神の懺悔


2005/8/30(Tue)■マンドラゴラはナス科の植物

世の中は以外とプロパガンダが多いです。
ちなみにプロパガンダとは政治的工作という意味だけではなく、広い意味で主義や思想を伝播する事をいいます。
タイトルにもありましたがアレはナス科の植物で実在します。
正式名称はナス科マンドラゴラ属、学名『マンドラゴラ・オフィシナルム』
主に地中海近辺に広く分布しています。
マンドラゴラとはペルシャ語です。
ちなみにサンスクリット語ではマンダラーヴァと言います。
つまり、マンドラゴラを引き抜くと死の悲鳴を上げると言うのは迷信です。
ちなみに猛毒です。食べられません。
食べると中毒症状がでます。幻覚をみます。
でも古来より魔法の薬として広く使われてきたのです。
え? 何に使ったか?
媚薬ですね。他にも麻酔薬とか、薬として使うんです。
成分はアコロピン、スコポラミンなどの数種類のアルカノイドを含んでいます。
余談ですが麻薬はアルカノイドを含んでいます。これが幻覚を見せるんです。
旧約聖書では恋なすびと明記されてますよ。
具体的な説明をすると、ナス科の一年草で、高さは約1m。広卵形で先に棘があり、白い実を持つ(ピンク、紫、淡青、黄色なども)。ちなみに実も棘だらけ。ちなみに種は胡麻に似ています。
こんなものです。
つまり、大高女クラ物語で香鳥蛍助がマンドラゴラ入りのおかゆを食べさせられましたが危険ですので絶対に真似をしないように。
と、いうか大高女クラ物語が2話で終ったのは雑誌が休刊になった事よりもあんなマンドラゴラを丸ごと食べされたため死亡したからだと思われます。
マンドラゴラを食べると嘔吐、喉の渇き、高熱、顔の紅潮、瞳孔の散大、そして幻覚症状が出ます。
実は日本でも毎年マンドラゴラによる事故が存在します。
死亡例は少ないですけど中毒症状はかなり多いです。
つまりマンドラゴラはプロパガンダなのですよ。


2005/8/24(Wed)■言葉

奇怪という字は『きかい』とも『きっかい』とも読みます。
間隙という字は『かんげき』と読み、造語ではありません。また、隙間『すきま』の誤字でもないです。
供奉は『ぐぶ』と読みます。
只管は『ひたすら』錯綜は『さくそう』端倪は『たんげい』跋扈は『ばっこ』誰何は『すいか』です。

これらの単語は使用する事を微弱に躊躇われます。
難しい単語はただ使うだけで表現力が上昇したと錯覚させるからです。
独我論的に解釈し、個人の一定する欲望の観念のみを併発させることなく純粋な思想で発現するのであれば、錯覚だと他者が認識する事で一定の心理的な軽度なる憤怒を発生させる可能性があると言う事。
ようするに、読んでて腹が立つと言う事です。

憐憫な心中を錯視させる孤独な幼子が蹲って嗚咽している。
例えば上記のような文章。
いかにも偉そうな文章ですね。
漢字を除外すると『レンビンなシンチュウをサクシさせるコドクなオサナゴがウズクマってオエツしている』となります。
この人様を舐めきった文章ですが、これを常用漢字・・・というかわかりやすく表現する事は非常にめんどくさいです。
見ててかわいそうだと思ってしまう程に、子供がひとりしゃがんで声を詰まらせて泣いている。
とでもなりますね。

はっきり言って後者は書いてて疲れます。
終始こんな表現で文章は書いていられません。
また、後者の表現は具体性を強いられるのに対し前者は抽象的な表現を可能とします。
要するに文章を複雑化することで表現の幅を広げる事が出来ると言う事です。
そう言う点で、前者は語彙さえ知っていればとても書きやすいんです。
ただ憐憫とか、錯視とか、使う必要の無い単語はそれだけでムカツクのは必定でしょう。
普段お目にかかれない単語は見ているだけでムカツクのです。

例えば啓蟄『けいちつ』
この言葉は『冬が開けて虫が出てくる事』という意味です。
深田ありの俳句にも『啓蟄の 覚めて出で来し 軒の下』なるものがあるように主に俳句や短歌などの文字数が制限されている時に使うものです。
また、双眸『そうぼう』は両眼という意味ですが漢字数が同じなので後者にすればいいだろ。という話にもなります。
つまり、普段お目にかかれない単語を使用している時点で作者の自己満足なのです。
とどのとまり・・・ぶっちゃけ・・・早い話・・・ざっくばらんに言うと・・・瞬撃は完全な自己満足という事ですね(自虐)

『十全=万全』ですしね。でも前者の方が普段使わないためなんとなく恰好いいので使うのです。
こだわりというものです。

ちなみになんでこんな話をしたかというと、本日は友人が来訪したので瞬撃が執筆できませんでした。
かつ、今日のお題が全く思い浮かばず、詩は考えるのが面倒臭く、日記は・・・友人が来た。で終わりなので仕方なくこんな話になりました。


2005/8/23(Tue)■給食は不味い

思った事。
ひぐらしのなく頃に解の罪滅し編でどうしても突っ込みたかった事。
茨城県は都会じゃない。
深田ありは茨城県民なのでよ〜くわかってます。
田舎です。ど田舎です。どを忘れちゃいけません。
雛見沢がどれほどの田舎かは知りませんが茨城県は県庁の水戸も土浦もつくばも鰻丼発祥の地である(と、いうよりもエロゲ顔のない月で有名な有限会社オービットといった方がわかりやすいかな?)牛久もみんな呆気に取られるほどのど田舎です。
車で10分も飛ばせば大抵は山か田んぼが見えます。
そもそも雛見沢のモデルの地が石川県でしょう?
文化遺産のあそこでしょう?
あんなのと比べてどうすんだよ・・・。いや、あんなのだから都会に見えるのか? 茨城が。
そうですね、茨城県の殆どの都市は輿宮程度だと思いますよ。
なんせ給食が不味い
中学生時代までずっと思っていた事。
都会の豪勢な給食が食いたかった・・・。

給食は不味いです。一度も美味いと思った事がありません。
量は少ない、味は最悪、皿はプラスチック、温度は温く、牛乳が毎日。
こんな不味いもの食わせるな!!
月曜日はパンの日でしたね。食パン2枚か味の薄いコッペパン。
これは不定期でしたけどうどんがまずい事まずい事。
味噌汁の中にうどんを入れるんですから。
けんちん汁じゃねえっての!!
ご飯はおこげあるのですよ。
大釜で炊くから。
で、味が素っ気無い。
カレーは甘口でしたね、一度だけ辛口が出た事がありましたがやっぱり甘いです。激甘です。
甘いカレー嫌いなんですよね。
おかずは必ず野菜、主菜があって、主菜はこれが量の少ない事。
肉だと豚肉が一枚。
魚だと尻尾と頭とを抜き取った身だけのが一切れ。
実は魚は内臓が好きなのに・・・。
と、いうか内蔵料理は好きですね、全般的に。実は身よりも好きかも。
でも肉だったら身の方がいいかな?
まあいいんですよ。不味くて量が少なくても。
学校は共同の場ですからね。食欲が統制されるのは我慢する義務があります。
不味けりゃ残せばいいんだし。
実際野菜と牛乳と味噌汁は9割以上の確率で残したし。
つまり、事実上食べていたのはご飯と主菜だけ。
で、腹が減ったので家に帰ってからご飯を食べるのですよ。お釜からよそって、おかず探して。食材が何も無ければ醤油をご飯に垂らして。
その数時間後に夕食食うんですけどね。
つまり中学時代は一日4食の生活でした。(小学時代は水泳と空手を習っていたから間食する時間がない)
だって給食不味いんだもん。
深田ありはかぎっ子+一人っ子だったので家に帰っても誰もいません。1人です。
で、小腹がすくと冷蔵庫をあさって飢えをしのぐ生活・・・。
暇つぶしに創作料理を敢行したらフライパンを2つダメにしたのでそれ以来料理はしてません。
食うものが何もないとコーヒーを煎れて飲んでましたね。
うちには料理用の砂糖しかなく、牛乳も存在しないので、ず〜っとブラックしか飲んだ事ありませんでした。
で、4杯くらい飲むと夜眠れないんですよね〜。

