゃしない。



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