ただね、小学3年生の時。
学校で担任が閉鎖的な独裁者で、校則とは別に様々なクラスの規則を作る女だったのですよ。
その中に給食は残さず食べる事
と、言うのがありました。
昭和かここは!?
と絶叫せずにはいられない。
いやあ給食の不味いこと不味いこと。
毎日眼を瞑って、鼻を抑えて、噛まずに飲み込む!!
こんな生活を一年間・・・。昼は最悪でした。

昼といったら中学の修学旅行でヒルに吸われた事がありますがまあ、それはいいでしょう。

ただ学校から配布される献立表のプリントを見て深田ありの親曰く「今の給食は豪勢だなあ」
どこが?
何でも親・・・つまり昭和30年〜40年代ですが、その頃の給食はさらに悲惨なものだったそうです。
牛乳は脱脂粉乳!
ご飯はなく、パンだけ!
ゴムのような目玉焼き!
おかずの変更殆ど無し!
・・・餌ですか?
特に脱脂粉乳は小林よしのりも漫画でそうとう毛嫌いしている様子を描いてましたね。
個人的に小林よしのりの考え方は嫌いなんですけどね(深田ありの父親はシンパです)。まあ、それはいいでしょう。
で、両親も脱脂粉乳はまずいと口をそろえていっていました。
そんなに不味いの?
一度飲んでみたいですね。昭和30〜40年代の脱脂粉乳。
いや、一度でいいんだけどね。
ただ深田ありの友人の母親が脱脂粉乳を美味いと言っていたので少し気になります。
というかそんな事を聞いた深田ありもアレですけどね。

ただ、中学時代だったか高校時代だったか夕方のニュースで昨今の都会の給食が報道されたのですよ。
何あの豪華なメニュー?
深田ありと唯一口論ができた気が合うけど仲が悪い死んだ友人が東京から来た人物で、「給食がまずいのはここが茨城県だからだ!!」と叫んでいましたがまさかこれほどとは・・・。
内容はよく覚えていないのですがたしかステーキが映し出されていたな。
ステーキ?
深田ありの義務教育時代にそんなの出た事一度も無いぞ!!
肉といったら妙に油がギトギトの豚肉の大根おろしがけが一枚!!
油を大根の力で相殺しようという涙ぐましい努力!!
しかし! 深田ありは大根おろしが嫌いなんだよ!!
ステーキだと!?
この差は何!?
給食で一番好きなメニューが炊き込み御飯だったのに・・・この差に対する感慨はとても言葉には言い表せない!!
その錯綜した心理を一言で表現するなど不可能!!
敢えて言うなら・・・。
今のガキは何て美味いもん食ってやがる!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・はっ、つい興奮してしまった。
ちなみに深田ありが好きな食べ物は既に記述してありますが海胆とお好み焼きです。
逆に嫌いなのが茄子とらっきょうです。
後者の2つは食べて体に変調をきたすほど嫌いです。
脳みそがこの食べ物を毒だと認識しているのか、食べると胃が気持ち悪くなります。
特にらっきょうは吐いちゃうんです。まずさのあまり。
つまり、茄子は胃のムカムカを無視すればギリギリ大丈夫ですがらっきょうは食べられません。
もはや深田ありと定義された形成概念がらっきょうを全力で否定、批判しているとしか思えません。
要するに、体が嫌ってるんです。
らっきょうアレルギーとでも言うんですかね?
だから、らっきょうは別格に嫌いなんです。


2005/8/21(Sun)■洗脳

人間は、素直です。

人間は、ラジオの電波で「火星人が攻めてきました」と報道したら信じてしまう生き物です。
前提がある限り、その内容がどれだけ奇天烈でも信じ込みます。
ちなみに火星人が攻めて来たと言う報道は事実です。
実際にありました。そしてみんな信じてしまいました。
社会問題になりました。
有名な話ですね。

つまり、早い話、人間が何かを疑うという行為は、疑う前提が必要なのです。
安全だと思う限り人間はいかなる狂った妄言も信じます。
だから、日本は世界一平和な国だから電車の中で居眠りしてても物を盗まれない。とか。
人間は賢い生き物だから1億年経っても2億年たっても存在している。とか。
今日という日があったんだから確実に明日がある。とか。
実はそういう思い込み、いや、洗脳されている限り信じてしまうものなのです。

この状態にある限り、明確な証拠を提示しない限り永久に洗脳から抜け出せません。
つまり、明日世界が滅ぶ確実な証拠が無い限り誰もが明日はあると声高に叫ぶのです。
その時彼らは自分の言葉に一切の根拠がありません。

ブルークリスマス。
そんな作品にこんな台詞があったと思います。(多少間違ってるかもしれませんが概ね同じです)
「彼らが何かをするとは言い切れない。だが、何もしないとも言い切れない」

それと同じです。
つまり世界は明日が滅ぶ根拠はない。だが、明日がある根拠もない。
世界の滅亡が物理的に不可能である事を証明できたとしましょう。
では、世界規模ではなく個人規模なら?
今日は穏やかに過ごせてももしかしたら明日死なないとは言い切れない。
事故に合うかもしれない。
自殺するかもしれない。
殺されるかもしれない。
急病に倒れるかもしれない。
精神が壊れるかもしれない。
あるいは、自分の周りが壊れてその連鎖で巻き添えを食うかもしれない。
世界とは、63億人が共有している空間ではありますが、自分が死んだ時点でその観測は不可能です。
だから、世界とは、実は自分が最後の傍観者でもあるのです。

でも、誰もそんな事考えない。
何故?
そんな事考えてたら生きていけないからです。
でも、深田ありはそんな事を日夜考えてますけど生きていますよ?
深田ありは死ぬ事が何より嫌いなので明日死なないかどうか毎日が不安です。
でも、生きていけます。
つまり、そんな事を考えてたら生きていけないというのは洗脳効果なのです。

生きることに希望とか、理想が必要な事はわかります。
そして人間は希望をもたせるために洗脳するのです。力づくで。
ところがそれがただの嘘だとわかると途端に計り知れないダメージを受ける。
蜘蛛畑にも明記しましたが、無知こそが賢者なのはそういうわけです。

死にたくないという欲望がある限り、人間は生きていけますよ。
何で人間は金を執拗に求めるか? 金がないと死んじゃうから。
何で人間は生きるのか? 死にたくないから。
生きることに意味なんかありません。
必要もありません。
理由があればいいんです。
生きることに意味? 小さく見ればこの世の何もかもに意味があるように思えるけれど。
逆から見ればこの世界そのものが存在する意味が無い。
地球があることの意味は?
宇宙があることの意味は?
じゃあ、宇宙が存在する必要はあったの?
ないよ、そんなの。
宇宙が無くても誰も困らないもの
だって、宇宙が無ければ生物いないから苦情がでない。
人生もそれと同じ。
生まれなければ自分は困らない。
問題は、生まれたから困る。
だから、洗脳される事を喜ばしく思う。
そうすれば、痛みが和らぐから。
生きる事に、意味なんか無い。
生きているのは死にたくないからだ。
死にたくないから誰もが生きるための行動を行う。
その行動に潤いをもたらすために、希望があり、理想がある。
つまり、二次的なものだ。
水泳と同じ。
泳げなくても困らない。でも、泳げないよりは泳げた方がいい
夢も理想も希望もその程度。
たとえ泳げたとしても海では潮の流れがあるからあまり意味が無く、溺れても死ぬ。泳げても沖に流される。
その程度。
選択肢と結果が違うだけ。

ちなみにどうして1+1=2なのか?
数学的に証明されているらしく、史学的にも完璧で、その倫理図式は深田ありの中学時代通っていた塾の講師曰くノート4ページも及ぶらしいです。
ちなみにコレを否定する事は社会的に許されません。
コレを否定するという事は数学の、率いては人類の冒涜になるからです。
否、もはやこの否定は人格さえも害毒と認定されるのです。
植え付けられているのですよ。

疑うのは前提がいるのです。
つまり、早い話、最初から信じない事。あるい肯定しても寡黙する事。
要するに、頷いちゃダメです。
誰の言葉かは知りませんが確か嘘を嘘と見抜けないと新聞を読むのは難しいという言葉がありますね。
新聞が全て真実しか書かれていないと思ったらいけません。
特に朝日新聞の捏造は昭和の頃から有名ですね
つまり人生もそれと同じ。
100%の真実も、100%の捏造も存在せず、混ざっているのです。


2005/8/18(Thu)■黒い雨

ちなみによく原爆を否定する人がいます。
確かに原爆は非人道的兵器の極致といえましょう。
あんなのを平然と日本に叩き落したアメリカ人はまさに鬼畜です。
でも、だからと言って原爆を一方的に否定してよいものでしょうか?

原爆が終戦を早めたと言われていますがそれは違います。
もともと原爆が落ちる1ヶ月前から日本は降伏ではなく、ソ連を仲介役にしてアメリカと和平を組む予定でした。
ですから原爆の終戦早期はほんの数ヶ月です。
原爆が落ちなくても10月までには間違いなく日本は降伏していました。
日本が勝利か全滅かなどとほざいていたのは軍部の真ん中から少し上までで、一番上はそんな事考えちゃいません。

重要なのは何故原爆なのか?
それは原爆が落ちないと、間違いなくソ連が日本を攻めてくるからです。
ルーズベルトの密約でソ連は日本に攻撃する予定でした。
何故ならルーズベルトとの密約ではスターリンは日本の樺太と、北海道の半分を領土にする約束をしたからです。
ルーズベルトはソ連の犬なのでスターリンの言う事は何でも聞いていました。
ところがルーズベルトが死んじゃったのでトルーマンがソ連の犬だったルーズベルトの密約を破棄。
でも日本を叩き伏せるにはソ連が必要だった。
ところが神の火を手に入れたのでソ連の必要性がなくなり、ソ連が攻めてくる前に神の火を叩き落す必要性ができた。
結果、日本に二つの神の火を叩き落し(マンハッタン計画では7発の予定だった)、日本を降伏させた。

これによりソ連に日本列島を侵略される事はなくなったのです。
また、ソ連は北方領土を占拠しましたがアメリカが先に日本を占領したので北海道を侵略される事がなくなったと。
もし原爆を落とさなければ日本はソ連とアメリカに分割されていたことでしょう。朝鮮やドイツみたいに。
問題は共産主義国家は100%虐殺が行われ、非常に悪い意味で貧富の差が無い国家が形成され、この世の地獄と化していたことでしょう。
そして冷戦が終結してもし、日本が統一したとしてもドイツ同様経済危機に陥ります。間違いなく。
下手すれば破産します。
ただでさえ日本は借金だらけなのに統一なんかしたら完全におしまいです。まあ、だから朝鮮・・・というより韓国は統一する気が毛頭ないんですけど。

だから原爆は100%悪いとは思いません。
何故なら原爆が投下されなければ日本の一部は共産主義国家になっていたのですから。
努力してもそれに見合った給料はもらえず。
給料だけでは生活できないので出稼ぎにでて。
権力者は平然と贅沢三昧。
金を使った娯楽という概念が存在せず。
逆らう者は即死刑。
自由主義陣営側の日本に亡命多数。
そんなこの世の地獄が展開されるのです。
そうですね。日本人民共和国とでも言う国家になっていたのでしょうね。
特に当時の日本人は天皇を崇拝していたので共産主義国家になったら数百万単位で虐殺が発生します必ず
恐ろしい。
確かに原爆で30万の尊い人命が失われたのは悲劇以外の何物でもなく、平然と広島と長崎に叩き落し、そして次の投下地点である名古屋に叩き落そうとする腐ったフロンティアスピリットの持ち主達は悪魔の化身といえましょう。
しかし逆に考えれば30万の犠牲が数年後の何百万という尊い人命を救ったのです。

それを考えれば原爆が100%悪いわけではない事がおわかりいただけている事でしょう。


2005/8/16(Tue)■瞬撃について

短く書いておきます。
瞬撃の文章はとても奇怪です。
書いている深田ありですら理解するのに数秒かかるほどです。
瞬撃はもともと瞬劇とする予定だったのですがやめました。
まあ、理由はこれまた奇怪なので説明しません。
ちなみにアレは仕様です。
予定では漫画にする予定です。
小説だとあまりにも理解不能なので。
まあ、漫画化するのがいつかはまったくの未定ですけど。


2005/8/13(Sut)■虚仮の一念

この言葉は実は侮蔑の言葉だって知っていますか?
虚仮とは仏教用語でニセモノという意味で、転じて中身の無い、上っ面だけの人間、つまり馬鹿を表します。
だから虚仮脅しとか、虚仮にするとかあるんですね。
でも深田ありはこの侮蔑の言葉、虚仮の一念を否定しません。
別名虚仮の一心ともいいますが、意味は同じです。
で、一念という言葉はそのままひたすら心に深く思い込む事です。
そもそも一念天に通ずとも一念岩をも通すともいいますが、一念を持つ人間で思慮深い人間などいません。
つまり、賢者であればあるほど一念などという非生産的、非効率的、非人道的、非倫理的、なにより非合理的な事はしません。つまり一念を通す者は須く馬鹿です。
周囲など目にも留めず、相手など意にも介さず、ただ独自の信念のためにその他一切を排他するその姿に利口さ、賢さ、殊勝さ、見識はどこにも存在しないのです。
つまり賢愚において相手を侮蔑するに該当する姿こそが虚仮の一念なのです。
つまり愚者のみが思案し、実行する暴挙。
反社会的なその倫理。
唯我独尊の具現。
どこを探っても協調性、公共性、社会性の欠片も見出せない邪悪なる思想。
しかし、だからこそ。
そんな馬鹿の具現とも言うべき邪悪なる思想だからこそ。
その一念は天に通じ、岩をも通すのです。
バキにこんな台詞がありましたね。
信仰のみが暴挙を生み、暴挙のみが奇跡を生む。
まさに象徴的な表現です。
でもだからこそ、一方的な論理を押し通す虚仮の一念こそが奇跡を生むのです。
ひじょ〜に悪質な表現ですがヒトラーを御覧なさい。
あの伍長あがりのチョビ髭が生んだ様々な奇跡を。
親父に虐待を受け、絵が下手で美術学校にも行けない、戦争で毒ガスにやられて病院送り、クーデターを起そうとして逮捕。
しかしその挙句は決して悲惨ではなく、その虚仮の一念は彼を総統にまでのし上げました。
彼は無能でしたがその一念が失業者600万を救済し、イギリス、スイスを除く全ての欧州各国を征圧し、あと一歩の所までソ連を追い詰めました。
彼の無能ぶりが最大限に発揮したのは終戦間際で気の狂った命令を連発し、部下にまで見捨てられた頃か、あるいはスターリングラードの攻防あたりからでしょう。
しかしそれ以外は頭の悪い伍長あがりが暗殺回数48回の全てを回避した事にも起因するほど彼の一念は天に通じていたのです。
つまり馬鹿のみが、天に通じ、岩も通すのです。
馬鹿とは頭の悪い人間のことよりも愚か者という意味合いが強い言葉です。
何故なら頭の悪い人間の侮蔑用語は既に低能という言葉で存在しているからです。

ちなみに何でこんなテーマにしたか?
実は数日前虚仮という字を苔と誤字した事があるからです。
取り敢えずその間違いは修正しないので虚仮の意味、補則はここに提示しておきました。


2005/8/11(Thu)■今日の慟哭は長いな・・・

そういやもうすぐ終戦記念日。
丁度コミケの後日ですが終戦記念日なんかどうでもいいんですけどね。
そういや最近のコミケは何故か雨が多いな。
去年も雨だったし。
去年は寒かった。
雨のせいで寒かった。
今年は雨降らないといいなあ。
何時間も雨ざらしになって待つのって大変なんですよね。
去年は雨の中海洋深層水マリンゴールドを飲んだものです。
寒かった・・・。


どうでもいいことですけど深田ありのパソコンのスペックは滅茶苦茶悪いので最近のゲームができないのや固まるのが非常に多いです。
ゲーム自体が出来なくなったのは永遠のアセリアから。
でも買い換える金も増設する金もないしね〜。
果たして明日発売(だったかな?)の最果てのイマはできるのかしら・・・スペックはかろうじて満たしてるけど。


ちなみに太平洋戦争こと大東亜戦争。
何でも大東亜戦争の事を東アジアで起った大きな戦争だから大東亜戦争と定義した人が居ますが・・・。
ふと、思った事。
じゃあ大東亜共栄圏は何?
東アジアにおける大きな共栄?
大きな共栄って何?
じゃあ大日本帝国は日本における大きな帝国?
日本そっちのけ?
たぶん大東亜は大いなる東アジアの事じゃないかなあ・・・。
そもそも大という字は尊敬語です。
つまり大日本帝国とか大東亜とか大ドイツ帝国とかの大は尊敬・賛美として使用しているのです。
だから東アジアで起った大きな戦争というのは間違いでしょう。


そして日本人は良くも悪くも日米戦争こと太平洋戦争をとてつもなく大きい戦争と思い込んでいます。
でも純粋な規模だけならドイツの方が大きいし・・・世界の歴史を見渡せば100年戦争の方が凄いような・・・。
そもそも白色人種にとって植民地には違いなかった東アジアですが、当時の彼らの選民思想から鑑みても日本人が戦争を起しても大して重要視しなかったでしょう。
ルーズベルトがアホだから戦争したようなものですし。
そもそも死んだ数が世界一多い戦争がWWUですが、その総死者数よりもスターリンが虐殺した数の方が圧倒的に多いです。
ましてや太平洋戦争における日本の死者数は300万。
一方WWUにおけるソ連の死者は2000万。
7倍近く死者数が違います。
つまり、太平洋戦争は世界史的に見てもその戦争自体は大してでかい戦争ではなかったのです。
太平洋戦争が重要視される理由は一つ。
その戦争のせいで帝国主義が終焉を迎えた事です。


そもそも日本人は潔すぎます。
日本が対外戦争に負けた歴史が余りにも少ないせいか、たった一度の敗北如きで簡単に自虐史観に走ります。
たった一度ですよ?
一度の敗北で再起不能になるなら欧州はどうなるんですか?
無敗の国家は一国もありませんよ?
彼らの思想は戦争に負ける事は当たり前だと思っています。
だから、次は勝てるをスローガンに再び戦争を起すのです。
だから何千年も戦争ばっかしてたんですけどね。
つまりヨーロピアンは学習しないアホという事です。
ましてや中国・韓国に至っては何度も何度も負けまくって勝った回数の方が少ないのに世界一を名乗っています。
それくらいの図太さが必要ですね。
ましてやスイスに至っては永世中立国を気取っていますがその裏はとてつもなく邪悪です。
彼らの定義する中立とは「ぼくちゃんは攻撃しないよ。でも攻めてきたらぶっ殺すからね♪」という考え方の持ち主です。
それが国民皆兵士という言葉で表されています。
しかも中立国の分際でWWUの賠償金をがっぽりとせしめる姑息さ
つまり、卑怯者とは美徳なのです。


個人はともかく国家では卑怯者こそが素晴らしく、美しく、正しく、輝かしいのです。
日本人は卑怯を否定しています。
だから自虐史観に走るんです。
中国みたいに「あれ? 南京落とされた? じゃあ首都を変えればいいや」くらいの卑怯さが必要ですね。


そもそも日本人の民族性が悪いんです。
確かにアメリカのようにすぐ銃口をつきつけるような軍隊もかなりヤバイですが・・・銃口をつきつけられるだけなら痛くないのでまだマシかなあと。
そもそも軍隊は世界共通で野蛮人の巣窟です。
だから別に日本だけ例外というわけではないんですよ。
でもイタリアみたいに「国家より個人」を尊重する民族では日本人の常識は通用しません。
半世紀前のイタリアと日本は対極だったのです。
そもそも日本人が全体主義から個人主義になってまだ半世紀もたっていません。
そんな歴史の浅い個人主義者が何百年も個人主義を貫いた欧州や中国、アメリカのような個人主義者にはそうそうなれるものではないんです。
日本人の全体主義が深田ありは嫌いです。
だから名誉のために死ぬ。とか、国家のために死ぬ。とかの思想は欠片も持ち合わせていません。
深田ありは他人のために死ぬ事など絶対に出来ません。
深田ありは個人主義者ですので損得勘定で行動します。


だから国家のために死ぬ事なんか不可能です。
深田ありなら特攻隊の志願兵を強制させられても絶対に首を横に振ります。
この時だけは目の前に銃口を突きつけられても横に振ります。
たとえ撃ち殺されても縦には振りません。
深田ありは個人主義者です。
だから二者択一の選択肢で結果、死ぬことが確約されているのなら個人を尊重します。
国家などというものは深田ありが円滑に生きるための空間だと思っています。
だから深田ありが快適に生活できるのは日本だけだと断言します。
だから、その快適な空間が脅かされる事は由としません。
でも、死んでしまう事が確約された時点で国家の必要性が無くなるので深田ありは国家を見捨てて自分のために死にます。
国家は損得において無いと困るから存在してもらわなければならないのです。
だから死ぬのなら国家など知りません。
ただ、自分の命より優先するものが存在するのならば話は別です。
でも、出会ったことも無い赤の他人の未来のために死ぬなどまっぴらごめんです。
そんな全体主義的な思想は頭の片隅にもありません。


ちなみに譲歩に譲歩を重ねたと名高い甲案とさらに戦争回避を目的にした乙案ですが・・・。
甲案は全然譲歩してません。
乙案は譲歩したと言える内容ですけど甲案は違います。
甲案を一言で言えば「お前もやるなら譲歩してやる」という内容です。
ついでに言えばインドシナ、満州、支那に駐留した軍のどうでもいいのは2年以内に引き上げるとありますが主要地域は25年間です。
譲歩の欠片も見出せません。


そもそも日本は太古の昔から権力者の周りいる連中が下衆なのが非常に多いです。
それは昭和も同じで政治家も軍人も下衆ばっかりです。
天皇の大権の甘い汁を吸うために群がる蟻共です。
幕府の頃も老中が将軍という砂糖の回りに群がる蟻でした。
日本は2665年間この法則に埋もれていたのです。
つまり、天皇や将軍は砂糖。
日本は戦前から民主主義だと言っていますがそんなものはない。
日本という国は家柄と、財産と、学歴と、コネがモノを言う国家であるため、ましてや戦前となるとここに男尊女卑が加わるため民主政治とはカタチばかりの貴族政治が蔓延するのです。
何故なら金持ち+歴史持ち+パイプ持ち+帝大卒の4拍子が揃った人間なんてそうそうあるもんじゃありません。
そんな連中しか政治家になれないような国家が民主主義であるはずがありません。
何故なら昔の日本は成金という種族が殆どいないからです。
くわえてとどめを言うと天皇は主権と大日本帝国憲法に明記されてるわりには天皇には一切の発言権が存在しないのです。
つまり、「邪魔だから座ってろ」と言ってるんですよ。
だから日本はファシズムなんですよ。


ちなみに深田ありは個人主義の塊ですけど否定される筋合いはありません。
個人主義とは国家や集団の倫理より個人が定義する信念、道徳を重視する主義のことを言います。
従って深田ありを否定できるのは見ず知らずの赤の他人のために自分の命を差し出せる人間あるいは法律、規律に反した事が一度もない人間だけです。


2005/8/9(Tue)■そういやリンゴジュースはあるのに梨ジュースはないよね

さすがにエロゲーだけで今日一日終わりというのもちょっとアレなんで適当に・・・。

ちなみに哲学の項目に何故かセーラー服の論考がないのは論考したくないからです。
何故ならセーラー服を論考すると、大半が誹謗中傷になりかねないからです。
そもそもセーラー服が福岡女学院を発祥に女学生の制服になった事はあまりに有名ですが、セーラー服自体が水兵の服であり、学ランが士官の服なので差別思想に繋がるんですよ。
深田ありは世襲制が大嫌いなので年功序列や男尊女卑といった覆せない差別が嫌いです。
やはり差別は覆せなければ努力する気というものが起りません。
それこそ革命でもしないと・・・。

ちなみに深田ありは軍隊が大嫌いです。
深田ありは別に頭の片隅にも日本が悪い事をしたとかは思っていません。
戦争で多少非人道的扱いをした程度で喚きません。
だってどこでもやってるし。
それに戦争で犯罪者になるのは敗戦国だけです。
だから日本が悪い事をした。と明確に断言できるのは敗戦です。
負ける事は悪い事です。
戦争において一番悪い事です。
でもそれ以外では日本は特に悪者になる必要はないのであまり問題としません。

問題は、軍隊が大嫌いなんです。
差別思想の塊。
差別するしか能の無い屑共。
外道の集まり。
鬼畜の集団。
逆らう者は鉄拳制裁
大声で喋らないと鉄拳制裁
仲間がヘマすると連帯責任で鉄拳制裁
怠ける者には鉄拳制裁
規律を守らない者にも鉄拳制裁
背筋を伸ばさないと鉄拳制裁
貧弱な体だと鉄拳制裁
反国家主義者には鉄拳制裁
臆病者には鉄拳制裁
もの覚えの悪い奴には鉄拳制裁
女のことを考えたら鉄拳制裁
陰口がバレたら鉄拳制裁
彼らは鉄拳制裁しか教育手段の無い外道の集団です。
しかも鉄拳制裁とはただゲンコツで殴るわけではありません。
時には精神注入棒とはぬかしやがる鉄棒で殴る事もしばしば。
銃剣でぶん殴る時もあると聞きます。
そして脱走兵は銃殺刑。
というより、上官に反抗すると銃殺刑。
命令違反も銃殺刑。
彼らは会社で言うクビの代わりに銃殺刑にする野蛮人共です。
しかも軍法会議・・・正式には軍事裁判所と言うんですがもはや魔女狩り。
とても深田ありの許容できる組織ではありません。
むしろ悪魔の巣窟と言うべき恐るべき吹溜り・・・。
だから日本国憲法で軍隊がなくなった事は喜ばしい限りです。
これで戦争になっても根こそぎ動員とかふざけた事抜かして徴兵される心配がないので。
あんな暴力至上主義者の悪魔が存在する魔窟の中に1秒だっていたくありません。
というかそんな魔窟の中にいたら1週間たたず銃殺刑ですよ。深田ありは絶対に。
だから、同じように逆らう者は即死刑の共産主義も大嫌いなんです。


2005/8/8(Mon)■深田ありはメロンよりスイカの方が好き

メロンは喉が痺れるのであまり好きではありません。
まあ、新しいメロンはそんな事はないんですけど。
でもやはりメロンよりスイカの方が好き。
高けりゃいいってもんじゃないでしょうけど1万2000円のスイカ食ってみたいな・・・。
4万円のラーメンとかも食いたいなあ。
無駄に高いですね。
そんなもん食った日には財布が恐慌します。

恐慌と言ったら世界恐慌ですね。
まあ日本の場合第一次世界大戦の恐慌に始まり関東大震災、台湾銀行で有名な金融恐慌と4連鎖の恐慌を直撃したという悲劇の塊のような状況になりました。
何でも失業率が50%オーバーだとか。
凄まじいですね。
平成不況などこの4連鎖の恐慌に比べればまだ大人しいものです。
そのため満州なんか中国人ですら見捨てた荒れ果てた荒野を求めたんですけど。
さすが絹産業以外何も主要産業の無い国。

ちなみに哲学の奴隷を勝利に導く7つの掟が全然執筆できません。
何せ深田ありの家には奴隷に関する資料が被差別部落しかないので。
かといってネットで検索するとアダルトなものばかりで探してられないし。
つまり、資料がない。

ちなみに深田ありはブルマ哲学論考に関してどうしても悔やんでる事があります。
それはウルトラ出版の日本ブルマー資料集成を持ってないのに論考しちゃったことです。
あれ買えばよかった。
本当に買えばよかった。
つーか欲しいけど高い。
6000円もするし、通販専門だし、注文方法めんどくさいし。
とにかく6000円は高い。
高すぎる。
3000円なら買ってたんだけどなあ・・・。
でも買えばよかったかなあ。
ああ、日本ブルマー資料集成・・・。

深田ありが小学1.2年、中学は1年だけ存在していた偉大なるブルマ。
小学1年生の頃からあれを見るのが楽しみだったのに・・・
中学時代なんてブルマを見るためにバレー部やってたのに・・・。(大会なんかでは何校かはブルマだったのが救いだったなあ・・・安らぎだったなあ・・・)
せっかく小学も中学も濃紺ライン無しだったのに・・・・・・。
ポケットも内ポケットだったのに・・・。
ああ、ブルマはどこへ・・・・・・。
いや、辛うじてブルマの学校(2004年確認)知ってるんだけどね。
今ブルマかどうか・・・。

深田ありは知っている!!
高校時代、体育教師2人とブルマ談義をした事がある(マジ)深田ありは知っている!!
奴等はブルマが大好きだ!!
奴等は高校がハーパンである事に死ぬほど落胆していた!!

そりゃブルマは蒸れるけどさあ!
穿きっ放しだとインキンになるけどさあ!
だけどさあ!
おのれ憎き外道共め!!
死ぬまで恨んでくれる!!


2005/8/6(Sut)■ウラジミール・ナボコフの定義するロリとは13歳

深田ありは中国人の考え方は決して嫌いでは有りません。
中国といったら世界一の悪党として非常に有名ですね。
中国の悪党ぶりときたらロシアやアメリカなどまだまだ追いつけるレベルにはありません。
韓国? 北朝鮮? コリアンのような矮小な細菌野郎なんか足元にも及びません。
確かに捏造だけなら韓国は世界一です。
韓国の捏造技術、捏造精神は中国など遥かに上の領域に立っています。
また世界一嫌われ者の国としても有名で、その嫌われ者っぷりはユダヤ人さえも凌駕していることでしょう。
しかしそれ以外では中国の圧勝です。
中国人の民族性は限りなく邪悪です。
でも、何故か深田ありは嫌いではありません。
深田ありの親父は大嫌いのようですけど。
中国人は唯我独尊の精神を地で言っているからかもしれません。
彼らの独尊ぶりは深田ありの領域を突破している事でしょう。
そりゃ深田ありだって小学生の頃から世界は自分を中心に回っていると思っていますが彼らは国家ぐるみで思っているので明らかに格上でしょう。
中国人は人を信用するのに7年かかります。
中国人はケチです。
中国人は絶対に人に頭を下げません。
中国人は自分の身内以外は敵と見なしています。
中国人は敵に一切の容赦をしません。
中国人の信仰する神様は日本とは違って幸福の神様ばかりです。
中国人は漢民族以外は全員奴隷だと思っています。
中国人は目的のためなら手段を選びません。
中国人にはカニバリズムがあります。
等等。
でも深田ありはそんな中国人がとてつもなく欲望に正直というか、生物らしいというか、何故かあまり敵意を感じません。
何故でしょう・・・。

中国といったら韓国と並んで数少ない靖国批判の国ですね。
深田あり自信靖国があまり好きではないんですけど。
だってあそこ神様って全員戦死者でしょ?
旧態依然の思想をもった神様ってことになりますよね?
つまり、年功序列、男尊女卑、絶対服従、男子坊主、滅私奉公、忠君愛国、七生奉告、八紘一宇、等等。
後半は問題ないんですけど前半ですね問題は。
髪の毛の長い男は非国民とか。
目上の人間には絶対服従とか。
男は女より偉いとか。
国のために死んで来いとか。
深田ありとは対極の思想を持ち合わせている神様が何百万柱もいるんですよ?
気が合わないんですよ。靖国は。
深田ありは年功序列が嫌いです。
深田ありは男尊女卑が嫌いです。
深田ありは絶対服従が嫌いです。
深田ありは滅私奉公が嫌いです。
なにより。
深田ありは坊主頭が反吐がでるほど大嫌いです。
だから靖国は嫌なんです。
坊主頭しか認めない神様が何百万も奉られているような神社は嫌です!!


2005/8/5(Fri)■目的の場所

夢や希望ってなんですか?
何でも人間は夢や希望がないと生きていけないそうです。
でも、夢や希望の具体的な存在意義がよくわからないんです。
たとえば深田ありの場合。
願わくば家の中でゴロゴロと寝て過ごし120歳まで生きたいというものがありますが。
これは夢や希望に該当するんですか?
そもそも人類は生きる事を二次的なものに置く傾向があります。
まるで目的がないと生きれないという感じ。
生きる事が目的ではなく、何かをするための手段として生きているような気がしてなりません。
しかもそれが深層的な所にあるため、『生きがい』などという言葉が存在するのです。
夢や希望とは、生きると言う手段のための目的になっているのです。
おかしい。
深田ありはそう感じました。
敢えて言いますが深田ありは批判主義者です。
深田ありは問答無用が大嫌いです。
従って問答無用の概念は全部否定します。

深田ありが120歳まで生きたいというのが希望に該当するのなら、生きる事自体が目的になります。
深田ありの最後の夢である120歳という数字のために生きているのなら、特に生きがいを必要としません。
生きている事が生きがいになるからです。
ただし、人生において深田ありは嫌な選択肢が多分にあります。
個人的主観においてこんな選択肢だけは選ばない。というものです。
具体的な説明は省きますが敢えて言うなら深田ありが独裁者や教祖様という選択肢を選ぶ理由を考えれば選ばない選択肢がなんなのかお判りいただけるかと。
独裁者も教祖様も絶対に選びたくない選択肢を反転させたものです。
従って、120歳になるまで深田ありは可能な限り好き嫌いで人生を謳歌します。
生きる事が目的でも、そこには確固たる好き嫌いがあるのです。
Aという選択肢は嫌い。だからBを選ぶ。
こんな感じ。
職業というものは大なり小なり権力者に屈服するものですからそれはいいんですよ、別に。
ただ、深田ありがどうしても譲れない一線を画す選択肢だけは絶対に選びません。
という観念でAかBか選びます。
人生は一色ではありません。
深田ありが120歳まで生きたいという理由はいくつかあるのです。
その理由の一つに死にたくないが60%を占めるとして、他の40%は別の理由になります。
その様々な理由の40%のために、AかBか好き嫌いを生み出すわけです。


好き嫌いのない人生というものは束縛される事を承諾すると言う事です。
人生の選択肢に明確な拒否がないと選択肢に束縛されます。
どうせ死んでしまう人生。
何で苦渋を舐める必要が、義務があるのか。
生きると言う事は時として死ぬよりも辛いものです。
なら何故わざわざそんな辛い選択肢を選ぶのか。
Mですか?
我に七難八苦を与えたまえ?
理解できません。
人間は幸福を求めます。
それは自分だけではなく、家族でも、恋人でも、友人でも、神でも、国家でも、いずれかの幸福を望むのです。
この世の全てを呪う輩は艱難辛苦の犠牲者と言えるでしょう。
人間的成長を得るかどうかはギャンブルなのです。
艱難辛苦に耐えられず自分も世界も全て呪うか。
艱難辛苦に耐え、人間として大物になるか。
だいたいこんな感じ。
深田ありはこのギャンブルはしません。
何せ確率的には前者になる確率が90%以上なので。
深田ありがどういう人間であるかは深田ありが誰よりも知っています。
だから世界を呪うと断言できます。
こんな危険な選択肢は選ばないで安全な方を選びます。
これは否定される筋合いはありません。
120歳という目的のためには危険な道を選んではいけないんです。
深田ありの頭の中には「ま、できれば長生きしたいなあ」などという漠然とした長寿願望はありません。
「絶対に22世紀の日の目を見るまで死んでたまるか」という強迫観念に苛まれています。
人生ですからひょっとしたら明日にも死んでしまうかもしれない。
120歳どころか50歳も生きられないかもしれない。
病気、事故、殺人、自殺、エトセトラエトセトラ・・・。
数多くの危険な障害が立ち塞がる人生においてほんの僅かな危険さえも回避しなければなりません。
だからわざわざ艱難辛苦など選びません。
絶対に。


人生とは波乱万丈なものです。
少なくとも深田ありはこの世に平凡な人生など存在しないと思います。
どんな職業であれ、どんな生まれであれ、どんな死に方であれ、その中身、道程、経過、展望は全員違います。
無論感じ方だって違うのです。
よく普通に進学して、普通に就職して、普通に結婚して、普通に出産して、普通に退職して、普通に老後を迎えて、普通に死ぬ。というまるで完成されたようなバラ色の未来を想定する人がいますが・・・。
何の障害も、障壁も、軋轢も、失態もなくそんな人生送れるならやってみろ。って感じです。
そんな人生は神業です。少なくとも深田ありには絶対できません。
人生80〜90年の人生の中で普通に生きる?(深田ありの場合120年ですよ?)
できてたまるか。
そもそも普通な人生って何ですか?
普通に進学ってどこの学校?
普通に就職ってどこの会社?
普通に結婚ってどんな相手?
普通に出産ってどんな子供?
普通に退職って定年退職?
普通に老後ってどんな老後?
普通に死ぬって老衰?
少なくとも退職と絶命以外の全ての選択肢には普通などありません。
ましてや定年退職はまだしも本当に老衰なんでできるんですか?
事故死でも、病死でも、殺されるわけでも、自殺でもなく、老衰なんて一番難しい死に様じゃないですか。
普通が最難関であるということが一発でわかる例えですね。
少なくとも100人中100人ができる芸当では断じてありません。
それこそそんな人生を本気で送ろうとするためには奇跡的な運が要求される事でしょう。
麻雀で言うのなら大四喜四暗刻単騎字一色四槓子八連荘の7倍役満級の難易度が要求されますね。
普通という言い方がまずいんです。言い方を変えましょう。
大してトラブルなく学校を卒業し、割とあっさり中堅の会社に就職できて、特に問題のない相手と結婚し、結構簡単に子供を産んで、幸い子供は犯罪を犯さず、そこそこ出世できて、倒産する事無く、離婚することもなく、子供も無事社会人となって定年退職を迎え、良かった事に病気や怪我に晒される事無く平穏な老後を送れ、最後に遺産相続のトラブルなく老衰で死ぬ。
ね、難しいでしょう?


2005/8/4(Thu)■深田哲学は批判哲学

深田ありの理論の元素は批判から始まります。
そもそも深田哲学の最初は『何で自殺しちゃいけないの?』から始まりました。
深田ありは昔から一方的な理由で洗脳される事が大嫌いだったのです。
だから自殺=絶対悪という何の根拠もない法則を叩き込まれることに拒絶したのです。
何で自殺が悪いのか両親に聞いても「自縛霊になる」とか「家族が悲しむ」とか、事後的な理由しか説明してくれませんでした。
事後的な理由では納得など不可能です。
しかも後者はまだしも前者に至っては物的証拠がありません。
あるのは証言と、妖しい写真だけです。
法的に証言だけでは証拠として認められません。
従って、自殺したら自縛霊になるというのは悪魔の証明なのです。
科学的、生理学的根拠も無く、宗教に精通しているわけでもなく、体験したわけでもなく、物的証拠もなく、あるといったらTVや本の証言と、どうして自殺だと断定できるのか理解に苦しむ心霊写真だけです。
まさしく南京大虐殺並のいいかげんな証拠ですね。

ちなみに横道に反れますが深田ありは小学生の頃からある1つの理由で南京大虐殺を信じていませんでした。
学校でいくら教わっても信じませんでした。
何故なら動機が不明だからです。
資源の無い日本が、連合国を相手に、多額の資金と人材と弾薬を駆使して、殺す価値の無い民間人を、南京という大都市で、行う理由がわからないんです。
無駄です。
無駄の極みです。
「そんな金があるなら前線に送れよ」と何度頭を捻ったかわかりません。
すると数年後に南京大虐殺が嘘だという事実を知ってようやく胸を撫で下ろしました。
同様にユダヤ人虐殺も「ヒトラーは馬鹿じゃねえのか? 殺すくらいなら労働力にしろよ」とず〜っと思っていましたがこれはつい最近これも大半が嘘だと知って「ヒトラーはそこまで馬鹿じゃなかったか」と納得できました。

このように物的証拠が明確に無い限り自殺すると自縛霊になるとは信じられません。
限りなく南京大虐殺と同じ匂いがするからです。
だから前者は一度も信じた事がありません。
では後者は? という事になりますね。
しかし家族が悲しむくらいならどうして自殺者を救わない。
どうして自殺するまで放置した。
自殺の理由も聞かず、わからず、いつの間にか自殺して悲しむだと?
身勝手にも程がある。
少なくとも自殺の理由なんてものは大本を辿れば2つの理由しかないんです。
自殺を体験したい。
幸福になりたい。
この2つだけです。
悲しみで自殺しようと、怒りで自殺しようと、混乱で自殺しようと、無意識で自殺しようと、笑って自殺しようと、信仰で自殺しようと、大本は幸福願望です。
理由は人それぞれですが、その根っこはおなじですから。
だから深田ありは自殺=悪とは思いません。
死ぬ事にしか幸福がないのなら、死んでも構いません。
それは本人が決める事です。
たとえ家族であろうとそれを止める権利はありません。
価値観の違いですね。
深田ありみたいに120歳になるまで絶対に死にたくないと思っている人間だっているのですから。
かといって深田ありは全人類に120歳まで生きる努力をしろ。などと強制はしませんよ。
むしろそんなに生きたくないと思う人もいるでしょうし。
そんな価値観の違いを否定するなど信仰の自由がないと言う事になります。
人間はいつか死ぬんでしょう?
だったらいつまで生きたいかなんて個人の勝手じゃないですか。
1秒後に死のうが、100年後に死のうが他人にも、親族にも、一切口を挟む資格はありません。
ただ、「今死ぬと葬式代がかかるから死なないでおくれ」という理由でしたらいいと思いますよ。
それなら切実な現実的問題ですから。


2005/8/3(Wed)■偉大なるグースカピー

唐突ですが深田ありの最大の趣味は昼寝です。
深田ありはこれを世界一贅沢な趣味と信じて疑いません。
え? 何で?
世の中には贅沢な趣味は腐るほどありますよ。ええ。
その中でも昼寝は群を抜いていると言えるでしょう。
そもそも贅沢とは何か?
わかりやすくいうと限度や、相応しい程度を越えるさまです。
その一例に大金を駆使した趣味があるわけですね。
でも大金を使った趣味が贅沢だとは思いません。
なぜならその趣味を施行している人間の財布はその程度では痛くも痒くもないからです。
しかし、昼寝は違います。
これは金持ちも貧乏人も関係なく施行できるため、万人が平等に程度が決定しているのです。
昼寝の前には年収1億も200万も関係ないのです。
真昼間に寝る事が、それも必要睡眠とは無関係な睡眠が、どれだけ贅沢なものかは推して知るべし。
光陰矢のごとしという諺があるように時間とは短いものです。
その貴重な時間という、命そのものを、人生のクロノスを、何もしないで、何も考えないで、ただ寝て過ごす。
これ以上の贅沢があるでしょうか?
時は金なりともいいます。
時間を金銭的価値に換算するとどれくらいになるかはわかりません。
しかし決して安くはないと思います。
というか高いでしょうね。
その高価な時間を寝て過ごすなど少し考えれば正気の沙汰ではありません。
かつてトーマス・アルバ・エジソンはいいました。
「人生は必要以上に寝なくとも良い。睡眠時間と健康は無縁である」
そう言った彼は一日4時間の睡眠で84歳まで生きました。
ならば昼寝がどれだけ贅沢なものかおわかりいただけている事でしょう。
贅沢とは己自信の貴重な財産を失う事である。
これは深田ありの言葉です。
そして趣味が贅沢であるためには第三者の視点からも贅沢だと思われなくてはなりません。
つまり、ブルジョワジーであろうとも、プロレタリアートであろうとも、年配であろうとも、若輩であろうとも、一切の差別無く贅沢だと思わせてこそ真の贅沢なのです。
ならば昼寝こそが該当するに相応しいというもの。
有閑階級である貴族ですらおいそれと昼寝などできないものです。
昼寝は最高です。
この人生を無駄に使っている感じが何ともいえません。
貴重な人生を無駄に使う。
最高の贅沢です。


2005/8/2(Tue)■ガリレオ・ガリレイ

1970年代の日本は人間の住める場所ではなかった!!
1970年代の日本は地獄以外の何物でもなかった!!
1970年代に育った日本人は奴隷の集団である!!
1970年代の教育者・政治家達は悪魔の化身である!!
1970年代こそ有史7000年史上最悪の時代なのである!!
1970年代の日本を最後に狂ってしまったのである!!
1970年代を恨め!!
1970年代を蔑め!!
1970年代を呪え!!
1970年代こそが、全ての元凶である!!
1970年代こそが、全ての害悪なのである!!
1970年代を、抹殺するべきなのだ!!
1970年代を消滅させなければ日本に永久に明日は無い!!
1970年代を今こそ否定するのである!!
1970年代は、この世の終わりなのだから!!



何故?
それは1970年代とは、人間がいなかったからだ!!
いたのは悪魔の権化と、それに支配された被害者だけである!!
可哀相な時代なのである!!
1970年代の学校を見よ!!
男女交際は即退学!!
教師は竹刀をもって暴行の限りを尽くし!!
教科書の内容は日教組によって歪曲に歪曲を重ねた洗脳教育であり!!
学校給食は豚の餌のようなものを、しかも残さず胃の中に詰め込ませされ!!
先輩に逆らったものは集団リンチに合い最悪殺されていたのである!!
ましてや男子は坊主にしないと即リンチ!! それも教師に暴虐の限りを尽くされたのである!!
男女交際を禁じていながら教師は絶対の特権を生かし女学生にセクハラの限りを尽くした!!
逆らう者は即退学!!
彼らは悪魔なのである!!
ましてや受験戦争が勃発した時期!!
もはや学校とはアウシュビッツに勝るとも劣らない絶滅収容所!!
死なない代わりに人間の尊厳を全て踏みにじられたのである!!


学校だけではない!! 日常生活にも悪魔はその薄汚い触手を伸ばした!!
男尊女卑をいい事に男は女を好き勝手弄んだ!!
年功序列をいい事に年配は若輩を甚振った!!
女・子供はこういった悪魔共に心身ともに犯されたのである!!
例えばメイド原理主義最後の時代は1970年代である!!
ほら!! やっぱり1970年代は史上最悪の時代だ!!
金持ちは偉い!! 貧乏人はゴミ!!
これも1970年代のブルジョワ資本主義が生み出した悪しき弊害である!!
当時の彼らには平等の観念など一欠けらもなかったのである!!
まさに韓国!!
スラム街が未だに存在する韓国と同レベルの時代だったのである!!
その証拠がドラえもんに出てくる『あばらやくん』だ!!
見よ!! あのウサギ小屋のようなワンルームの倉庫を!!
見よ!! その一方で贅沢の限りを尽くす骨川家を!!
これこそが1970年代の正体!!


日常生活の弊害はまだ、終らない!!
公害である!!
当時日本の腐ったブルジョワ主義が環境という絶対無二の財産を踏み躙り世界の破滅を一万年早めた!!
これにより日本の空は濁り、木々は黒くなり、息を吸うだけで喘息にかかり、海は化学物質の垂れ流し!!
それによって奇形魚が誕生したのは全人類周知の事実である!!
降る雨は全て酸性雨!!
これによって幾多の像が溶け、植物は腐り、人間は重い病にかかっていった!!
それが公害病である!!
水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく、サリドマイド児・・・エトセトラエトセトラ。
もはや人間が住む世界などではなかった!!
しかもその地獄を政府は否定したのである!!
水俣病が旧日本軍の爆弾が酸化して溶け出したのが原因だと捏造したのだ!!
地獄! まさしく地獄!!
これにより水俣病は15年以上争いが絶えなかった。
これにより5万人の罪も無き人々が殺されたのである。
まさにその長さ、ベトナム戦争に匹敵する邪悪なる戦争!! 戦争!! 戦争!!
否!! 一方的な虐殺である!!
虐殺!! これは虐殺!!
まさしくホロコースト!!
日本大虐殺!!
いまこそ1970年代の政治家・企業家・弁護士をB級戦犯(虐殺犯罪者)として1人残らず絞首刑にしてしまえ!!
否否否!!
教育者もだ!! 洗脳教育以外能の無い連中はC級戦犯(実行犯罪者)として処刑だ!!
いや、A級戦犯か? A級戦犯とは『平和に対する犯罪者』の事を指す!!
ならば!! 奴等は平穏なる日本を破滅に導いたA級戦犯だ!!
全員死刑だ!!




いいですか?
言葉とは兵器です。

かつてブッシュはいいました。
1人の人間をずっと騙す事は出来る。
全ての人間を一時期騙す事は出来る。
しかし、全ての人間をずっと騙す事は出来ない。
これはさかしまに言えば全ての人間を騙す事は可能であるという事です。
言葉とは、人類が火以上に凶悪なる武器として発明した偉大なる凶器なのですよ。

かつてナポレオンは言いました。
三つの敵意ある新聞は千の銃弾より恐ろしい。

ペンは剣などよりも遥かに強いんです。
戦争でもっとも恐ろしいのは核兵器ではありません。
情報操作です。
世界中が情報を歪曲しあう事で戦争は継続されます。
日本が敗戦したのは世界一騙されやすい国家だからなのです!!

冒頭に1970年代の日本は人間の住める場所ではなかった!! と明記しましたが、これも暴力の一種です。
世界は一色ではないのですが、暗い色だけを取り上げれば1970年代の日本は人類史上最悪の時代であると歪曲する事も可能なのです。
人間はこのように暗い色だけを取り上げた敵意ある文章や言論を知ることで一方的に洗脳されるのです。
その有名どころは韓国がやってる「日帝は世界最悪の犯罪者の集団ニダ!」などと言うアレですね。
他にもヒトラーは世界最悪の独裁者とか。ユダヤ人を虐殺しまくったとか。
そんな時代の夜側しか取り上げないで一方的に公開する事で洗脳を可能とするのです。
例えば上の明らかに誇張度1000%オーバーの表現は韓国がよくやる表現です。
だいたいこんなものか、それ以上ですよ。日帝の悪逆無道の誇張は。(ユダヤ人も同じ手を使う事で有名)
なんせたった1件でもそんな事例があればそれを全てだと誇張するのですから。
上記もそうですよ。たった1件でもそんなことがあるものは書き込んでおきました。
だからあれは嘘ではないですよ。
数字は限りなく根拠の無いものですけど。

言葉はいくらでも表現可能です。
だから、騙されるんですよ。


2005/8/1(Mon)■本当なら哲学に入れるべきなんでしょうけど

1つの成功を得るためには3つのものを犠牲にしなければならない。
目的とは、何かを放棄する事で手に入る事が出来る。
従って、1つの成功のためには3つの目的を放棄しなければならない。
成功とは、3倍の失敗の果てに手に入るものである。
故に失敗は素晴らしいものだ。
失敗は自分を助けてくれる。
失敗を繰り返せばいつかは成功する。
成功し続ける者は成功に束縛される。
成功する事を強要される。
成功する事を命令される。
その縛られた中を、失敗は助けてくれる。
成功という甘すぎる砂糖を、薄めてくれる。
私は『完璧』に束縛されない。
私は決して失敗を否定しない。
むしろ失敗を積み重ねる事で成功の束縛から開放される。
失敗は、財産である。
私は成功を肯定する。
成功は、名誉である。
しかし、成功したとしても他の3つを犠牲にする事で束縛から開放される。
私は狂人と思われる事で成功の強要から開放される。
私は変人と思われる事でプライベートを保護する。
そして、私は異常であると自称する事で失敗しても蔑まれないようにする。
私は計算する。
私は異常者だ。
だから失敗しても問題はない。
だから成功しても当然である。
何故なら私は異常者だからだ。
私に常識は通用しない。
私の名誉とは泥に塗れているからこそ輝く私という存在への誇りだ。
それが、成功という形で得られるのだ。
だから、私は清潔な名誉などいらない。
自分という存在を隠匿してまで手に入る名誉など邪魔なだけだ。
私が欲する名誉とは、穢れの中にある一筋の光明だ。
自分という汚れた存在が放つ光こそが最も純粋であり、最も正しく、最も美しいのだ。
だから私は成功を得るために常識と、倫理と、正義を捨てたのだ。



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